「コンテナ物語」を読んで考えた、ソフトウェア開発×AIの未来
貨物のコンテナの話
冒頭からすみません。「コンテナ」といってもDockerのほうではなく、貨物運送で使う「箱」のコンテナのほうです。
『コンテナ物語』とは、経済史家マルク・レビンソンによるノンフィクションで、20世紀の物流業界においてコンテナがどのように導入され、そして世界の貿易構造そのものをどう変えていったのかを描いた一冊です。以前からこの本の存在は知っていたのですが、ふと思い立って、今回あらためてちゃんと読んでみました。
読んでみると、これは単なる物流の話ではなく、「イノベーションはどうやって起きるのか」 を考える上での貴重な材料を与えてくれる本でした。
- 書籍情報:マルク・レビンソン著、村井章子訳、『コンテナ物語』、日経BP
道具があっても、すぐには世界は変わらない
本書では、次のようなことが語られています。
コンテナの導入で埠頭での荷役コストが大幅に削減されたにもかかわらず、輸送コスト全体の大幅削減にはすぐにはつながらなかった。コンテナのメリットをすぐに生かせる設備が輸送会社に整っていなかったし、荷主もコンテナに対応する態勢になっていなかったからだ。
つまり、道具が存在しても、それを活かす「まわりの構造」が整っていなければ、大きな変化にはつながらないということです。
この点を読んでいて、ふと現在進行中の生成AIの活用、特にソフトウェア開発の分野で語られる変化のことを思い出しました。
AIツールと社会の構造
ここ数年、GitHub Copilot や ChatGPT をはじめとするAIツールが開発者の手元に届くようになり、コードの記述やレビューといった行為がAIによって支援されるようになってきています。
しかし、こうしたツールが存在しているにもかかわらず、開発という営み自体が劇的に変化しているようには、あまり見えないという印象もあります。
AIが支援してくれるのはたしかに便利ではありますが、それがソフトウェア開発の構造や文化を根本から変えるところまでは、まだ到達していないように思えます。
もちろん、これは個別の現場の話ではなく、外から見える範囲での観察に過ぎません。それでも、「道具があるのに変わらない」という現象が、物流の歴史とAI開発の現在に重なって見えたのは、なかなか興味深い体験でした。
社会の変化には「使い方」が必要だという視点
レビンソンは、次のようにも述べています。
コンテナの可能性を生かす方法を使い手のほうが学ぶまで世界は変わらず、しかもそれにはずいぶん時間がかかった。しかし一旦変わり始めると、変化のスピードは速かった。
イノベーションというものは、新技術や新しいやり方が発明されると同時におこるものではない、というのが私が『コンテナ物語』でしみじみと実感したことです。
コンテナの導入は、輸送コストの一部を大幅削減しました。しかし、それは輸送プロセス全体で見ればほんのわずかな部分に過ぎませんでした。
コンテナによるイノベーションが現実化するには、荷主から最終目的地までの全工程がコンテナ対応することが必要だったわけです。港湾施設を整備し、コンテナの扱い方が確立され、コンテナ専用船が稼働するだけでなく、鉄道やトラックなどの陸上輸送インフラ全体がコンテナ対応する必要があったのです。
そう考えると、生成AIをめぐる現状もまた、「準備段階」にあるように思います。ソフトウェア開発において生成AIが力を発揮しているのは、プロセス全体のごく一部にとどまっているようであるからです。
AIを組み込んだソフトウェア開発プロセスとは?
IEEE Software誌の2023年4月号に掲載されていた、ソフトウェア開発と生成AIに関する論考記事が印象に残っています。生成AIによって開発プロセスがどう変わっていくかを論じた内容で、タイトルを意訳すると 「ソフトウェア開発の次なるフロンティア:AIによる拡張ソフトウェア開発プロセス」 となります。
I. Ozkaya, "The Next Frontier in Software Development: AI-Augmented Software Development Processes" in IEEE Software, vol. 40, no. 04, pp. 4-9, July-Aug. 2023, doi: 10.1109/MS.2023.3278056.
URL: https://doi.ieeecomputersociety.org/10.1109/MS.2023.3278056
こんなことが述べられていました:
- 生成AIがソフトウェア開発を変えていく。しかしどのように変わっていくか、変わるべきかはまだ模索段階にある。
- ふたつの方向性が考えられる。「現状の開発プロセスはそのままで、生成AIをそこにはめ込む」、そして「生成AIを組み込んだ新しい開発プロセスが生まれる」だ。
- これまでのソフトウェア開発技術の歴史上、様々なツールが作られてきた。しかし生産性向上はツール単体で実現されない。ツールをうまく組み込んだ開発プロセスが大事だ。
生成AIがソフトウェア開発プロセスを変革していくことはわかっている。しかし、「まだ何がわかっていないのか」がわかっていない段階ということです。『コンテナ物語』を読みながら、この論文のことを思い出していました。
技術の誕生と普及までの時間差
このように、物流におけるコンテナの導入と、ソフトウェア開発におけるAIツールの普及とを重ね合わせてみると、技術の普及と社会の変化には時間差があるという、ごく当たり前でありながら重要な点にあらためて気づかされます。
私は開発者ではなく、どちらかといえば文献や事例を通して社会の技術的変化を観察する立場にありますが、その視点から見ても、AI活用をめぐる現在の状況には、まだまだ解明されていない構造的な論点が多く残っているように思います。
この文章はそうしたことの断片的なメモとして、また『コンテナ物語』という一冊を通して得られた視点の記録として書いてみたものです。もしどなたかの思考の材料になれば幸いです。
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