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最適化と均質化の果てに — 「個性」とは何か?

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これまでしばらく AI哲学 に関連する記事が続きましたが、今回でひと区切りとする予定です。
あわせて、毎日のように「生成AI」について投稿しているため、「モデレーションの対象になっているのでは」と気にかかっています。

テーマは「個性」。
山嵐のジレンマのように、近づけば均質化し、離れれば孤立する。
そんな揺らぎをどう考えるか、という話です。


はじめに — 最適化と均質化の時代に

私たちは日常の中で、安定を求めて環境に適応する選択をしたり、あえて不確実な道を選んで新しい可能性を探したりしています。
この二つの姿勢は、AI における「最適化による収束」と「揺らぎやハルシネーションを資源とする設計思想」にも重なります。

ここでは、AI が推し進める最適化と均質化の力学を見つめながら、その先にある「不完全さ」や「個性」の意味を考えていきたいと思います。


AI が進める最適化と均質化

Transformer モデルの核には「Attention」という仕組みがあります。これは、入力された言葉同士の関連度を見極め、重要なものに重みを置く働きをします。
そして最後に「ソフトマックス関数」が全体をならし、極端な差を和らげながら確率分布へと整えていきます。

この流れは、正確さや安定性をもたらす一方で、強いパターンへと傾きやすくなります。
その結果、どうしても似通った表現や定型的な回答が生まれやすくなるのです。


モデレーションによる均質化

さらに現実の大規模言語モデルには、「モデレーション」と呼ばれる層が加わります。
RLHF(人間のフィードバックによる強化学習)や Constitutional AI のような技術を使い、社会的に不適切な出力を避けるための調整が行われています。

この仕組みは安全のためには欠かせませんが、同時に出力を「社会的に受け入れられる範囲内」に閉じ込める働きを持ちます。

結果として、不完全性や逸脱には二つの層が見えてきます。

  • モデルそのものがもつ揺らぎや偏差から生まれる逸脱
  • モデレーションをくぐり抜けた余白として残る逸脱

AI が生み出す「創造の余白」は、この二層構造の上に立ち現れているのです。


不完全性を資源として見る

AI の「ハルシネーション」は、これまで「誤り」として扱われてきました。
けれども近年、それを「創造性の資源」ととらえる視点が広がっています。

  • 人間の発想も、論理的な筋道だけでなく、誤った前提や偶然の連想から生まれることがある。
  • 科学の歴史を見ても、誤解や失敗が新しい仮説や発見につながる例は多い。
  • ゲーデルの不完全性定理が示すように、どんな体系も完全には閉じられない。ならば AI もまた「誤りを含む存在」として、人間と補い合う関係を築く方が自然ではないでしょうか。

Attention の平均化が生み出す安定の外側にある「揺らぎ」や「逸脱」こそ、創造の余白と呼べるのかもしれません。


コミュニティにおける均質化

技術コミュニティに目を向けると、ここでも最適化と均質化の力学が働いています。
GitHub では「ベストプラクティス」が共有され、Stack Overflow では模範解答が評価されます。

一見すると自由で分散的に見える活動も、実際には再現可能なパターンへと収束しやすい。
多様性と均質化は矛盾せず、同時に進行していくのです。


個性の所在

たとえば、あるオンラインゲームのコミュニティに深く没入すれば、その価値観が日常生活にもにじみ出てきます。
けれども現実社会に戻れば、その「場」の常識は通用せず、差異を意識せざるを得なくなります。

これはマルクス・ガブリエルが説く「意味の場」の多元性を思い起こさせます。
世界は単一の体系に収束するのではなく、複数の場が併存している。AI の出力もまた、その一つの場にすぎません。

ここで哲学的な整理をしておきましょう。

  • ゲーデルは、体系は必ず不完全であることを示した。
  • ハイデガーは、人間存在を未完のものとして捉えた。
  • レヴィナスは、他者性の不可避性を強調した。
  • ガブリエルは、複数の「意味の場」が同時に存在することを説いた。

これらを踏まえると、個性とは「統計的な傾向から外れる揺らぎ」であり、同時に「どの場においても失われない固有のリアリティ」として立ち現れるものだと考えられます。


結論 — 生態系としての AI と社会

AI も社会も、全体を制御することはできない「生態系」として自己組織化していきます。
その流れは大きく、人の意思では止められないでしょう。

けれども部分的な介入は可能です。
「歩道を歩くシーンを描写してほしい」と依頼すれば、多くは『アビイ・ロード』(ビートルズのアルバム)を思わせる場面に収束します。
これは統計的に強いパターンへの傾斜です。
しかし、細部を指定すれば別の風景を描かせることができる。

全体を支配することはできなくとも、部分に関わることはできる。
その関わり方こそが、均質化の力学の中で「個性」を守り続ける道につながるのではないでしょうか。

最後に、問いを残して終わりたいと思います。
あなたにとって、個性とは何を意味するのでしょうか?

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