子どもがScratchで学ぶなら、大人はChatGPTで学べるか?
最近ふと思ったことがあります。
子どもたちは Scratch を使って楽しそうにプログラミングを学んでいる。
じゃあ、大人にとっては何だろう?
もしかして──それは ChatGPT じゃないか?
Scratch の背後には、シーモア・パパートが提唱した「構築主義(Constructionism)」という学習の考え方があります。
簡単に言えば、「学びとは、教えられることではなく、自分の手で何かを作る中で育つ」という立場です。
この思想を受け継いで Scratch を設計したのが MIT のミッチェル・レズニックです。
Scratch では、子どもが試して・間違えて・作り直して、を繰り返す中で、自分の考え方や世界の見方を形にしていきます。
Logo の時代から続くこの設計思想は、「学び=構築」だという信念に基づいています。
じゃあ、大人は?
大人になると「何かを作って学ぶ」機会が減ります。
でも最近、ChatGPT と対話していると、どこか懐かしい感覚を覚えるんです。
「まだ言葉にならない違和感を投げてみる」
「思考の断片を補完してもらう」
「話しているうちに、自分の考えが整理されてくる」
それってもしかすると──Scratch で学ぶ子どもの構築的体験と、どこか似ているのでは?
Papertの言葉を借りるなら
“You can't think about thinking without thinking about something.”
(「“考えること”について考えるには、何か対象が必要だ」)
子どもにとっての“何か”が Scratch なら、
大人にとってのそれは ChatGPT のような対話AIかもしれません。
おわりに
これは私の小さな気づきです。
でも、もし同じような感覚を持った人がいたら嬉しい。
子どもが Scratch で考える力を育てているなら──
大人も、ChatGPT との対話の中で、もう一度“考える”ことを始められるのかもしれません。
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