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AIの「幻覚」は、なぜ私たちを惑わすのか?

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私たちは、AIが「もっともらしく嘘をつく」と聞くと、つい機械の欠陥を疑います。
しかし、それは本当にAIだけの問題なのでしょうか?

ふとした瞬間、私たち自身も「知らないのに知ったふりをする」「根拠はないけど、たぶんこうだろう」と判断していることがあるはずです。

AIの「幻覚(ハルシネーション)」は、実は私たち人間の認知や思考と驚くほど似た構造を持っています。
この現象を単なる技術的なバグとして片づける前に、私たちは 「知るとは何か」「正しさとは何か」 を、改めて問い直す必要があるのではないでしょうか。


はじめに — AIの幻覚は、私たちの日常にあります

生成AI がときどき「嘘をつく」ことは、広く知られるようになりました。
あたかも事実のように堂々と、しかし間違った情報を語るこの現象は、「ハルシネーション(幻覚)」と呼ばれています。

多くの議論は、その原因や技術的対策に向かっていきますが、本稿で扱いたいのは違う視点です。
この「幻覚」は、果たしてAIだけの異常行動なのでしょうか?

例 1 ) テストの「勘」

学生時代、テストで「空欄は減点」というルールのもと、確信のない問題にも「なんとなく」で答えたことはなかったでしょうか。

根拠は曖昧です。
けれど、文脈的にそれっぽい選択肢を選んだ。
AIが文脈から「もっともらしい」答えを捻り出すのと、何が違うのでしょうか。

以下の記事でも詳しく紹介されています。

https://zenn.dev/headwaters/articles/2dbb79ef2f46b1

例 2 ) パワースポットの「感動」

「ここ、なんか空気が違う気がする」「石に触れるとエネルギーを感じる」
パワースポットに立ち会ったとき、科学的根拠を求める人は少ないのではないでしょうか。

同伴者への共感、同調圧力、空間の荘厳さ、音、匂い、湿度。
そのすべてを「読み取って」、人は「感動した」と自己生成します。

これもまた、一種の「幻覚」と言えるのではないでしょうか。
ただ、言語化される前の抽象的な感覚を言語化しただけです。

内省

最近、「なんとなく」で判断したか?

人間の知性は、確実性だけで動いているわけではありません。
AIのハルシネーションを「危険なバグ」として片づける前に、
私たち自身の中にある「幻覚生成装置」に目を向けてみてはいかがでしょうか。


本題 — ハルシネーションが問いかける、私たちの「リアリティ」

不完全性の価値 — 「間違い」は、常に悪なのでしょうか?

ハルシネーションというと、多くの場合は「誤り」として扱われます。
しかし、その「間違い」は、必ずしも無意味だとは限りません。

あるAIが「存在しない格言」を生成したとき、
それが驚くほど含蓄のある言葉だったという体験があります。
詩のようで、夢のようで、しかし心に残るものでした。

また、しばしば予定外の発見から新しいアイデアが見つかります。
「間違い」だからこそ、「正しさの外」から何かを伝えてくるのかもしれません。

人間でも、いつも正確ではいられません。曖昧で、誤解もします。
その不完全性こそが、言語や芸術、ユーモアや詩、創造の源泉にもなっているのです。

存在論 — AIが知覚する「世界」と、私たちの「現実」

AIは、大量の学習データを通して世界を知ろうとしています。
私たち人間も、同じようにして世界を捉えています。

社会、文化、教育、経験、すべてが「訓練データ」、染み付いた価値観となって、世界を「そういうもの」として認識しているのです。

AIが「見たことのないもの」に直面すると、幻覚を起こします。
人間もまた、「経験にないこと」に遭遇したとき、そこに解釈や物語を付け足して補完するのではないでしょうか。

幻覚とは、欠けた現実を埋める行為なのかもしれません。
また、私たちが信じている「現実」は、どこまでが客観的で、どこからが物語なのでしょう?


結論 — AIと「不完全な知性」の未来

完璧性への疑問

AI開発の現場では、今も「ハルシネーション・ゼロ」が理想とされています。
しかし、それは本当に望ましい未来なのでしょうか?

すべての発言が事実で、根拠があり、逸脱のない AI。
そのような存在は、果たして知性と言えるのでしょうか。

新しい関係性の提案

AIの幻覚は、確かに危険な場合もあります。
けれどそれは同時に、私たちの「思考の癖」や「認識の構造」を映す鏡でもあります。

誤り、勘違い、創作。
それらをすべて排除したとき、AIは道具にはなっても、対話相手にはならないのではないでしょうか。

ハルシネーションを「許容する」のではありません。
AI が誤った生成を行なったと感じた際や、会話の間に、振り返りや確認を行うことが重要です。

身近な AI のハルシネーションのいくつかは、何故そうなったかを AI に問い、考えると、プロンプトやコンテキスト設計が原因の場合があります。

「付き合う」知性として受け入れるという態度が、これから必要になるのだと思います。


おわりに

AIの幻覚は、私たち自身の「現実の見方」を問う装置なのかもしれません。

それは、人間の知性が持つ「曖昧さ」「創造性」「自己物語生成」といった構造そのものです。

技術的に制御するだけでなく、哲学的に向き合う価値があるのではないでしょうか。


この記事は、英語ブログ記事をベースに日本語向けに再編集したものです。

https://imkohenauser.com/the-breeding-ground-of-self-indulgence-what-does-it-mean-to-feel/

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