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インターネットの歴史について

2022/07/15に公開

この記事では、インターネットの歴史について学びます。インターネットは世界中のコンピュータ同士をつないでいますが、どのようにして現在の形となったのでしょうか。歴史からその特徴を考えてみます。

インターネットとは?

インターネットとは世界中のコンピュータをつなぐための通信網です。それは元々、世界規模で構築されたものではありません。1969年にその原型が誕生してから現在まで、様々なコンピュータを相互接続することで発展してきました。一気にインフラが整った!というよりか、色々な試行錯誤を経て発展してきた..というのが実状に近いです。

冷戦時代

ネットワークは元々、ソ連からの攻撃に耐える通信網を作るため始まりました。背景には、アメリカのユタ州で起きた爆発事件があります。

第二次世界大戦後、アメリカとソ連は冷戦に突入し、軍拡・宇宙開発競争を繰り広げていました。ソ連はアメリカに先んじて、ロケット打ち上げの実験を次々と成功させます。

ソ連の技術に追いつくため、アメリカ政府はARPA(高等研究計画局:Advanced Resarch Projects Agency)を創設します。(AARPAの名前はのちに、世界初のネットワークの名前にも付けられています。)ソ連からの核攻撃におびえる中で、ついに決定的な事件が起こります。

爆破による機能不全

ユタ州西部で謎の爆発が発生しました。この爆発により、砂漠に建てられていた3つの電話中継基地が破壊されました。軍事回線・テレビ回線・長距離電話回線などが不通になってしまいます。

この爆発は誰が起こしたモノか?というのはどうでもよくて、ここで重要なのはその結果です。

わずか3つの電話中継基地が破壊されただけで、軍事回線が使えなくなり、国防の通信システムがダウンしました。砂漠にある電話局が壊れるだけで国防のシステムがダウンする..という、アメリカにとってこれは衝撃的な事件でした。 当時の通信システムの脆さ・危うさを突きつけられた事件でした。

中央集権的な通信システム

当時の通信ネットワークの代表は電話でした。電話ネットワークは中央の交換機に個々の電話がつながっている構図です。

そのため交換機のある電話局が破壊されたら、全ての通信がストップしてしまいます。これでは耐久性のある通信システムとは呼べないですよね。そこでアメリカはソ連から攻撃を受けても耐えうるネットワークの研究に着手します。

電信に戻ろう

RAND研究所職員であるポールバランは「分散型ネットワーク通信」のアイディアを考えます。バランのアイディアは「電信に戻ろう」というものでした。

手紙→電信→電話→テレビ→(今ココ)..と通信技術は進化していくのですが、より強力なネットワーク作りのためにあえて、昔の電信にアイディアを借りたのです。

電信とは、電気のON/OFFオフによってメッセージをやり取りする仕組みです。 例えば、「ありがとう」という文字を送る際、それぞれの文字を電気のON/OFFに変換します。1文字1文字をそれぞれ対応する0と1の電気信号に変換し、この電気信号でやり取りを行います。

この仕組みをインターネットにも応用することを考えます。メッセージを丸ごと送るのではなく、細かく分けて送ることにしました。これは現代のTCP/IPのアイディアそのままです。

バケツリレーに近いシステム

電信は目的地を決めるだけで、厳格にルートを決めることはしません。それぞれの基地局がすることは1番近い隣の局へメッセージを渡すことだけです。それをバケツリレーのように繰り返して、目的地を目指します。

悪く言えば行き当たりバッタリに見えるでしょう。しかし電話のように、線が切れたり電信局が破壊されたりしても問題ありません。なぜなら、そこを迂回すれば電信なら情報を届けることができるからです。またバラバラに出発したメッセージたちも、目的地で再構成できれば問題ないですよね。バランはこの電信の通信システムをコンピュータで実現させようと考えたのです。

早すぎたアイディア

バランのアイディアは画期的なものでしたが、当時は受け入れられませんでした。バランの考えたメッセージブロックの考えは(従来に比べれば)どこか緩いルールであり、当時の人々には理解し難いモノでした。

確かに1対1でモノ同士をつなぐ、電話の方が直感的に理解しやすいですよね。人類はそれまで長らく1対1対によって通信を行なってきました。(電信などのケースを除いて。)メッセージを一度パケットへとバラバラに分解して送信し、それを受信側で再構築する..というのはかなりイメージが難しいです。「データを細切れにして送信する」というアイディア自体は1960年代には提唱されていたモノではありました。しかしうまく周囲の賛成を得ることはなく、そのままお蔵入りとなってしまいます。

ARPANET

1969年、ついにインターネットの原型とも呼べるモノが開発されます。アメリカ国防総省の研究によって、ARPANETというコンピュータネットワークが作られます。インターネットのように世界中をつなぐためのモノでなく、米国内の4つの大学をつなぐとこからスタートしました。

そもそもARPANETは大学や研究機関のためのものでした。大学や研究機関には計算やデータのやり取りのため、たくさんのコンピュータが必要とされます。しかし当時はコンピュータを1台買うだけでも莫大な費用がかかります。そこでコンピュータ同士を結び付けて情報を共有しようとしました。

ARPANETは徐々に拡大し、通信方式の見直しを経て世界中に広がりました。これが後にインターネットと呼ばれるようになります。

TCP/IPとUNIX

ARPANETではただ単にネットワーク間をつなぐための研究がされていたわけではありません。パケット交換でデータを送るだけでなく、それをきちんと安全に送るための仕組みが研究されました。コンピュータ間で信頼性のある通信をするための約束事(プロトコル)として、1970年代前半にTCP/IPが開発されます。その後82年まで研究が続き、83年には ARPANETで使う唯一のプロトコルとなりました。

ただしARPANET(後のインターネット)はすぐに広まったワケではありません。というのも当時のコンピュータやネットワーク資源は非常に高価でした。コンピュータはフロアを埋め尽くすほど巨大で、とても一般人や企業が買えるような金額ではありませんでした。また接続回線も高価であり、企業や研究機関のみで利用されるに留まりました。技術の発展によってコストが段々と下がっていく中で、世界中へと広まっていきます。

またTCP/IPが広く普及した背景にはUNIXがありました。1980年前後の大学や研究所などでは、コンピュータのOSとしてUNIXが利用されていました。このUNIXの内部にTCP/IPが採用されたのです。また旧SunMicroSystems社もTCP/IPを実装した製品を提供し始めました。2つの後押しを受けてインターネット=TCP/IPという仕組みが利用されるようになっていきます。

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