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「光」と「光子」の不思議な性質

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はじめに

現在広く利用されている暗号技術は、量子コンピュータの登場によって安全性が揺らぐ可能性があると指摘されています。この問題への解決策として二つのアプローチが注目を集めています。一つは、量子コンピュータでも解けない計算問題に基づいた「耐量子計算機暗号(PQC)」 です。もう一つは、量子力学の原理を利用する「量子暗号(QKDなど)」 です。

私はこれらの最先端の暗号技術に強い関心があり、独学で得た知識を体系的に整理するために、記事シリーズとしてまとめています。

本記事では、その中でも量子暗号を理解する上で欠かせない、「光」と「光子」が持つ基本的な性質について整理していきます。量子暗号について詳しく知りたい方は、こちらの記事をご覧ください。

1.光の波としての性質

まず、古典物理学でもおなじみの、光が「波」として振る舞うときの性質を見ていきます。

  • 光の速さ・エネルギー: 光の速さ c は、波長 λ と振動数 ν の積で表せます (c=λν)。波としての光のエネルギーは、振動数に比例します。
  • 重ね合わせの原理: 光は互いに衝突せず通り抜けるため、複数の波が重なり合うことができます。これにより、波同士が強め合ったり弱め合ったりする「干渉」という現象が起こります。
  • 波特有の性質: 私たちが日常で目にする光の色、屈折、反射、回折といった現象は、すべて光が波であることから生じます。
  • 電磁波として: 光は、電場と磁場が互いに垂直に振動しながら進む波(電磁波)です。

2.光の粒子(光子)としての性質

一方で、光は「波」の性質だけでは説明できない現象を引き起こします。それが 「粒子」としての性質であり、この光の粒子を光子(photon) と呼びます。

  • 光電効果[1]: 金属に特定の光を当てると、電子が飛び出す現象です。これは、光の粒(光子)が電子に衝突してエネルギーを与えている、と考えると説明できます。

  • コンプトン効果: 光子を物質に当てると、まるでビリヤードの玉のように光子が散乱され、波長が変わる現象です。

  • ノークローニング定理: 一つの光子が持つ量子的な状態を、寸分違わず完全に複製することは不可能である、という量子力学の基本原理です。

「波」と「粒子」という一見矛盾した性質は、「膨大な数の光子(粒子)が集まることで、全体として一つの大きな波のように振る舞う」と解釈することで説明できます。光子の一つひとつは、このような量子的な性質を持つ「量子」の一種なのです。

3.量子暗号の主役、「単一光子」の性質

単一光子とは、ごく短い時間だけ光が放たれる 「パルス」の中に、光子が厳密に一つだけ含まれている状態 を指します。この状態は、光を「シャワー」、光子を「水滴」と例えると、1回のシャワー(=パルス)で必ず1粒の水滴だけが落ちてくるような、理想的な状態です。

  • 光の最小単位であり、量子ビット(0か1か、またはその重ね合わせ状態)という情報を運ぶための最小サイズの「運び屋」として機能します。
  • 偏光や位相といった物理的性質に数学的に記述された量子状態を持たせることができます。
  • ごく短い時間枠(パルス)に光子が厳密に一つだけ存在するため、盗聴者が光子を分割・複製して情報を盗むことができません。
  • 質量がなく、高速で移動するため、外部干渉に強いです(ただし、光ファイバーや空気中では損失あり)。

4.セキュリティ弱点となる、「多光子」の性質

一方で、パルスの中に光子が複数含まれてしまう状態を多光子と呼びます。これは、1回のシャワーで何粒もの水滴が塊になって飛んでくるような状態です。

理想的な量子鍵配送では単一光子を使用しますが、現実の光源からは、ランダムにこの多光子パルスが発生してしまいます。多光子パルスでは複数の光子を含みますが、運ぶ情報、すなわち量子ビットは1ビットのみです。パルス内の全ての光子が、同じ量子ビットを担っている状態です。

これは、セキュリティ上の弱点となります。なぜなら、盗聴者は多光子パルスから光子を一つだけ抜き取って、残りをそのまま受信者に送ることができてしまうからです。受信者側は光子が抜き取られたことを検知できないため、気づかれないまま情報が盗まれてしまいます。これはPNS攻撃と呼ばれる代表的な攻撃手法です。

5.量子状態がもたらす究極の安全性

量子信号とは、単一光子などの「運び屋」が、量子ビットという情報を乗せて通信路を進んでいる状態そのものを指します。この安全性は、光子が持つ量子状態に由来します。

  • 重ね合わせ: 観測されるまで、情報は「0でもあり1でもある」という複数の可能性が重なり合った状態にあります。
  • 複製不可能 (ノークローニング定理): 光子が持つ量子状態を、寸分違わず完全にコピーすることは不可能です。
  • 観測による変化: この状態は非常に不安定で、盗聴者が観測(測定)した瞬間に重ね合わせ状態が壊れ、ビット情報(0か1)が確定します。

この「観測しただけで状態が変化する(=痕跡が残る)」という性質こそが、量子暗号の安全性を保証する核心部分です。

用語 説明 例(DVDと映画での例え)
量子状態 光子などが持つ、情報そのもの。物理的な性質(偏光など)で表現され、観測されるまで確定しない。 DVDディスクに記録された、再生するまで内容が確定しない 「映画の映像データ」そのもの
量子ビット (qubit) 量子状態によって表現される、情報の最小単位。「0」と「1」の重ね合わせ状態を持つことができる。 映画のタイトルやジャンルなど、映像内容を形式的に表現した 「データの単位」

少し発展:量子もつれとは?

量子もつれ(エンタングルメント)とは、ペアになった2つの光子が、どれだけ離れていても、片方の状態を観測すると、もう片方の状態が瞬時に確定するという、不思議な相関関係のことです。

QKDには、これまで説明してきた単一光子の「重ね合わせ」を利用する方式と、この「量子もつれ」を利用して盗聴を検知する方式の2種類が存在します。



<盗聴検知に重ね合わせを利用する方式>


脚注
  1. 光電効果:金属に振動数vの光が照射されると、光子は金属中の電子に衝突し、エネルギーを電子に与える。電子は受け取ったエネルギーhv(=E)を使用して、金属の束縛から脱出しようとする。光子から受け取ったエネルギーが仕事関数W(金属表面から飛び出すために必要なエネルギー)よりも大きい場合、金属表面から飛び出すことができる。光電子(金属表面から飛び出した電子)のエネルギーは、光子のエネルギーから仕事関数を差し引いた値になる。(E'=hv-W) ↩︎

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