超ひも理論は"人の認知の中でしか整合しない理論"か?— 物理ではなく、構文空間のデザイン問題として読む
超ひも理論は"人の認知の中でしか整合しない理論"か?
— 物理ではなく、構文空間のデザイン問題として読む
はじめに:人は数式の向こうに何を見るのか
超ひも理論(superstring theory)は、重力・電磁気力・強い力・弱い力という自然界の基本相互作用を、すべて「ひも」の振動として記述することを目指した統一理論です
この理論は美しい数式と多次元時空の構成によって、あらゆる力を記述しようとします
しかし、この記事ではその理論をこう問い直します
超ひも理論とは、物理現象のモデルではなく、数理構文としての“整合性の自己完結”を追い求めた構文空間の遊戯ではないか?
1. 未観測の次元数、未検証の粒子
理論の成立には10次元空間や11次元M理論が必要だとされます
- だが、私たちは3+1次元しか観測していない
- カラビ-ヤウ多様体などの幾何構造は、構文的に必要な整合のために導入されている
つまり
観測された世界を記述するのではなく、構文的に閉じるために“必要とされる”世界を仮定している
2. 検証可能性の構文設計問題
科学的理論は検証可能性(falsifiability)が求められます
しかし超ひも理論は
- 観測不能なスケール(プランク長)でしか現象を記述できない
- パラメータの調整が自在すぎて、任意の観測結果を後付けで説明できてしまう
これは、
「構文内での整合性」を優先した結果、「世界と接続される観測構文」が抜け落ちている
という、構文設計の問題と見なせます
3. ひも vs 点粒子の哲学:何を要素とするか
超ひも理論は「点」ではなく「ひも」を基本単位とします
これは一見、連続性や相互作用の説明に有利ですが、実際には
- 数学的に整合するが
- 観測可能性・モデル選択性・仮説限定性が弱く
- 実験と構文の「差異を制御できない」
つまり、「現象の解像度を上げる」というより
“整合性だけを閉じる形式構文”に寄りすぎて、設計構文の出口がない
4. サンドボックス理論としての再定義
超ひも理論は、仮に物理理論ではないとしても、別の見方が可能です
それは
人間の「整合した構文を設計したい」という知性の自己反射によって生まれた構文遊戯
まるで設計者のいない巨大OSSのように、
- 誰も全体像を把握できず
- 各自が自律的に定理や仮説を継ぎ足し
- それでも「美しい」と言われてしまう
そんな構造を持った構文のオブジェクト指向設計空間とも見なせます
結語:あなたが見ているのは理論か?構文か?
超ひも理論は未完であり、未検証であり、構文としては整合しています
それはつまり、
「整合性」という設計構文を極めた、だが外界接続性を持たない観測不能モデル
であるとも言えます
あなたがその美しさに魅かれたなら、それは物理ではなく、
人の認知が見せる構造に魅かれたのかもしれません。
あなたの理論は、あなたの認知の内にありますか?
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