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便利であることに疲れた。思ったことを書いてみる。

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考えていることを整理し、その過程を残すことが、メモなのだとしたら、

あとから、編集できるようにするのは、本当にいいことなのだろうか?

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一度書いた文章について、

あとから見て、ダサいという理由でそれを消すことは、いいのだろうか。

ある意味、X、のようなメディアのように、一度ポストした内容は、変更できないようなものというのは、過去の自分をそのまま残すことができている。

また、何かしら書こうとするとき、過去のものを編集するということを考えなくていい。

いや、考えさせないことが、すごく大事なことな気がしている。

現実世界において、過去を上書きすることはできない。

しかし、エディタの場合は、いともたやすくそれを行えてしまう。

過去に書いたものをたやすく編集できるというのは、

取り回しがよく、いい気がするが、

その間違いだったり、ダサさ、書きまわしに価値があるのではないかと自分は今のところ考えている。

そもそも、何かかっこつけた、中身のない、いや、人間味のない文章をだれが読み返したいだろうか?

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最近、高性能なAIが出てきて、自分のアイデアを短期間で具現化できるようになった。しかし便利であると同時に、

その分思考が、軽くなった気がしている。

これは、いい意味でもあり、悪い意味でもある。

思考が軽い。

ふわっとしている。

地に足がついてないというか、考えるための時間がない感じ。

熟慮するだけの間を与えないスピード感に、少し嫌気がさしているのかもしれない。

疲れ。

なのかもしれない。

アイデアがあり、それをたやすく具現化できる。

というのは、すごくいいことだ。

しかし、アイデアは、たいてい、不完全であることが多い。

その不完全さを気付くだけの時間というのがない。

AIのツールを使っているのは、自分なのだから、使わなければいいだけなのだが、

便利であるために、使ってしまうのである。

今、書いていることは、

便利であることが、すべていい方向に行くわけではないということだ。

なぜ、こんなことをつらつらと書いているのかというと、

自分が作成しているテキストエディタにどんな機能を付けるべきかですごく悩んでいたからだ。

マークダウンを記述するとき、それが記録なのであれば、それでいいが、

何かしらの書き物であるとき、すごくそれが邪魔になる感じがしていた。

装飾するという選択肢自体が、あることで、すごく思考が阻害されているような感じがして。

今、Windows標準のメモで文章を書いているが、

自分には、これがあっている気がする。

しないことを決めるのはすごくエネルギーがいる。

そう感じる。

様々なことができれば、できるだけいいと思っていたが、

本当にそうなのだろうか?

できることが多すぎて、逆に何もできなくなっている。

メモを書くためのツールであるにもかかわらず、

デザインばかりに凝りだして、結局書かなくなって終わる。

そうならないように、もう一回、一から考えようと思う。

以上です。

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