システムアーキテクチャから考えるAIエージェント時代のSaaSの可能性
はじめに
自己紹介
株式会社ナレッジワークVP of Engineeringの@hidekです。
CTOのmayahを支えながら、Engineeringチーム全体のマネジメントをやっています。
また、AI Integrationグループという社内のAIを支えるチームのマネージャーも兼任しています。
「SaaS is dead」
昨年末から「SaaS is Dead」という刺激的なフレーズが注目を集めました。しかし、これはすでに語られている通り、文字通りにSaaSが消滅するという意味ではありません。むしろ、従来の単一機能・単一領域のSaaSが次の段階へと進化していることを表現したキャッチフレーズと捉えています。これまでユーザーがブラウザやアプリのUIを直接操作していたSaaSが、AIとの統合により、より高度で複合的なサービスへと進化しているのです。
最新のSaaSでは、LLMなどのAIを活用してユーザーデータを解析し、外部サービスともシームレスに連携できるようになっています。このようにサービス自体がAIや多様な外部機能との連携を前提に設計される時代となり、その転換を「SaaS is Dead」と表現しているのです。さらに「SaaS is Function」という概念も登場し、ソフトウェアがサービスとして提供される従来のモデルから、サービス自体がAIや多様な機能と一体化する新しいモデルへの移行が進んでいます。
つまり、SaaSは終わるのではなく、「SaaSが新しい形で生まれ変わる」と捉えるべきでしょう。生成AIの進化により、「AIエージェント」がユーザーの操作を代行する世界へとシフトしています。その結果、人間がUIを操作する従来型のSaaSから、AIエージェントが裏側でAPI経由で処理を行う新しいモデルへシフトする可能性が高まっています。
このような変革の中で、「MCP」という技術規格が注目を集めています。このブログでは、これからのSaaS、特にVertical SaaSがAIエージェント時代にどのように変化していくのか、システムアーキテクチャの観点から考察していきます。
MCPの登場とSaaSの役割の変化
MCPとは(Model Context Protocol)
MCP(Model Context Protocol)とは、2024年11月にAnthropic社が公開した生成AIと外部システム連携のためのオープン標準規格です。簡単に言えば、AIモデル(LLM)に追加の文脈データやツール操作機能を提供するための共通インターフェースを定めたプロトコルです。
従来、AIと外部サービスを繋ぐには個別にAPI実装や認証を行う必要がありましたが、MCPに対応すれば異なるデータソースやツールへの接続方法を標準化でき、まるでUSB-Cポートにデバイスを挿すように簡単にAIを周辺システムと接続できるようになります。
特徴として以下があります。
- オープン性: Anthropic 社がオープンに仕様や SDK を公開しており、ベンダーに依存せず、誰でも実装可能です。
- 標準準拠: 通信は JSON-RPC 2.0 ベースで、既存の開発フローやツールに組み込みやすい規格です。
- セキュリティ: 認証・認可や暗号化通信に対応していることに加えて、監査ログの取得などでコンプライアンスにも配慮しています。
- スケーラビリティ: AIホスト1つで複数サーバー利用、1つのサーバーで複数クライアント受付が可能かつ、軽量モジュール構造で用途ごとの拡張が容易です。
- エコシステムの広がり: Python や TypeScript, C# など複数言語の公式/非公式 SDK やライブラリが整備されつつあり、短期間でエコシステムが充実し始めています。
MCPはAIアプリケーション(ホスト)側のクライアントとサーバー側モジュールのやりとりを標準化し、SlackやGmailなど複数の外部サービス(MCPサーバー)を一つのハブに挿すように接続できます。各MCPサーバーはローカルデータソースやリモートサービスへの橋渡し役となります。
MCPはクライアント-サーバー型のアーキテクチャを採用しています。
- Host(ホスト): ユーザが直接触れるLLMアプリケーションです。例としてClaude DesktopアプリやIDEプラグイン、独自開発のエージェントなどがホストに該当します 。ホスト内部にLLM(モデルそのもの)と複数のMCPクライアントが存在します。
- MCP Client(クライアント): ホスト内で動作し、個々のMCPサーバーとの1対1接続を管理するコンポーネントです。ホストは必要に応じて複数のクライアントを起動し、それぞれ別のデータソース(サーバー)に接続できます。
- MCP Server(サーバー): 外部データや機能を公開する軽量なプログラムです。各サーバーは特定のシステムの能力(例: ファイルシステム、Slack API, データベース等)をMCP経由で提供します。サーバーはMCPクライアントからの要求を受け取り、定義されたインタフェースでデータや機能を応答します。
この仕組みにより、AIエージェントにない最新情報や企業固有のデータにも動的にアクセスできるようになります。MCPによる統一インターフェースのおかげで、新しいデータソースを追加するだけでAIの能力を拡張でき、接続ごとに異なる実装をする必要がなく開発効率も向上します。さらにアクセス制御や監査ログを一元管理できるため、セキュリティとデータガバナンスの面でも優れています。
このようにMCPはAIと現実世界をつなぐ標準的な橋渡しとなり、「AIエージェント」が企業システムやクラウドサービスと安全に連携するための土台となりつつあります。
MCPアーキテクチャにおけるAIエージェントとSaaSの位置付け
MCPアーキテクチャではAIエージェント(ホスト側)がクライアント、SaaSなど外部サービスがサーバーという関係性になります。これは、AIエージェント時代におけるSaaSの新たな役割を示唆しています。すなわち「SaaSはMCPサーバーとして生き残る」ということです。言い換えれば、AIエージェントから見て外部データや機能を提供してくれる存在としてSaaSが機能し続けるということです。
MCPサーバーとしてのSaaSのこれからの役割
上図のように、AIエージェントがユーザーに近いフロント役となり、SaaSは裏側で専門機能やデータを提供するバックエンド役になります。これはSaaSがこれまで提供してきた価値(業務機能やデータ)自体は引き続き重要であることを意味します。UIを通じた直接利用が減っても、SaaSはMCPサーバーとしてAIからの問い合わせに答える形で存続・活用されていきます。
例えば、従来ユーザーが直接SalesforceなどCRMを操作していた場面を考えてみましょう。今後はAIエージェントがユーザーの代わりに「○○社との商談履歴を教えて」とSalesforce(SaaS)にAPI経由で尋ね、SaaSがその情報を返す、といった形になります。ユーザーはAIと対話するだけで、その背後ではSaaSが粛々とデータ提供や処理を行ってくれるという構図です。SaaS各社にとっては、自社サービスを標準化されたAPI(MCP)で公開し、エコシステム内の“機能提供者”になることが今後ますます重要になるでしょう。
一方で、このままではAIエージェントに入り口(ユーザー接点)を奪われ、自社の存在感が薄れてしまうリスクもあります。そこで多くのSaaS企業が模索しているのが、自社SaaSに直接組み込む形でAIエージェント機能を提供する戦略です。つまりSaaS自身がユーザー向けのAIエージェント(対話アシスタント等)を持つというアプローチです。
Vertical SaaSが提供するAIエージェント
SaaS自身がAIエージェントを提供するメリット
SaaSが自社サービス内でAIエージェントを提供することで、ユーザーはSaaS上で自然言語による操作や問い合わせが可能になります。これによりユーザー体験が向上するだけでなく、データガバナンス上のメリットも大きく得られます。
まずUI/UXの視点では、SaaS自らがエージェントUIを持つことで、ユーザーとの接点を維持できる重要な利点があります。他社の汎用エージェントに全てを委ねた場合、最終的な価値はSaaSが提供するデータではなく、エージェント側の体験に帰属してしまいます。一方、自社のAIエージェントを通じたサービス提供により、ユーザーに対する自社ブランド価値を継続的に発揮できます。さらに、自社ドメインに特化したより高精度なアシスタントを提供することで、競合との差別化も実現できます。
また、特にBtoB SaaSにおいては、社内データを外部のサービスに渡さずに済む点が重要です。SaaS提供側が自社内でAI機能を実装することで、機密データや個人情報の第三者漏洩リスクを抑えながらAIの利便性を提供できます。データの保管場所や利用範囲が明確で、企業にとって安心感があります。さらに、業界規制やセキュリティポリシーに準拠したAI利用の制御が可能です。アクセス権限の管理や操作ログの監査もSaaS側で一元管理できるため、結果として信頼性の高いAI活用基盤を構築できます。
つまり、SaaSは裏方(MCPサーバー)として機能しながらも、独自のAIエージェントインターフェースを持つという二つの方向での進化が期待されています。
次に、特にVertical SaaS(業界特化型のSaaS)がこの流れでどんな強みを発揮できるかを見ていきます。
Vertical SaaS とは
SaaSの業態にも 「Horizontal(水平型)」 と 「Vertical(垂直型)」 があります。前者は業種を問わず汎用的に使われるSaaS(例: オフィススイートや汎用CRMなど)、後者が特定の業界や業務領域に特化したSaaSです。
Vertical SaaSでは、その業界固有のニーズに合わせた機能やデータモデルを備えており、まさにその分野の専門ツールとして顧客に深く入り込んでいます。
例えば医療業界向けの電子カルテSaaSや建設業向けのプロジェクト管理SaaS、飲食業向けの在庫・発注管理SaaSなど、各業界に特化したソフトウェアをサービス提供するのがVertical SaaSです。私たちナレッジワークもセールスイネーブルメントという特定領域におけるVertical SaaSに分類されます。
Vertical SassSはその分野の業務フローや規制、専門用語などを熟知して作られているため、汎用ソフトにはない付加価値を提供できるのが強みです。では、このVertical SaaSがAIエージェント時代においてどのような利点を持つのでしょうか。
Vertical SaaSがMCPサーバーになるメリット
Vertical SaaSは特定業界の業務データや機能を蓄えている宝庫です。このVertical SaaSがMCPサーバーとしてAIエージェントに機能提供することで、業界固有の貴重なデータソースや専門ツールをAIが活用できるようになります。これはAIエージェントにとって大きな利点です。一般的な知識だけでは対応できない専門領域の課題に取り組むための"知恵袋"を得られるからです。
例えば、あるAIエージェントが建築計画の立案タスクを任されているとします。建築業界のVertical SaaS(例えば建材コスト見積もりシステム)がMCPサーバー経由で利用できれば、そのエージェントは最新の建材価格や在庫情報をリアルタイムに取得して、より現実的で精度の高い計画を立てられるでしょう。汎用AIだけでは到底できないレベルの専門的判断も、Vertical SaaSのデータやコンテキストがあれば可能になります。
SaaS提供側にとっても大きな恩恵があります。自社のVertical SaaSが標準プロトコルで様々なAIエージェントと接続できれば、サービスの需要は新たな形で拡大します。他社の汎用AIエージェントの"頭脳"として自社の機能が活用されることで、エコシステム内で不可欠な存在となれます。つまり、業界特化SaaSはその業界の「知識源」「作業エンジン」として、裏方として幅広く活躍できるのです。これにより、自社サービスの価値提供範囲は人間ユーザーへの直接利用を超えて拡大し、競合との差別化やビジネスチャンスの創出につながるでしょう。
さらに、Vertical SaaSは領域が限定されているからこそ、MCPサーバーとして実装しやすい利点があります。対象とするデータや機能が明確で、API整備も進んでいることが多いため、標準プロトコルでの公開も容易です。MCP対応が業界全体で進むことで、Vertical SaaS群は業界別プラグインとしてAIエージェントを強化する新たな役割を担うことになります。各Vertical SaaSは専門的なドメイン知識をAIに提供し、ユーザー企業への付加価値創出を支えるインフラストラクチャーとして発展していくでしょう。
Vertical SaaSがAIエージェントを提供するメリット
次に、Vertical SaaS自身がユーザー向けにAIエージェントを組み込むメリットを見ていきましょう。この方向性には大きな可能性が秘められています。特定業界に特化したAIエージェント、いわゆるVertical AIエージェントは、汎用AIでは対応できないニッチな課題を解決できると期待されています。
Vertical SaaSは長年蓄積したその業界特有のデータ資産を持っています。AIの出力の質と精度は「学習・参照できるデータ」に大きく左右されるため、豊富な業界データを持つVertical SaaSは、それを強みとして高性能なAIエージェントを開発できます。例えば、医療分野のSaaSが保有する数百万件の症例データを活用すれば、医療相談に特化したAIエージェントが実践的な助言を提供できます。同様に、製造業向けSaaSが持つ設備故障の履歴データを活用すれば、工場の保守計画を高精度に立案するAIエージェントを実現できます。
また、ドメイン知識だけでなくコンテキスト理解でもVertical SaaS由来のAIは優位性があります。各業界で日常的に使われる専門用語や略語、業務フローの文脈を熟知したモデルは、ユーザーの質問意図を的確に理解できます。汎用モデルでは対応できない業界固有の用語も把握でき、不適切な回答を防ぐことができます。これはユーザーにとって大きな価値となり、AIエージェントへの信頼性向上につながります。
さらに、ガバナンス面でもVertical SaaS内のAIならではの安心感があります。法規制やコンプライアンス要件が厳しい業界でも、SaaS提供者は業界固有のルールを熟知しているため、その知見を活かしたAIエージェントを提供できます。具体的には、規制に抵触しない出力内容へのチューニングや、必要に応じた人間によるレビューなど、責任あるAIの運用を効果的に実装できます。例えば金融業向けエージェントでは、「特定の判断が必要なケースでは自動的に人間オペレーターへエスカレーションする」といった運用ポリシーを組み込むことが可能です。
マルチエージェント協調
汎用AIエージェントがVertical SaaSのAIエージェントを活用
興味深いシナリオとして、汎用AIエージェントが必要に応じてVertical SaaSの専門エージェントを呼び出す協調動作が考えられます。これはマルチエージェント協調と呼ばれています。
汎用エージェントは幅広いタスクをこなせますが、特定領域の細部までは精通していません。そのため、専門的なタスクを処理する必要がある場合、適切なVertical AIエージェントにサブタスクを委任し、その結果を統合して最終的な回答を生成します。
例えば、社内の総合AIエージェントが「今月の財務レポートを作成して」と依頼された場合を考えてみましょう。AIエージェントは文章生成や基本的な計算は得意ですが、詳細な財務データの分析には限界があります。そこで、財務分野のVertical SaaSが提供するAI分析エージェントにMCPを通じて、取引明細や予算データの解釈を依頼します。Vertical SaaS側のAIエージェントは、自社のデータベースやBIツールを駆使して精緻な分析結果を返送し、総合AIエージェントはそれをもとに完成度の高いレポートを作成します。このような協調プレーが実現するのです。
このように複数のAIエージェントが連携・分担して動く仕組みは、人間の組織におけるジェネラリストとスペシャリストの協働に酷似しています。ジェネラリスト(汎用エージェント)がいても、専門知識が必要な場合はスペシャリストや専門部署(Vertical AIエージェント)に判断を仰ぐ方が効率的なのと同じように、AIの世界でも得意分野を持つエージェント同士がネットワークで連携し、ユーザーの要求に対して高品質な成果を提供するエコシステムが形成されていくでしょう。
A2A(Agent-to-Agent)の登場とマルチエージェント協調
つい先日Googleが A2A(Agent-to-Agent)というプロトコルを発表しました。これはさまざまなAIエージェント同士が協力して業務を遂行できるようにする、まさにマルチエージェント協調を支える規格です。
MCPはAIアプリケーションと外部ツールをつなぐ規格ですが、A2Aはエージェント同士を直接結びつけることを目的としている点が特徴です。
- オープンかつベンダー非依存: A2AはMCPと同じくオープンなプロトコルであり、特定のAIプラットフォームやモデルに縛られません。
- 既存のWeb標準準拠: プロトコルはHTTPやJSON-RPC、Server-Sent Events (SSE)といった実績のある標準技術を用いて定義されています。
- セキュア・バイ・デフォルト: エンタープライズ利用を想定し、認証・認可の仕組みが組み込まれています。
- 長時間実行タスクのサポート: 数秒で終わるタスクから、人間が絡んで数時間~数日かかるような複雑タスクまで、タスクとステートマネジメントを通じて幅広い所要時間のタスク進行を柔軟に扱えるようになっています。
- モダリティに依存しない: テキストだけでなく音声や動画ストリーミングなど様々なデータ形式のやり取りに対応しています。
まだ発表されて間もない規格ですが、すでに多くの企業が参加表明をしているため急速に広がっていく可能性があると考えられます。
AIエージェントとSaaSサービスの関係、マルチエージェント協調をMCPとA2Aで実装すると以下のようなアーキテクチャになります。
AIエージェント時代に求められるVertical SaaSのデータとUI/UX
データの質・コンテキストと結果精度
AIエージェント時代において、データの質と量はこれまで以上にサービス価値の差を生み出します。大規模言語モデルの推論力(思考の性能)が今後さらに向上し、人間並みの柔軟な判断力を持つようになった場合、次のボトルネックとなるのは与えられるデータの正確性です。いくら賢いAIでも不正確なデータを与えれば誤った結論を導き出してしまいます。つまり、質の高いデータを豊富に保有できれば、精度の高いAIエージェントを提供することが可能になります。
Vertical SaaSが強みを発揮できるのはまさにこの点です。特定業界に根差した良質なデータセットを保有し、そのデータを適切に扱えるドメイン知識があることは、AIエージェントのアウトプットの質を大きく左右します。先述の通り、Vertical SaaS各社はそれぞれの業界に特化した貴重なデータ資産を長年かけて蓄積してきました。これらのデータは各社にとって参入障壁となるだけでなく、AIエージェントの文脈では 「質の高いコンテキストを大量に提供できる源泉」 としての価値を持ちます。
データガバナンスの重要性
また、データのガバナンスの重要性が増しています。AIエージェントの企業内での本格活用に伴い、データアクセスの範囲や自動処理の許容範囲を定めるルール作りと管理が不可欠となっています。SaaSは従来から企業データの適切な管理責任を担ってきた実績があり、その信頼基盤は揺るぎません。今後はSaaSがAIのためのデータ管理プラットフォームとして発展し、データの正確性を保証するフィルターや、機密データへのアクセス権を管理するゲートキーパーとしての役割を担うでしょう。
実際、世界的にAIに関する規制整備が進展しており、これまで以上に強固なデータガバナンスが求められています。企業は自社データを効果的に活用しながらも、データの誤用や漏洩を防ぎ、AIの判断ミスによるリスクを最小限に抑える必要に迫られています。この課題に対し、各種データを一元管理するSaaSがハブとして機能し、AI利用の監視・検証プロセスを提供することが重要となります。具体例として、SaaS上でAIが参照したデータソースや生成したアウトプットを検証できるダッシュボードを実装し、人間による確認を可能にする仕組みが挙げられます。
このように、データの質・量とその統制力こそがAI時代の競争力となります。Vertical SaaSはニッチ領域であるため量的には大手クラウドに及ばないものの、質の面では他では得難い専門性の高いデータを保有しています。この強みを活かしながら、適切なガバナンスのもとで安全にAIへデータを提供すること——それこそがVertical SaaSに求められる使命です。
AIエージェント時代のSaaSのUI/UX
MCPアーキテクチャとは少し離れますが、SaaSにおける UI/UX の変化についても考察をしてみます。
これまでユーザが SaaS を利用する際は、「SaaS 固有の UI にログインし操作する」という形が当たり前でした。しかし、AIエージェントを介してリソースや機能にアクセスできるようになると、ユーザの “SaaS への入口” は必ずしも従来のUIに限定されなくなります。
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AIエージェント(LLMアプリ)のチャットで一通りの操作ができるケース
たとえば「Slack のチャンネル履歴を要約して」「データをダッシュボードに反映して」といった指示を AI に投げれば、裏で MCP 経由でSaaSが呼ばれて仕事が完了するといったケースです。 -
SaaS内部に埋め込まれたLLMアシスタント
たとえば Google Workspace にビルドインされているGeminiのインターフェースなどです。開いているページのコンテキストに応じたアシスタントを受けることができます。 -
SaaSのネイティブUI
詳細な設定や複雑な操作は、テキストベースだけだと煩雑になりがちです。結局は「UI でパラメータを細かく選んだ方がラク」なケースはまだ多いと思われます。
結果として、ユーザへの複数の入り口、複数のエントリポイントが増えていくことになると考えられます。これを前提に UI/UX を考えないと、「どこで何ができるの?」という混乱が起きやすくなるため、全体設計が重要になります。
また、SaaSに求められるUI/UXの役割として可視化・高機能操作へのシフトも考えられます。
AIエージェントからの単純な操作・問い合わせは、テキスト対話でサクッと完結できるようになるでしょう。しかし、複雑な設定や大量の情報閲覧には、やはり従来型のUIのほうが有利と考えられます。
例えばたくさんのドキュメントを一覧表示し、ドラッグ&ドロップで分類・編集するといったUI/UXはチャットだけだと、「あのファイルをどこに入れて…」などと毎回指示するのは面倒だし、可視化ツールやマウス操作のほうが圧倒的に速い場合が多いはずです。
また特定のデータを多次元的に分析しながら可視化するというニーズにおいても、たとえば エクセルのピボットテーブルやグラフのようなUIがあるほうが圧倒的に分かりやすいでしょう。
このように、テキスト対話で簡単な問い合わせを済ませつつ、複雑な操作はGUIで行うという自然な役割分担が生まれるでしょう。AIの分析結果を編集したり、レポートのレイアウトを調整したりする作業も、従来のGUIが優れている領域です。その結果、 SaaSのUIは 「専門的・複雑な機能」 や 「大量情報の可視化・編集」 など、AIだけでは非効率な領域を補完する役割がより重要になっていくと考えられます。
Vertical SaaS AIエージェントに求められるUI/UX
一方、Vertical SaaS自身がAIエージェントを提供する場合、そのUI/UXは専門性と使いやすさの両立が鍵になると考えられます。
- 自然言語インタフェース: 基本はチャットや音声で対話するUIになるでしょう。専門領域の用語も理解できるAIなので、ユーザーは業界の言葉で質問でき、そのまま答えが返ってくる体験が理想と考えます。
- ガイド付きの対話インターフェス: とはいえ、何でもフリーフォーマットにするとユーザーが何を聞けるか迷うこともあります。そこでボタン選択やフォーム入力を組み合わせ、適切な質問のテンプレートを提示するなどガイド付きUIを提供するのも効果的です。専門性が高い分、初心者ユーザーでも扱えるような補助が必要です。
- 出力結果のエクスポート/共有: AIエージェントが作成したレポートやプランを、そのままSaaS内のワークフローに組み込んだり、PDF/Excelに出力したりといった連携UIも求められます。Vertical SaaSならではの各種業務機能とAIをシームレスにつなぐ設計です。
- 説明可能性の確保: AIの結論や提案に対し、「なぜそうなったか」をユーザーが確認したい場面も出てきます。例えば、垂直型AIエージェントの回答に、どのデータポイントが使われたかをハイライト表示したり、根拠となる社内ドキュメントの引用リンクを示すなど、AIの思考過程を部分的に見せるUIがあると信頼性が高まると思います。
- 人間へのエスカレーションUI: 完全自律に任せず、Human-in-the-Loop の考え方に基づいて、人間が結果を確認して承認するフローもUI/UXでサポートすべきと考えます。例えば「AIが下書きを作りました。提出しますか?」という確認画面や、AIでは判断できないケースで人間担当者に意思決定を引き継ぐボタン設置など、人間との協調UIが必要になります。
特にVertical SaaSのユーザーは専門家が多いため、その専門家たちが納得して安心して使えるUI/UX設計が不可欠です。高度な処理を裏でAIが実行しながらも、使い勝手はシンプルで直感的である——このバランスの実現が、Vertical SaaSのAIエージェントに求められる重要な要素となります。
今後の課題
AIエージェントとSaaSの融合には魅力が多い反面、現時点ではまだいくつかの課題も指摘されています。
- AIの信頼性: 大規模言語モデルは時として事実と異なる回答(いわゆるハルシネーション)を生成することがあります。ビジネスでの利用においては、こうした回答をそのまま採用することはできず、徹底的な検証とフィルタリングが不可欠です。SaaSがAIエージェントを提供する場合、それは自社の信用に直結するため、こうした誤りを最小限に抑えることが重要な課題となります。その対策として、Human-in-the-Loopのような人間による確認プロセスを組み込むなどの工夫が必要になるでしょう。
- コスト: AIエージェントの裏では膨大な計算リソースが動いています。高頻度にLLM APIを叩くとAPI利用料金が嵩んだり、オンプレ実行でもGPUコストがかかります。無料だったUI操作と違い、新たなコスト構造を踏まえたビジネスモデル設計が必要なると考えます。
- 規制対応: 業界によってはAI利用に関するガイドラインや規制が整備されてきています(例えば医療AIの認可手続きなど)。Vertical SaaSはそれぞれのドメインの規制を遵守したAI機能提供をクリアしなければなりません。これは法律面・倫理面の課題があると考えます。
まとめ
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AIエージェント時代の到来
「SaaS is dead」と言われる背景には、「人間がUIを直接操作する時代が徐々に終わり、AIが裏でSaaSを使うようになる」という変化があります。SaaSは消えるわけではなく、MCPサーバーとして裏方で力を発揮する形に進化していくと考えられます。 -
MCPが生み出すエコシステム
MCPによって、AIエージェントが多数のSaaS機能やデータを一元的に活用できる土壌ができあがりつつあります。SaaSはMCPサーバー化を進めれば、新しい需要にアクセスできるようになります。 -
Vertical SaaSの強み
特定業界のデータ・ドメイン知識を持つVertical SaaSは、AIに専門コンテキストを提供し、より高度な業務支援を可能にします。さらにSaaS自社内でAIエージェントを提供すれば、ユーザー企業はデータガバナンスを担保しつつ先進的なAI機能を利用できます。 -
マルチエージェント協調
汎用AIエージェントが専門特化AIエージェントにタスクを委譲し、得意分野ごとに処理を分担する動きが進むと考えられます。人間社会でジェネラリストとスペシャリストが協調する構造に似ており、AIエージェント間のネットワーク協調がより複雑な課題の解決を可能にしていきます。それを支える標準技術としてA2Aのような技術規格が登場して広まりを見せています。 -
データとUI/UXの重要性
AI時代、「良質なデータ」を持ち、「ガバナンスが効く設計」を行い、「ユーザーが安心して使えるUI/UX」を用意できるSaaSが勝ち残りそうです。 -
今後の課題
AIの誤回答対策やコスト負荷、規制対応など乗り越えるハードルは少なくありません。早期に対応してノウハウを蓄積していくことが重要だと考えます。
AIエージェント時代のSaaSは、標準技術を活かして 「裏で機能を提供するサーバー」 としての役割を強化していきます。特に業界特化型のVertical SaaSは、独自のAIエージェントを提供することで精度 × データガバナンスの強みを発揮する方向へ進化すると考えています。さらにUI/UXは単なる操作画面から、AIエージェントや外部サービスとのハイブリッド操作を提供する設計へと発展していくことが期待されます。
これからのステージでは、SaaSはAIエージェントに吸収されるのではなく、むしろAIエージェントと共に発展・進化していくと考えています。MCPなどの標準技術を効果的に活用することで、SaaSは単なる「ウェブアプリ」から 「AIエージェント時代における不可欠な業務インフラ」 へと進化を遂げていくでしょう。
最後に
ナレッジワークではAIエージェント時代のVertical SaaSの開発に一緒に挑戦するエンジニアを募集しています!興味のある方はぜひご検討ください。