「言語化」
最近「言語化」という言葉がバズワードになってきた。世はまさに大言語化時代ということで、猫も杓子も言語化。言語化に関する書籍がたくさん出て、それらの弊害として 「言語化」という言葉が持つ具体的な意味内容がかなり広くなっているように見える。
というわけで、分けちゃお〜。
「対象を詳細に分析して言葉にする」
物事を観察して要素ごとに切り分けて、それぞれについて言葉で表現すること。 つまり、この記事でやっていること。 筆者はこれを「言語化」という言葉のなかに含めていないが、こういう意味で使っている人も見かける。
個人的にはこれは「分析する」などと言いたい。
「難しい内容を平易に言い変える」
昨今もてはやされている「言語化」がこれだと思う(少なくとも筆者の観測範囲ではそう見える)。「難しい言葉を使わずに、平易な言葉で伝えられる人は頭がいい」という根拠のない言説によって煽られた結果、いわゆる「論破力」の後釜として「言語化力」の多寡を競うインターネット時代が来そうな予感がある。
ただ一見難解に見える言語表現には、そうでなくては伝わらない意図や意味が含まれている。 難解なものを難解なままで捉えようとせず、平易な言い換えばかりを摂取してばかりいると、そういった意図や意味を含んだ正確な文意を知らないままで、わかったつもりにだけなってしまう恐れがある。
また、言い換えはあくまで言い換えである。そこには言い換えを行った人物の意識的または無意識的な意図が含まれてしまっている。 これもまた正確な文意の伝達を阻害する。言い換えは言い換えとして「そういう読み方もあるんだな」ぐらいに受け取っておき、それを足がかりにしながら、自分自身でも難解な原文を読み取って、自分なりの読解をするようにしたいものだ。
個人的にはこれは「簡略化」などと言いたい。
「自分の考えを言葉にする」
筆者はこれが「言語化」だと思っている。つまり、自分のクオリアをなるべく正確に相手のクオリアとして伝達しようとして、あるいは相手のクオリアを自分の意図した状態にしようとして、言語ゲームに則った言語表現を行うこと。
そのためには受け手(読者や聞き手)の想定と、「観察(取材)」「構成」「表現」の3段階を経る必要があり、それぞれの段階を行き来しながら言語表現が形作られる。伝達結果についてのフィードバックを受けつつ、それぞれの段階で求められる能力を鍛えることが、この意味での言語化力になっていく。
個人的にはこれを「言語化力」と呼び続けたい。
要するに
「最終的に言葉で表現する」動作をなんでもかんでも「言語化」という言葉に仮託していると、自分が本当に言いたいことが相手に正確に伝わらないですよ。
おしまい
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