ゲームのストレスを排除すると起こる事
良いゲームを作る上で大事な事は、ゲーム中の難しい要素を消す事ではない。
この記事の意図
この記事では、安易にゲームのストレスを排除すると起こる事と、ゲーム内のストレスについて自分の視点が間違ってたなと最近思った事を書いてみる。
あたりまえだけどゲームデザインを考える時、ユーザーにどうやったら楽しんでもらえるかな?と考える。
色んなゲームを遊んでみて「もっとこうだったら良いなぁ」と自分なりに落とし込むようにしているんだけど、僕はプレイヤーが感じるであろうマイナスの感情を生む要素を出来る限り無くそうとしている傾向にあるなぁと気付いた。
自分がそう思ったんだからそれで進めてたんだけど、ふと、自分の1番好きなゲームを思い浮かべて思った。
僕はEscape from Tarkov(タルコフ)というプレイヤーにとって1mmも優しくないゲームが1番好きなのである。
★Escape from Tarkovとは
タルコフというゲームを知らない人のために簡単に説明すると(多分ほとんどの人が知らない)、ロシアを舞台にリアル志向の銃撃戦を体験できる硬派なゲーム。でしょうか。
このゲーム最大の特徴は、レイドと呼ばれるマップ毎に設定された時間内にマップから脱出できればそのレイド内で拾ったアイテムはすべて自分のものになるところ。
逆にレイド内で敵プレイヤーに倒された場合、そのレイドに自費購入で持って行った装備やアイテム、そのレイドで拾ったアイテムも全て無くなるという要素だ。
ゲームのホーム画面には自分の倉庫があり、そこにはアーマー(防弾チョッキ)や武器、武器の弾、マガジン、お金、拾ってきたアイテム等々、自分の資産がたくさん入っている。
みんな自分の資産を増やしたり、クエストをクリアするためにレイドに出る。
レイドから無事に帰る事ができれば資産は増えていくし、レイドで負け続けると自分の資産が減り続けるという感じ。
レイド内でのアイテムの所持制限は自分が持って行ったリュックのサイズで変わるし、重量制限もゲーム内レベルが低いと重いものは持てない。だから常に取捨選択に迫られる。
鱗滝さんから「判断が遅い」と言われたプレイヤーはアイテムの取捨選択中に倒されるのだ。
負けたくないという思いが他の対人戦ゲームの何倍もあるがゆえに、ゲーム中はずっと緊張感が続く。気を抜いたプレイヤーから倒されるからだ。
このいくつかの特徴のお陰でストレスが半端じゃなく大きいし、誰にも勧める事の出来ないゲームではある。実際に僕の知ってる友人3人は、初めて3日経たずに全員辞めているのを見た。
ではなぜ僕は楽しんでいるし、このゲームを楽しんでいるプレイヤーが沢山いるのか。
多分、難易度が高いゆえのたまーーーに上手く行った時の快感が忘れられないんだと思う。
10万で用意した装備を着てレイドに出かけ、レイド中に100万装備の人を倒して無事に帰れると、その差額分、いや、気持ち的には天に昇るほど気持ち良いのだ。
この快感が不定期に来るから辞められないんだけど、この快感とストレスを脳内で天秤にかけてストレスがその人の中で大きく勝った時、このゲームを辞めてしまうんだと思った。
これがタルコフというゲームで、他の人にこのゲームを安易に勧める事ができない理由なのだ。
★ゲームのストレスとプレイヤースキル
で、大事なのはここから。
ゲームのストレスを排除するという事は、そのゲームの良さを消す事にも繋がる可能性があるのではないかという事。
例えばタルコフというゲームでは、レイドで倒されてもアイテムも何も失いませんよ。と言われると、じゃあ他のゲームで良いか。となると思う。
だって他プレイヤーの装備を見つけた時の快感を感じられないんだからね。もちろん自分が倒されて装備を根こそぎ持って行かれるストレスは無いけど。w
そんな感じで、タルコフからストレス要素が無くなった場合、ゲーム性は変わるけどAPEXとかCODで良いかぁってなるんだろうなと思う。
倒される前に倒す。これを続けることができればタルコフにおいては楽しく快適にプレイできる。
重要なのはゲームのストレスはどこにあるのか?という事。
タルコフの場合、マップ理解度が高かったり、立ち回り方が良かったり、銃の撃ち合いに強ければこのストレスはおおむね解消できる。
つまりプレイヤースキルが高ければストレスを感じる機会は少ないのである。
スキルというと才能とかなんとか色々と意見はあるだろうけど、プレイヤースキルはプレイヤーの努力で積み上げる事ができると僕は思っている。
ストレスの元がプレイヤースキル不足の場合、それはきっと良いストレスだと最近思っている。
プレイヤースキルが高い方が勝負に勝てる可能性が高い。ゲームが上手だったり頭が良い人の方がゲームに勝つ確率が高くなるのだ。
じゃあプレイヤーはどうするか?上手になる為に(スキルを上げるために)練習したり、いっぱいゲーム遊んだり、勝つための戦略を立ててみたりするだろう。
勝つために勉強したり学んだりするんだから、ね?学びがあると人間は楽しい。
学びが無くなるとそれはもう誰からも見向きもされない。
ゲームでもアニメでもドラマでも自分の経験を振り返ってそう思った。学びや発見が無くなったと感じた時点でその物事には飽きたなって。
プレイヤースキルの幅調整はゲームデザイナーとして頑張る。。。
で、ストレスの元がプレイヤースキルじゃない場合、特に理不尽なものはもう本当にダメだと思う。
ゲーム中にいきなり画面が固まるとか、どこかに挟まって動けなくなるとか。
こんなものは最低最悪で、自分の考えたゲームでは絶対こんな事は許さない。
まぁこれは納得いくまでバグ修正がむばります。。。
ではプレイヤースキル以外がストレスの元になっていた時はどうしようか・・・?
★価値の置き換え
ビジネスでは当たり前だけど、価値の置き換えってかなり基本的な事だと思っている。
タルコフというニッチなゲームで紹介しても分かりにくいので、ちょっとここで日常的な例えを挟んでみる。
例えば、今は日本でも主流になりつつあるクレジットカードや電子決済。
これは小銭やお札の金銭的価値をそのままに、カードやスマホの内部に支払いに対する十分な残高があればそれだけで支払いが完結する。というかなり便利なものだから普及していると思っている。
クレジットカードや電子決済は「支払い方法」を便利にしたもの。
今までお札や小銭をわざわざ財布から出していた支払い方法を、カードやスマホでタッチなどのお金を払う方法に価値の置き換えをして成功した事例だと思う。
多分だけど、お札や小銭を出すストレスだけ考えて「会計の時にお札や小銭を出すのはストレスなのでお札や小銭を無くしましょう」という考えには基本的には至らない。
(資本主義反対等の討論はしたくないのでここへのツッコミは無しで。)
お金の持つ便利さや金銭的価値をそのままに、財布からお金を取り出すという面倒な支払い方法に目を向け、この支払い方法を別のものに置き換えた。という天才的な案は、お金を無くそうと思ったら出てこないよね。という話。
でもゲームの場合、要素の悪い部分だけ見てその悪い所を無くすかマイルドにするみたいな事を自然と考えてしまっていたなぁ。。とつくづく思って反省した。
これに気付いた時、自分の考えは間違っていたのだと思ったし、ゲームを考える時にジャストアイデアだけでゲーム仕様の話を進めるのは要素の洗い出しが甘く、危険なんだろうなと思った。
これから僕のやるべきことは、ゲームデザインを一通り作ってみて頭の中でテストプレイをする。その時に出てきたストレスの元を考えてみる。
そのストレスがプレイヤースキルからくるものであれば、それを骨として構成の肉付けを考えてみる。
ストレスがプレイヤースキル以外の物であれば、それは恐らく長所も曖昧なので価値の置き換えを考えてみる。
ってことだろうか。
ちなみに、タルコフを始めてからは対人戦のゲームで緊張しなくなったので、対人戦ゲームを好んでやる事はなくなった。
話題作を遊びに行くことはあるけど、色々考えた結果「タルコフで良いか」となる。
これは多分、僕が「対人戦には非日常の緊張からくる興奮」を求めているからだと思う。
前まではフォートナイトとかAPEXで最後の1対1になった時は緊張してたから楽しかった。というのが僕の中での証明になっている。
僕の中で対人戦ゲームの価値の置き換え(タルコフより興奮するゲームの出現)が起こらない限り、きっとタルコフ以外の対人戦ゲームをやらないだろう。
世界のどこかにいる誰かの価値の置き換えをやりたい場合、そのコストはたぶん高い。
価値の置き換えが難しい事はフォートナイトのディスカバリーとか流行りを見ていれば分かる。
あるゲームを公開した第1人者に2番煎じの人達は基本的に勝てない。
でも2番煎じを極める事が意外と有効な事はビジネスで分かっている。もちろん丸パクリは良くないので、アレンジを加えてからね。
だからこそ、本家を超えるほどに面白いアレンジをしっかり考えていきたいと思ってる。
ちなみにタルコフでは、プレイヤースキルを上げる以外にもゲームを楽しむ方法はいくらでもある。
他プレイヤーとの接敵を避けるために銃声が鳴った方には行かないプレイヤーもいるし、レイド開始後は草むらに隠れてしばらく時間が経った後に行動を開始するプレイヤーもいる。
僕みたいに銃声が鳴ったら急いで駆けつけるタイプも多いだろう。
タルコフにおいてはプレイヤーが戦うか、戦わないかを「選択できる」というのが良い点だと思うし、きっと良いゲームはその選択肢をプレイヤーが把握できている所にあると思う。
プレイヤーにとっての選択肢を複数個用意し、提示してあげるのもきっとゲームデザイナーの仕事だと思う。
プレイヤーの遊び方については予想外のものは多いと思うけどね。
関係ないけど最近、絵本の描写がマイルドになってるらしい。
桃太郎の話では鬼を怒鳴って退治するとか。
これ、鬼という言葉・存在そのものを否定している気がして個人的にはあまり好きではないと思った。
絵本には絵本から学べる事はあると思うし、鬼を怒鳴って退治できるってなるとそれは鬼の存在価値、暴力に対する考え方を子供の頃に感じて考える機会を奪っている気がする。
今日の記事でいう所の「悪目立ちしている要素だけ無くしました!どう?ノンストレスでしょ?楽しいでしょ!?!?」が間違っていると思う。という1つの例だと思う。
絵本には本来の鬼退治方法を記載したうえで、子供が「鬼を叩いたらかわいそうだから怒鳴って退治すれば良いのに」と言ったらそれは子供にとっての1つの答えが出たという事で、本来の絵本の役割を果たしていると思うんだけどなぁ。。
と、本当に関係ない話なので、外部圧力とか世間の風潮って怖いね。っていう個人的意見のまとめとして書いておきます。
★この記事のまとめ
ゲーム中のストレスには種類がある。
ゲーム内に存在している様々な要素の本質を見るって大事。
僕のディスコードアクティビティが「Escape from Tarkov」になってた場合は、あ、こいつは刺激を求めに行ってるんだな。と思っていてください。w
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