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ChatGPTに書いてもらってるけど、発想は私。これはズルなのか?

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最近、自分のNote記事をChatGPTに書いてもらいました。
といっても、丸投げしたわけではありません。
「このテーマで書きたい」「こういう構成で」「この問いをタイトルに」
とアイデアを出し、それに沿って文章を整えてもらった形です。

気づけば、ほぼ全文がAIによる出力。
でも、読み返すと確かに“自分の言葉”のように思えます。
そこでふと湧いてきたのがこの問い──

ChatGPTに書いてもらってるけど、発想は私。これはズルなのか?


そもそも「書いた」とは何を指す?

考えてみれば、人に文章を代筆してもらうことは昔からありました。
秘書や編集者が補助したり、ライターがインタビューをもとに原稿を書いたり。
そのとき、著者は「自分で書いてないからズルだ」とは言われません。

大切なのは、「書かれた内容が誰の頭から出たか」ではないでしょうか?

ChatGPTは、あくまで“素材を整え、つなげ、見せ方を調整してくれるツール”。
構成や視点、核心の問いは、自分の思考から出たもの。
だとすれば、これは代筆ではなく「共著」と考えることもできるはずです。


思考を引き出す“対話型の編集者”

私の感覚では、ChatGPTは「編集者」や「壁打ち相手」に近い存在です。
書きたいけどうまくまとまらないとき、
「こんな感じで言いたいんだけど」と伝えると、それを整理して返してくれる。

話しているうちに考えが形になる。
返された文章に自分の思考が映っている。
この体験は、書くという行為が「言葉を探すこと」ではなく、
「考えを外に出して形にすること」だと改めて気づかせてくれます。


ズルじゃなく、“今の書き方”

もしChatGPTを使って、
・何も考えずに丸投げして出力だけコピペする
・他人のアイデアを装って使う
ということであれば、それは確かに“ズル”かもしれません。

でも、
・発想は自分のもので
・考えを言葉にする過程でAIを使っている
のであれば、それはズルではなく、
**“今の時代の書き方”**だと思います。

むしろAIと対話しながら書くことで、
“思考の深さ”や“構造の見通し”がよくなる感覚すらあります。


おわりに:書くとは「考え続けること」

「書いた」とは、単に文字を打ったことではなく、
考え抜いた結果を形にしたことだと思います。
そしてChatGPTは、その過程に付き合ってくれる“新しい種類の伴走者”です。

AIに頼ることを「ズル」だと決めつける前に、
どう使ったのか、何を考えたのかを見てほしい。
それが、これからの「書く」という行為の新しい評価軸になる気がしています。

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