「模範」ってなんだろう?を考えた話
はじめに
エンジニアとして3年目を迎え、背伸びするような挑戦的な仕事も増えてきました。
前例のないプロジェクトやタスクにもまれながら、期待に応えようと必死にくらいつく毎日。
正直、大変なことも多いけど、その分だけ成長を実感できて、充実した日々を送っていました。
そんなある日、先輩からふと「そろそろ模範になることも意識してみたら?」と声をかけられました。
正直、ピンとこなかったんです。
僕にとって大事なのは、難しい課題を乗り越えてスキルアップすること。「無茶振りこそ成長のチャンス!」とさえ思っていました。
だから、組織が求める「模範」って、なんだか窮屈で、あまり魅力を感じられずにいました。
この記事は、そんな僕が「模範ってなんだろう?」という問いと向き合い、自分なりに腹落ちする答えを探してみた、そんな思考の整理の記録です。
きっかけは「日報」
先輩に言われた「模範」という言葉が頭の片隅にあったころ、僕は日報の提出が遅れがちであることを指摘されました。
指摘されたのは、こんなリスクの話。
- 成果を出していても、「ちゃんとやるべきことをやれていない」と見られて、評価で損をするかも。
- 「エンジニアとしての前に社会人として見られる立場にある」ことを考慮すると、自部署に後輩を配属しにくくなるかも。
頭ではわかる。わかるんだけど、どうにも腑に落ちない。
だって、僕としては「難しいお題に応えるのが一番大事じゃん!」って思っていたから。
成果さえ出せば、日報みたいな「型」は二の次でもいいんじゃないか?と。
でも、ただルールに従うだけじゃつまらない。なんで日報が出せていないんだろう?なんで「模範」を意識できないんだろう?
そう考えていくうちに、「ルールの裏側にある意図を理解して、自分なりのやり方を見つけるのが大事なんじゃないか」と思うようになりました。
「模範」って、誰のため?
考えてみると、「模範になる」って、自分のためだけじゃないんですよね。
自分が当たり前にやっていることが、いつの間にかチームの「普通」になっていく。
それが良いことであれば、チーム全体の文化や雰囲気が良くなっていく。
後輩からすれば、先輩の姿は一番身近な教科書。
僕がどう仕事に向き合うかが、後輩たちの道しるべになるのかもしれない。
そして、周りから「あいつは信頼できるな」って思ってもらえれば、もっと面白い仕事や大きな役割を任せてもらえるチャンスも増える。
結局、「模範」って、自分の評価のためだけじゃなくて、チームや組織を良くしていくための、静かだけどパワフルなアクションなんだなと。
でも、やっぱりモヤモヤする
とは言え、やっぱり僕の中には葛藤がありました。
僕にとっての成長は「無茶振りに応えること」。
高い壁を乗り越えることに喜びを感じるタイプだから、「ルールを守る」みたいな守りの姿勢は、どうにも成果に直結する気がしなかったんです。
日報を例にとってもそう。
日報の目的は「振り返りの習慣化」や「コンディションの把握」だと聞かされても、
「振り返りはいつもやってるし、コンディションも良いって言ってるじゃん!」
って、心の中で思ってました。
今思えば、これってすごく独りよがりな考え方ですよね。
僕がいくら「大丈夫」と言っても、周りから見れば「あいつ、本当に大丈夫か?」「ちゃんと振り返りできてるのかな?」って心配になるのは当たり前。
こういう小さなすれ違いが、信頼を少しずつ削っていくんだと気づきました。
大事なのは、白か黒かじゃない。
自分のやり方を押し通すのでもなく、思考停止でルールに従うのでもない。
例えば日報なら、「集中してて今日中には無理だけど、明日朝一で出します!」って一言伝えるだけでも違うはず。
ルールの意図を汲んで、自分のスタイルを尊重しつつ、周りが安心できる方法を探す。
その「ちょっとした工夫」こそが、信頼につながるんだなと、やっと腹落ちしました。
僕が目指したい「模範」の姿
今回のことを通して、僕がなりたい「模範」の輪郭がおぼろげながら見えてきました。
それは、「完璧な人間」になることじゃない。
ルールを盲目的に守る優等生でも、自分のやり方だけを押し通す一匹狼でもない。
組織やチームのルールに敬意を払い、その意図を理解しようと努める。
その上で、自分の価値観やスタイルとどう調和させていくか、悩み、考え、行動する。
時には、より良いやり方を提案して、ルール自体をアップデートしていく。
そんな風に、葛藤しながらも前に進もうとする姿勢そのものが、僕の目指す「模範」であり、一種のリーダーシップなのかもしれない。
エンジニアは職人であり、クリエイター。自分のこだわりを貫くことは、とても大切です。
でも同時に、僕たちは組織の一員でもある。
自分の「こうありたい」と、組織からの「こうあってほしい」の間で、どうバランスを取っていくか。
この問いに向き合い続けることこそが、僕を、そしてチームを、もっと面白い場所へ連れて行ってくれるんじゃないか。
そんなことを考えた、3年目の初夏でした。
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