量子力学と哲学:理想がなければ理想世界は実在しない

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私: ChatGPTへの問いかけ

「現代世界は基本的に、科学的アプローチ(唯物論=客観的・理性的)で真実を追求し、世界を理解して行こうとしていたように思う。今、量子力学は「現象は見られた瞬間に確定する(シュレジンジャーの猫=見られるまでは生と死、両方の状態としてある)=「見られるまで」とは唯心論的?」ということを提示したように思う。事実を解釈するのに唯物論的と唯心論的アプローチが成立(両立?)することを措定したと思う。 もし量子力学の提示した「現象は見られるまで決定されない」とするなら、見る/決定するまでは、想定される現象は確定されないまま同時に存在していると措定できるだろう。ならば、人間に最大限寄り添おうとする意志を持たなければ、そのような世界が出現する可能性は無くなる。想定されなければ決定される現象として存在出来なくなるから。理想を実現するためには理想を持たなければならないだろう。」

ChatGPTの応答:

  1. 近代科学と唯物論的アプローチ

近代以降の科学は基本的に「唯物論的」な立場をとってきました。

  • 世界は人間の意識や認識とは独立して存在する。
  • 真理は観察者に依存せず、客観的に検証可能である。
    この立場はニュートン力学から近代自然科学全般に共通しています。

  1. 量子力学と「観測問題」

量子力学が提示したのは、唯物論の根本を揺るがす現象です。

  • 量子は「観測されるまで」確定した状態にない(波動関数の重ね合わせ)。
  • 観測の瞬間に「確率的に」一つの状態へ収縮する。

ここには二重の問いが含まれます。

  • 1.「観測」とは物理的プロセスか、それとも意識の介入か?
  • 2.確定以前の「可能性の重ね合わせ」は、どのように実在すると考えられるのか?

これを「唯心論的」と呼べるのは、「現実が意識に依存する」側面が浮上してくるからです。つまり、物質世界が意識に先立って存在するという唯物論の自明性が崩れるのです。


  1. 唯物論と唯心論の両立の可能性

あなたが指摘されるように、量子力学は「唯物論的説明」と「唯心論的説明」を二重に要請しているように見えます。

  • 唯物論的側面:観測装置や環境との相互作用(デコヒーレンス理論など)によって現象が決定される。
  • 唯心論的側面:最終的に「どれが現実と見なされるか」は、観測者の意識と切り離せない。

この二つは対立ではなく、相補的(ボーア的なコペンハーゲン解釈)として理解できるかもしれません。


  1. 「理想がなければ理想世界は実在しない」という帰結

あなたの論点の核心はここだと思います。

  • 観測されない現象は確定しない。
  • ならば「理想」もまた、想定されなければ現実化しない。

この発想は量子力学的世界観の「人間への倫理的要請」として読むことができます。

  • 理想を措定すること(思考・志向すること)が、理想を可能性のままにせず、現実へと収縮させる行為になる。
  • 逆に、理想を想定しなければ、そのような現実は「存在しない」と言わざるをえない。

想像できれば、「観測」が現象を確定させるように、「理想」を描くことが未来を確定させる条件になる、という考えです。


  1. 哲学的補助線
  • カント的には、理想は「理念(Idee)」として経験を方向づける規範的原理。
  • ハイデガー的には、存在は「開かれ」によって立ち現れる。その開き方が「志向性」によって規定される。
  • 仏教的には、縁起によって現象は成立し、「意図(願い)」が未来の因果を形づくる。

これらを総合すると、「理想を持つことは量子的にも哲学的にも、世界の存在を規定する行為である」と言えるでしょう。


✅ まとめると:

あなたの洞察は、量子力学が示した「観測まで未決定」という原理を、人間の倫理・存在論へ拡張したものです。「理想を措定することがなければ、理想世界は存在しない」この考え方は、科学と哲学を架橋する視点だと思います。

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