COBOLの現場で、わかものは何を学んだか
🏯 物語のはじまり
ある大きな会社に、新人の「わかもの」が配属された。
その会社には「ホストさま」(メインフレーム)と呼ばれる巨大な鉄の箱があり、
COBOL(こぼる)という古くて力強い言語で日々の業務が動いていた。
わかものは、真っ黒な画面と向き合いながら、
COBOLとJCLという名の呪文を必死に覚えていく。
そのそばには、いつも"こぼるおじさん"がいた。
おじさんは黙々と作業をこなし、時おり無言で目だけを鋭く光らせていた。
⚠️ アベンドと 調べられぬ世界
ある日、わかものが流したジョブが、
ABEND U4038
を吐いて停止した。
ログを読み、JCLを見直しても、どこがおかしいのかわからない。
「U4038……? ユーよんぜろさんはち……?」
焦ったわかものはブラウザのアイコンにポインタを伸ばしかけて、はっと気づく。
- この端末はインターネットに繋がっていない
- USBも使えず、Google検索もできず、チャットもない
- あるのは、ダンプリストと紙の資料と自分の目だけ
結局、分厚いアベンドコード一覧(A4バインダー)をめくり、
それらしい文言を探し当てたとき、背後からおじさんの声が静かに響いた。
「U4038は、パラメータの渡し方ミスってるだけ。
SYSIN DD の終端、忘れてないか?」
わかものは驚いた。
おじさんはログも見ずに、すでに分かっていたのだ。
📜 紙に刻む しるし
コードを修正し、いよいよテストに入ると、
次に待っていたのは紙による証跡作成だった。
- コンパイルリストを印刷
- テストケースごとの処理箇所にマーカーで線を引き、端にIDを書き込む
- ダンプリスト(メモリダンプの紙出力)も机に積み上げる
ダンプリストは、分厚い紙にびっしりと16進数と謎の記号が並ぶ。
「このアドレスの値が…」
と追いかけていくと、時折現れるE3C1C6C9C3
。
「これ、何だ?」
と首をかしげるわかものに、おじさんがぽつり。
「それ、EBCDICだよ。ASCIIじゃなくて、ホストさまの世界の文字コード。
E3C1C6C9C3は"F A I C"……いや、"F A I L"か。
慣れれば読めるようになるさ。」
わかものは、EBCDICの変換表とにらめっこしながら、
ダンプリストの海に溺れそうになりつつ、
「紙と16進数と格闘する日々って、現代の仕事なのか…?」
と遠い目をするのだった。
何百ページもある紙をめくりながら、
わかものはひたすら蛍光ペンでラインを引き続けた。
「この PERFORM が CASE-001、ここの EVALUATE が CASE-009……」
「このIFのブロック、前処理か? 本体か? ……じい……じゃない、おじさんに聞くか……」
マーカーは何本も消え、
紙の山は少しずつ傾きながら、机の上に積み上がっていった。
🗒️ 付箋地獄のはじまり
そして、ついに証跡を提出する日がやってきた。
「これで大丈夫だろう」と思いながら、分厚い紙の束をおじさんの机にそっと置く。
数日後、返ってきたリストを見て、わかものは絶句した。
紙の端から端まで、カラフルな付箋がびっしり!
- 「ここ、チェック漏れ」
- 「このテストケース、証跡が曖昧」
- 「マーカーの色が途中で変わってる」
- 「このページ、なぜかコーヒーのシミが……」
まるで付箋アートのようなリストを前に、
わかものは自分の"証跡"が、「やったこと」ではなく「やらかしたこと」の証明になっていることに気づく。
「……証跡ってのは、"やったこと"じゃなくて、"ちゃんとやったことがわかること"だから」
おじさんは静かにそう言い、付箋だらけのリストをわかものに手渡した。
わかものはうなずき、静かにリストを引き取り、今度は付箋の数を減らすことを目標に、ページを最初からめくり直した。
そんなある日、わかものはふと、おじさんの作業を横目で見て気づく。
おじさんは、端末に向かう前に、分厚いリストや設計書をじっと眺めては、
紙の上でペンを走らせ、時には指でなぞりながら、
「ここで値がこうなって…」
「この分岐は…」
と小さくつぶやいている。
「おじさん、それ…何してるんですか?」
「机上デバッグだよ。紙の上で流れを追って、バグや漏れを見つけるんだ。
実際に流す前に、頭と手で考え抜く。
それが一番の近道だったりするんだよ。」
わかものは、最初はピンとこなかったが、
付箋だらけで返ってきた証跡を前に、
「机上で考え抜くこと」の大切さを、少しずつ実感していくのだった。
🛤️ そして、旅立ちのとき
月日が流れ、
わかものはやがて、この世界が自分には向いていないと気づく。
COBOLやホストさまが嫌いというわけではない。
むしろその無骨さと確実さ、そしておじさんの手仕事の美しさには尊敬すらあった。
けれど――わかものは、もっと変化が早く、もっと不確実な場所で生きてみたいと思ったのだ。
似たような保守案件、決まった手順、静かなフロア。
「このままここで、ずっと同じ景色を見ているのだろうか」
と、ふと不安になる夜もあった。
一方で、証跡の山やダンプリスト、EBCDICの謎解きに頭を抱えた日々は、
今思えば、どこか懐かしく、そして少しだけ誇らしい思い出になっていた。
退職を申し出た日、おじさんは特に驚いた様子もなく、
「そうか」
とだけ静かにうなずいた。
それからの数週間、わかものは引き継ぎや最後の証跡整理に追われながらも、
おじさんの作業を何度も横目で見ていた。
無口な背中、紙の上を滑るペン、時折見せる小さなため息。
「この背中は、これからも現場で、誰かのつまずきをそっと支えていくのだろう」
と思った。
最後の日、わかものは自分の机を片付けながら、
「ここで過ごした日々は、決して無駄じゃなかった」
と静かに思うのだった。
🧓 おじさんの最後の言葉
最後の日、わかものが帰り支度をしていると、
こぼるおじさんはパソコンから顔を上げず、ただこう言った。
「今の仕事は、やる内容はあまり変わらないけど、ひとつひとつに高い精度が求められる。
ベンチャーは、やることも仕様もどんどん変わるけど、その変化に柔軟に対応しなきゃいけない。
……大変なのは、どっちも同じだよ」
そして、ひと呼吸おいてから――
「でもな。紙の上に引いたマーカーの線みたいな仕事は、
意外と、どこに行っても役に立つかもしれんぞ」
わかものは黙ってうなずいた。
🌃 わかもののその後
その後わかものは、
クラウドとWebの世界に身を投じ、
慌ただしい毎日の中、幾度となく深夜に及ぶ開発や仕様変更と戦った。
ある日、ふと夜中にひとりで真っ黒な画面でログを眺めていると、
どこか懐かしい静けさに包まれて、思わず笑ってしまった。
「……あのときの、U4038……」
「……あれは、たしかに地獄だったけど、今思えば――ちょっとだけ美しかった気がするな」
📜 おしまい
今もどこかで、
こぼるおじさんは静かな手つきでキーボードを叩き、
新しい誰かの挑戦を、温かく見守っているのだろう。
そして、
いつかまた、どこかの現場で偶然再会するその日まで――
わかものは、今日もクラウドの空を見上げている。
時代は変わり、技術も働き方も大きく進化した。
今や、コードはクラウド上で動き、
デバッグも開発も、AIが色々提案してくれて実行までやってくれる。
けれど、どれだけ便利になっても、
あの紙の束と蛍光ペン、
そして"こぼるおじさん"の静かな背中から学んだことは、
わかものの中で、今も確かに生きている。
「どんなに時代が変わっても、
ひとつひとつの仕事に向き合う姿勢だけは、
きっと変わらない」
そう信じて、
今日もまた、新しい世界で手を動かし、
時にはふと、あの静かな現場を思い出す。
そして、
もし自分が誰かの"おじさん"になる日が来たら――
あのときのように、
そっと背中で語れる人でありたいと、
わかものは静かに願っている。
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