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テストで6点だった人間が、休日も勉強するようになった話

2024/11/19に公開

はじめに

タイトルにもある通り、私はテストで6点(もちろん、100点満点中である)をとるような人間で、本を読むのも苦手な人間です。
そしてそれはいまだに色濃く残っています。本を読み始めたら目は滑るし、まとめようと思ってもうまくまとめられない。眠たくなるし。それでも現在の私は、休日に勉強をしています。多分、6時間くらい。
そこで、私が勉強をするときに意識していることを共有して、少しでも誰かの役に立てたらいいなと思っています。

結局、作業興奮…?

はい。胡散臭いですね。よく言われるやつ。作業興奮を引き出すまでに苦労してるんだって。
ですがやはり、私は作業興奮はあると思います。ただ、昔から言われている「Just Do It」は聞き飽きているでしょうし、私も気合いだけで勉強を開始しているわけではありません。少しでも最初の一歩、ハードルを下げるために工夫していることを共有しようと思います。これは私の休日の、いわばモーニングルーティーンであり、一例です。皆さんがすぐに実践できるような一般化はされていません。

ショートな動画を見る

朝起きて一発目、私はまずInstagramのショートな動画を見ます。Youtubeでも良いし、Twitterでも良いと思います。あの何十回と擦られ、どこの誰がどこから無断転載してきたかもわからない動画を見ます。見まくります。私は大体1時間くらい。(最初に作成した方には非常に申し訳ないと思っています)
こういうのって謎の中毒性があるんですよね。なぜか見てしまう。ただ、これを見ていくとだんだんと同じような動画が増えてきて、またこれか、またこれかとチラ見でスワイプする動画が増えてくると思います。そしてそれと同時に忍び寄る焦燥感、こんなことをして休日を潰して良いのか、これは脳にとって毒にも薬にもならないのではないか。いや、確実に毒だろう。そんな気持ちがじわじわと侵食していきます。ここです。ここを見逃してはいけません。

机に向かう

ここで机に向かいましょう。机に置いてあるパソコンを開き、MiroとNotionを開きます。隣のiPadのスタンドを立て、Kindleを開きます。
あとは本を読むだけです。メモをとってまとめるだけです。簡単なお仕事です。

いいえ、簡単ではありません。眠たいです。本の内容が難しいです。面白くないです。
ここで私は、10分と経たずベッドに舞い戻ります。そして、Instagramを開くのです…。

ショートな動画を見る(第2弾)

ベッドに戻り、ショートな動画を見始めてしまいました。しかし、今の私は一味違います。先ほどすでに焦燥感を味わっているのです。そして、同じような動画が流れ続け、面白みも欠けてきていることを私は理解しています。こうして私は小さな板の無にも等しい情報と睨めっこする時間を大幅に短縮できるのです。

机に向かう(第2弾)

焦燥感に駆られ、もう一度机に戻ってまいりました。二度目の焦燥感はつよい。今度こそはメモを取ろうと、Notionにまとめようという気持ちで机に向かいます。
本を読みます。まずは一文読みます。しかし、一文ですら頭に入ってきません。文字は読んでいるのに、うまく咀嚼できません。ここで、その一文を理解するまで読みます。次の文に行って同じようにわからないまま読み進め、理解できない自分に嫌気がさして勉強をやめてしまうことは避けます。一度目よりは二度目、二度目よりは三度目の方が頭にすっと入ってきます。
ここで理解できた時、私は自分を褒めます。偉い、お前は自分でピストルを鳴らし、ひとりでに一歩を踏み出したんだと。

喫煙

ここはOptionalでありDeprecatedです。私の肺と脳はニコチンに侵食されちまっています。自身を褒め称え、ほんの少しのやる気が出たところでご褒美です。
ほんの少しのやる気で、私の眠気は少し覚めています。そこでさらに紫煙を燻らすことで、眠気を完全に覚ましてあげます。
非喫煙者の皆様は、お茶や軽い運動で目を覚ます方がはるかに健康的です。

机に向かう(第3弾)

ここまでの過程で、私の自己肯定感、やる気、そして眠気(のなさ)。これらが完璧に揃ってしまいました。
あとはもう、勉強するしかありません。何やってるんですか。勉強してください。
ショートな動画を見る(第3弾)が始まりそうになった時、ベッドにはもう戻りません。椅子に座った状態で見ます。やがて、PCはスリープ状態に移ります。病的な中毒性にやられていた脳を、画面の消灯が呼び覚ましてくれるのです。
少し眠くなったら椅子で寝ます。お世辞にも快適であるとは言えないので、相当な疲れが溜まっていない限りはすぐに目を覚ますか、そもそも入眠できずに瞑想程度で作業再開です。意外と目を閉じるだけでも眠気って飛んでいくらしいです。
あとは、昇降デスクを買うのもおすすめです。完全になんとなくですが、立って作業しようとすると、やるぞー。って気になります。

このようにして、私はインクリメンタルに、イテレーティブに作業を開始しています(やかましい)。

そもそも、勉強が苦痛な場合(超余談)

ここからは非常に無責任な個人の意見になります。要するにやめてもいいんじゃないってことを書いてます。そういうのが嫌な人は、開かないほうがいいです。誘惑に負けず、スキップ!
推奨するわけではないので、悪しからず……。

そもそも、勉強が非常に苦痛な場合(超余談)

もし勉強——特にプログラミングの勉強をするのが非常に苦痛なのであれば、私は離れるべきであるとさえ思います。
プログラミング、チームビルディング、マネジメントなどなど、ひいてはIT業界で働く以上、情報のアップデートは非常に早いです。私が学生時代(執筆時からたった二年前のことですが)にメインで使っていた技術がすでに古いとされています。能動的、受動的に関わらず、いつか勉強をしなければならない日がきます。

私は、瞬間を切り取ったときに退屈だと思うような勉強も、何かしら業務や興味のあることにつながっています。そのため、言葉を選ばずにいうと楽しみのために勉強の苦痛に耐えている。もう少しマイルドにいうと、ボスを倒すためのレベリングといったところでしょうか。

このような業界の特徴で勉強に追われる日々は非常に辛いものになるのではないでしょうか。本来、仕事とは生活を豊かにするための手段でないといけないと思っています。それが、生活を苦しめるものになってしまうというのは、なんとも切ないことです。
私は、仕事そのものが楽しいと思えています。私は決して高給取りで、キラキラしたオフィスで働いているわけではありませんが、それでも仕事について考えることそれ自体が楽しいのです。私がこの業界に入ったのも、ひとえに楽しいからです。

あなたがなぜ耐えられないほどの苦痛を感じてまで勉強してプログラマになりたいのか、私には知る由もありません。もし「楽して稼ぎたい(そもそも、勉強が苦痛な時点で楽してはない…)」とか「キラキラしたオフィスでかっこよく働きたい(私のオフィスは別にキラキラしていない!)」のであれば、それは必ずしもプログラマになる必要はないというようなことです。(私自身、プログラマはスマートなヤツではなく、泥臭くものづくりに励んでいるという印象です)

「なぜ」そこを目指しているのかを今一度考えてみることで、耐えられる程度の勉強をしつつ、楽しく仕事ができるのではないかなと思っています。そして、勉強が苦痛に感じたとき、それは、自分の人生のロードマップを見つめ直す良い機会だと私は考えます。

おわりに

私がいかにして休日に勉強をしているか、勉強に対してどのように思っているのかを書いてきました。(超余談については、何をエラそうにって感じですが…)
「勉強したいけど、どうにもやる気が出ない」という方には、ほんの小さな一歩を踏み出すことをおすすめします。その一歩がどれほど小さくても、ちゃんと自分を褒める。それが、次の一歩につながるきっかけになる と、私は思っています。

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