束論入門
はじめに
はじめまして。記事を開いていただきありがとうございます。
これから束論の基礎的な事項について解説をしていこうと思います。
実はもともとは他の記事の執筆中に前提知識の紹介として書いていたのですが、だいぶ長くなってしまったので切り出して記事にすることにしました。
そのため、特に最終的な目標もなく、書こうとしていたことをつらつらと並べていきます。
(正直全くの初学者向けというよりは、定義程度は確認したことあるけど詳しくは知らないみたいな方向けかもしれないです)
また、書こうとしていた内容に必要な知識 +
束論のおすすめの教科書は"Introduction to Lattices and Order" (Davey & Priestley, 2002)です。
コンピュータサイエンスへの応用も視野に入っており、位相空間の話が少ないことを除いては非常に優れた教科書だと思っております。
よろしくお願いします。
記法
- poset
の部分集合P の上限・下限をそれぞれX\subseteq P と書く\vee X, \wedge X -
などは\vee\{x, y\} と書くx\vee y - 有向集合のみを定義域に取る上限(有向上限と呼ぶ)を
と書く\sqcup X
-
- poset
の部分集合P , 元X\subseteq P に対し、a\in P はX\le a を意味する\forall x\in X, x\le a - poset
の有向部分集合をP 、有限部分集合をD\subseteq_\mathrm{dir} P と書くX\subseteq_\mathrm{fin} P - 集合
の冪集合をA と書く\mathcal{P}(A) - 特に、有限集合のみの冪集合を
と書く\mathcal{P}_\mathrm{fin}(A)\coloneqq\{X\mid X\subseteq_\mathrm{fin} A\}
- 特に、有限集合のみの冪集合を
束論のおさらい
束論の基本をおさらいします。
束の定義
定義1: 半束、束、完備束
束と完備束の違いは無限集合の上限・下限を取れるかどうかにあります。
空集合も定義に入れると?
定義において
半束・束の場合
上限・下限の定理より、
すなわち、
そのような立場を取るなら空集合を許してもよいのですが、本記事では一般には束は最大元・最小元を持たない立場を取ります。
このような立場からすると、最大元及び最小元を持つ束は有界束と呼ばれます。
(非空な有限束なら最大元
完備束の場合
本記事の定義でも非空な完備束は最大元
つまり、完備束において
完備束のみ空集合を許容しない立場が一般的に思われますが、個人の好みから本記事ではposetも束も完備束も空集合を許容する立場を取ります。
ただし、有向集合のみ空集合を許容しません(どうして?!)
また、順序と上限・下限操作の間には明らかに次のような関係が成り立ちます。
命題2: 順序と上限・下限の関係
束
x\le y\iff x\vee y = y x\le y\iff x\wedge y = x
この関係を応用することで、束の代数的定義、すなわち、等式を用いた定義を得ることができます。
定理3: 束の代数的定義
集合
(可換律)
(結合律)
(吸収律)
そのとき、束
- 束
の上限・下限は三条件を満たすL - 三条件を満たす
に対し、(L, \vee, \wedge) と定義したx\le y\iff x\vee y = y は束となり、上限・下限は(L, \le) と\vee に一致する。\wedge
べき等律について
束の代数的な定義において次のべき等律を含めた四条件を定義とすることもあります。
しかし、べき等律は吸収律から導出できるため実は不要な条件です。(最後の等式は
ただし、可換律、結合律、べき等律を満たす
束とは吸収律を満たす半束であるという捉え方においては、べき等律を定義に含めることは非常に自然な考え方ですが、本記事では無駄のないの定義を取りました。
つまり、束は等式を用いて代数的な定義ができるということになります。
ちなみに、完備束は代数的な定義を持ちません。[1]
定義4: 部分束
束
-
は束である(L', \le') -
での上限・下限はL' での上限・下限に一致するL
例:条件1を満たすが部分束にならない束
以下の束
しかし、
ところで完備束の定義として
命題5: 完備束の同値な定義
束
証明(考え方が大事)
そこで、
-
下界性(
)\vee\mathrm{Lb}(X)\le X
を示せばよい。\forall x\in X, \vee\mathrm{Lb}(X)\le x
はx の定義より\mathrm{Lb}(X) の上界になるが、\mathrm{Lb}(X) は\vee\mathrm{Lb}(X) の最小上界であるため、\mathrm{Lb}(X) となる。\vee\mathrm{Lb}(X)\le x -
最大性(
)\forall y\in\mathrm{Lb}(X), y\le \vee\mathrm{Lb}(X)
上限の定義より明らか。
もちろん任意の下限が存在する場合でも同様に任意の上限が存在することを示せます。
命題5の罠
位相空間
実際、開集合
ところで、開集合の無限和も開集合でした。すると、定理3より
しかし、位相空間の定義より無限個の開集合の共通部分は開集合とは限らなかったはずです。なにが問題だったのでしょうか?
一言で言えば、(代数的定義を持たないものの)完備束を
具体的には、
(もちろん下限操作の定義域を有限集合に限れば共通部分を取る操作に一致します)
言い方を変えれば、ただの束としての
(このような事情から、本記事では完備束の定義には任意の上限のみならず任意の下限操作も明示して定義することを好みました)
このように束はposetとして捉えるだけでは不十分なこともあり、逆に代数として捉えるだけでも完備束を定義できないなど、束の性質を考える時は順序的・代数的な双方の視点を持つ事が非常に重要です。
(ただし、私は束を代数だと思ったことは人生で一度もありません。)
また、完備束は不動点による面白い特徴づけを持ちます。
poset
命題6: Knaster-Tarskiの不動点定理とその逆
非空な束
(どちらも自力で思いつくのは困難な非常にトリッキーな証明でとても面白いです)
完備ならば不動点を持つ
そこで、「
(これはKnaster-Tarskiの不動点定理と呼ばれる非常に有名な定理)
故に、
また、逆側の不等式も示して
よって、
不動点を持つならば完備(ACあるよ)
こちらは証明のスケッチのみ書きます。
詳細は"Chain-complete posets and directed sets with applications" (Markowsky, 1976)を参照してください。
まず、poset
今、恒等写像
ゆえに、
非空なchain
(ただし、
このとき、
(
今、
このとき、簡単な観察から
分配束
掛け算と足し算の分配律
定義7: 分配束
次の分配律を満たす束
実は逆側の分配律も成り立ちます。
命題8: 逆側の分配律
分配束
証明
無限の場合の補足
無限の場合は事情が少し複雑になります。まず、素直に分配律を無限に拡張したものを考えます。
次を満たす非空な完備束を完全分配束 (completely distributive lattice)[2]と呼びます。
(
完全分配律は分配律と同様に自己双対的です。すなわち、
また、次を満たす非空な完備束を無限分配束 (infinitely distributive lattice)と呼びます。
こちらは定義もシンプルで直感的に理解しやすいかもしれません。
しかし、無限分配性は自己双対的ではありません。すなわち、無限分配律から次の余無限分配律は導けません。
しかし、完全分配束は「無限分配律と余無限分配律どちらも満たす束」と同値になります。
ゆえに
(逆も同様だがもう少し複雑)
分配束はあまりに重要すぎる束であり、紹介すべき性質が非常に多いです。
pointless topologyにおけるStone双対の話や、離散数学におけるBirkhoffの表現定理など、分配束は非常に多くの分野で重要な役割を果たします。
本記事では分配束が持つとある有限性について焦点を当て紹介をするとします。
まず、分配束の非常に重要な特徴づけ[3]を紹介します。
定理9: 分配束の特徴づけ
次の二つの束をそれぞれ
束
図1. 束
図2. 束
それでは分配束クイズをしましょう。
- 片方でも含む
分配束ではない\implies - 両方含まない
分配束\implies
例:
- 次の束は分配束か?
答え
A. 分配束ではないです
どう見ても
- 次の束は分配束か?
答え
A. 分配束ではないです
- 次の束は分配束か?
答え
A. 分配束です
この束自体が
つまり、抜き出したときに(推移性による辺も含めて)余分な辺が入っていたら同型にはなりません。
- 次の束は分配束か?
答え
A. 分配束です
今度こそ
確かに、その
頂点
- (最終問題)次の束は分配束か?(正解すれば分配束鑑定士の資格を与えます)
答え
A. 分配束ではないです
初見で気づけた人は普通にすごいと思います。
先程と同様に、確かに
しかし、よく見たら
(ちなみにこの束は
分配束と有限表現
では、皆さん分配束鑑定士になったところで、続いて既約元・素元の言葉を用いた分配束のもう一つの特徴づけを紹介します。
定義10: 既約元、素元
束
-
が既約元x \iff\forall Y\in\mathcal{P}_\mathrm{fin}(L)\setminus\{\emptyset\}, x=\vee Y\implies\exists y\in Y, x= y -
が素元x \iff\forall Y\in\mathcal{P}_\mathrm{fin}(L)\setminus\{\emptyset\}, x\le\vee Y\implies\exists y\in Y, x\le y
(1の結論部は
そこで、
例:整除関係による束
自然数の集合
その時、素数の累乗が(0, 1でない)素元に対応します。
ちなみに、有限束では既約元は分かりやすい特徴づけが存在します。[4]
命題11: 有限束における既約元
poset
そのとき、有限束(=台集合が有限な)
(証明は省略しますが高さに関する帰納法で証明します。本当はもう少し緩い条件 i. e. 任意の区間が無限鎖を持たないかつ高さ有限の束でもこの事実は示せます)
ところで、素元は常に既約元になります。
(
ただし、既約元は必ずしも素元とは限りません。
しかし、驚くことに既約元と素元が一致することと
定理12: 既約元・素元による分配束の特徴づけ
束
証明
-
分配束ならば素元=既約元
任意の既約元 について、x\in L が素元であることを示す。x
に対し、Y\subseteq_\mathrm{fin}L\setminus\{\emptyset\} とする。x\le\vee Y
その時、分配性より となるが、x=x\wedge\vee Y=\vee\{x\wedge y\mid y\in Y\} の既約性よりx となる。x\in\{x\wedge y\mid y\in Y\}
ゆえに、ある でy\in Y となり、x=x\wedge y(\iff x\le y) は素元である。x -
既約元=素元ならば分配束
待遇を示す。つまり、分配束でないならば既約元だが素元でない元が存在することを示す。
分配束でない束は必ず か\mathrm{M}_3 を部分束として含むため、それぞれで既約だが素元でない元があることを示せばよい。\mathrm{N}_5
◯ の場合\mathrm{M}_3
だがb\le\vee\{c, d\} でもb\le c でもないためb\le d は素元ではない。(b は直下の元がb のみのため既約)e
◯ の場合\mathrm{N}_5
だがc\le\vee\{b, d\} でもc\le b でもないためc\le d は素元ではない。(c は直下の元がc のみのため既約)d
図1. 束
図2. 束
定理12により、分配束の純粋にjoinのみを用いた特徴づけが得られました。
さらに、分配束はある種の一意分解性を持ちます。すなわち、(非常長な)有限個の既約元(=素元)の上限として表現される場合、その表現は一意となります。
定理13: 分配束の一意分解性
分配束
証明
任意の
ゆえに、
すなわち、
(表現の一意性はイデアルの言葉を用いて書くのが一般的なので、それで言えば「分配束上の既約元の非空な有限集合
このように有限な表現が存在すれば一意であることは言えましたが、常に有限な表現が存在するとは限りません。
しかし、
定理14: 有限表現を持つ束
束
証明
今、束が条件(DCC)を満たすことより
すると、
そのとき、帰納法の仮定より
ゆえに、
これら事実の応用として、自然数の素因数分解の一意性を証明することができます。
例:素因数分解の一意性
自然数上の整除関係による束
そのとき定理11より、素因数分解は一意である。
連続束と代数的束
最後に、コンピュータサイエンス等で重要となる束である、連続束と代数的束を紹介します。
まず、"Introduction to Lattices and Order" (Davey & Priestley, 2002)の用語を採用して、完備束上の元のコンパクト性と有限性を定義します。
定義15: コンパクト、有限
x\in L\text{ is finite}\iff\forall D\subseteq_\mathrm{dir}L, x\le \sqcup{D}\implies\exists d\in D, x\le d x\in L\text{ is compact}\iff\forall S\subseteq L, x\le\vee S\implies\exists T\subseteq_\mathrm{fin}S, x\le\vee T
つまり、コンパクトの定義は位相空間論におけるコンパクト性の定義と全く同じです。
また、有限の定義は領域理論において一般的な有限性の定義と一致しています。
しかし、結局は完備束においては有限性とコンパクト性は同値になります。
命題16: コンパクト性と有限性の同値性
完備束
証明
コンパクトならば有限
有向集合
コンパクト性より、
有限ならばコンパクト
すると、
故に、
開集合の束は完備束として見ても上限演算は和集合で得られるため、コンパクト開集合は普通に有限な元と定義しても問題ありません。
また、完備束
すると、有限性は
そこで、これらの概念を用いて連続束 (continuous lattice)と代数的束 (algebraic lattice)[6]を定義します。
(領域理論を知っていれば、それぞれ完備束である連続dcpoと代数的dcpoと定義もできます)
定義17: 連続束、代数的束
完備束
L\text{ is continuous}\iff\forall x\in L, x=\bigvee\{y\in L\mid y\ll x\} L\text{ is algebraic}\iff\forall x\in L, x=\bigvee\{y\in L\mid y\ll y\le x\}
代数的束は常に連続束になります。(way-below関係の性質として
おわりに
お疲れ様でした。ここまで読んでいただきありがとうございました。
順序や位相空間論は非常に面白い分野ですね!こういうのが好きだったら領域理論も絶対好きだと思います。領域理論という広い分野において、意味論の話はごく一部の話にしかすぎず、純粋に順序理論として非常におもしろい分野だと思います。
みなさんも興味があればぜひ束論や領域理論、点なし位相空間論などいろいろ学んでみてください。
改めて、本当にありがとうございました。
-
部分束に閉じないことを言えば十分ですが、例えば完備束
の有限集合のみ取り出した部分束(\mathcal{P}(\mathbb{N}), \subseteq) は明らかに完備ではありません。 ↩︎(\mathcal{P}_\mathrm{fin}(\mathbb{N}), \subseteq) -
完備束
が完全分配的であることと、L とL がともにcontinuous posetであることが同値ってwikiに書いてありました(知らんけど) ↩︎L^\text{op} -
他にも多数決関数による特徴づけなども有名です。 ↩︎
-
無限だと直下の元が一意でも既約じゃない場合があります。(
かつ0<x_1<x_2<...<1 のとき、0<x<1 は直下の元が1 のみですが既約元じゃありません) ↩︎x -
完全分配的代数的束はprime algebraic latticeと呼ばれる、全ての元がcomplete primeの上限と書ける完備束と等価になります。(c. f. "Prime Algebraicity" by Glynn Winskel)無限の場合でも素元による表現性と分配性に深い関わりがあることを示唆しており、分配性についての洞察が深まります。 ↩︎
Discussion