【読書メモ】プラトン『饗宴』(光文社)
読みたいと思った理由
- 古典的名著を順に読んでいこうシリーズ
- 『ソクラテスの弁明』が読みやすくてかつ面白かったのでプラトンおかわり
- 弁論術とかには興味がないので、エロスがテーマでイデア論が出てくるらしい本作をチョイス
訳者まえがき / エピローグ
物語の語り部は、アポロドロスという若者です。彼は、十数年前に悲劇詩人アガトンの屋敷で開かれた饗宴と、そこで繰り広げられた愛の神エロスの賛美合戦の様子をアリストでもすという人物から機器、その内容を友人たちに語り聞かせていきます。(訳者まえがきより)
古典読むとき毎度思うけど、研究者・訳者の方々には頭が上がらない。まえがきは簡単でわかりやすいし、本文180ページ程度のあとには解説が90ページ弱もついてる。ありがたい。
あいかわらずだな、アポロドロスくん、きみはいつも、自分と他人の悪口を言ってばかりだ。さしずめ、この世の人間は、ソクラテス以外みんな哀れだとでも思っているのだろうーーきみ自身を筆頭にしてね。(エピローグより)
ソクラテスは当時の人からしても特別な人間であったことが伺える。もしかしたらプラトンの物語の中だけなのかもしれないが。
第一章 うたげのはじまり
そっとしてやってほしい。よくあることなんだよ。ソクラテスは、ときどき、ところかまわず足を止めて、じっと立っていることがあるんだ。
好きだなー、この感じ。
...私たちの方は、今日は互いに議論をしてすごそうではないか。また、もしよければ、話題についても私に提案させてほしい
6人のメンバーが出揃って、いよいよ饗宴(飲み会)が始まるところ。
いいなー、自分もこんな風に飲み会したいし、こんな風に飲み会したい自分を自然に開示できたらいい。
「他の多くの神や、塩のような人の役に立つものはたくさん褒められているのに、エロスの神は誰も褒めない。だから今日、俺たちが褒めよう!」ということでエロスの賛美がテーマになる。良い。
第二章 パイドロスの話
...まだ若い少年にとって、彼を愛してくれる優れた人よりも良いものがあるのかと問われても、僕には答えることができません。また、愛する人にとって、優れた少年よりも良いものがあるのかと問われても、ぼくに答えることができないのです。
まえがきでも触れられていたが、男性の少年愛を前提にしてエロスが語られている。
愛する人にとって、自分が隊列から逃げ出したり、武器を投げ出したりする姿を一番見られたくない相手は、誰よりもまず愛する少年なのです。
ましてや、愛する人達が少年を置き去りにして逃げ出したり、少年が危険にさらされているのに助けようとしないようなことなどありえません。じっさい、どれほどの臆病者であっても、そのうちにエロスが宿れば、この神が彼を勇敢にしてくれます。
エロスだから性愛の話が多くなるのかなと思っていたら、勇敢さについての話が展開されているのが面白い。
...すでになくなっているパトロクロスの後を追い、自分も一緒に死のうとしたのです。だからこそ、神々はアキレウスを高く称賛し、彼に並々ならぬ栄誉を与えました。なぜなら、彼は、自分を愛してくれた人を、それほどまでに大切にしたのですから。
愛する人を思って死ぬと神々に褒められるらしい。この他にももう1件そんなエピソードが出ていたし、死なずに冥府から妻を取り戻そうとしてブーイング喰らったエピソードもあった。生を全うすることとと愛を全うすることは本当に背反なのだろうか?
第三章 パウサニアスの話
愛するという行いすべてが美しいわけではない。美しさはその「やり方」に宿る。エロスには天と俗の2種類があり、俗のエロスを避けて天のエロスを追い求めるべきだという旨の話。
体目的の「俗のエロス」とは異なり、天のエロスには高度な精神性が要求される。
...愛する側は、賢さを始めとするさまざまな特へと導いていく力がなければなりませんし、少年の側は、教養を身に着けて、いろいろな知恵を持つために、それらの特を手に入れたいと思わなければなりません。このようにして、これらに種類の決まりが同じ目的に向かって一緒に働くとき、そしてそのときに限り、少年が自分を愛してくれる人に身を委ねることが美しいと言えるようになるのです。
...ある少年が、自分に求愛してきた人を優れた人物だと思い、彼と親密な関係になれば、自分も優れた人物になれると考え、その人に身を委ねた。しかし、少年は騙されていた。彼は実は凡庸な人間であり、徳を持っていないことが判明した。
この事例に置いて、少年は騙されていました。しかし、にもかかわらず、それは美しいのです。なぜなら、この少年は、特を手に入れて優れた人物になるためには、誰にどんなことでもするという、自分の真実の姿を明らかにしていますが、そのような姿は、あらゆる事例の中で最も美しいものだからです。
「自分自身の徳を気にかける」という姿勢は非常にソクラテス的に思える。
第四章 エリュクシマコスの話
エロスは人間に対しでだけではなく、世の中のあらゆる事象に働きかけているということをいくつかの例を挙げて説明する。
そもそも医術とは、ひとことで定義するなら、<体に生じる様々なエロスの現象に関して、それをどのように満たしたり、満たさないようにするのかについての知識> である。そして、そのような減少において、どれが美しい欲求(エロス)であり、どれが見にくい欲求であるのかを識別できるものこそ、優れて医師の名に値するものだ。
つまり、音楽の場合にも、先程の医術の場合と同様に、音楽の技術が要素相互の間に欲求と神話を作り出し、すべての要素の間に一致を生み出すわけだ。したがって、音楽の技術もまた、<調和とリズムに関する様々なエロスの現象についての知識>だといえるのである。
...傲慢にとりつかれたエロスが一年の四季に対する支配力を強めると、多大なる破壊と損害を引き起こしてしまう。すなわち、そのような自体になると、疫病を始めとするたくさんの病気が発生して、動植物に損害を及ぼすことが多くなるのである。なぜなら、このエロスの影響を受けた様々な部分が互いに争って調和を失い、そのために、霜や雹や害虫が発生してしまうからである。天体の運動や四季に関する、このようなエロスの働きをめぐる学問は、<天文学>と呼ばれている。
どことなくイデア論のにおいがする。
第五章 アリストファネスの話
高校のときにこの人女だと思いこんでたけど男だった。
太古の昔はこんな感じだったという
- 人間には男と女の中間性「アンドロギュノス」があった
- 人間の体は球体で、手足は4本ずつあるなど各パーツは今の2倍あった
ゼウスがそいつらをスパッと真っ二つにして整形したのが今の人間らしい。それぞれは、自身の「半身」を求め合う。
さて、少年を愛する人であれ、それ以外のどんな人であれ、自分の半身に出会うときには、驚くほどの愛情と親密さとエロスを感じ取る。
半身と出会って「全体」となること。これを求める欲望こそがエロスなのだ。
すなわち、もし俺たち人間が恋を成就し、それぞれが自分自身の真実の恋人に出会って、太古の人間性を回復するなら、おれたち人類は幸福になることができるのだ。
第六章 アガトンの話
饗宴会場の主。ソクラテスと並んでかなり特別視されている様子。
話が多岐にわたるので主張を箇条書しておく
- エロスはひときわ若く、ひときわ繊細で、しなやかな姿をしている
- エロスは暴力を受けないし用いない
- エロスはきわだった節度の持ち主
- 節度とは快楽と欲望を支配すること。
- エロスよりも強い快楽はない。
- 2より快楽はエロスより弱いのでエロスに支配される。このことと1よりエロスはとても節度があることになる。
- エロスはだれよりも勇気がある
- エロスは他の誰より勇気のあるものアレスを虜にした
- 虜にしたほうがされた方よりも強い
- エロスは触れたものを詩人にする知性がある
- すべての生き物の想像はエロスの知恵による
- 美を追求するエロスを持つことで、技術者は高みに臨むことができる
第七章 ソクラテス、アガトンと対話する
これまでと比較するとイレギュラーな章。ソクラテスがアガトンの話を聞いて「はいおかしいでーーーす」って言う。
話はこんな感じ
- アガトンくんは「エロスは美しい」とも言ったし「エロスは美しさを追い求める」とも言いましたが、これは矛盾していま〜す!
- なぜなら、Aを追い求めている人は、「現時点でAを所有していない」か「Aをずっと維持できる保証がない」のどちらかだからで〜す!「すでにAを持つ人」「これからもずっとAを維持できる人」はAを追い求めませ〜ん!
- ちなみに、「よいもの」は美しいので、エロスは「よいもの」でもありませ〜ん!
よくみんなソクラテスと友達でいられるな
第八章 ソクラテスの話
「ディオティマという女性から聞いた話」というテイで自説を展開する。わざわざアガトンの揚げ足を取ったのは「自分もこの女性にアガトンと同じことを言って同じ論駁を喰らったから」だという。
話の展開が目まぐるしいのでこれまた箇条書き
- エロスは美しさを欲する→エロスは美しくない(アガトンのと一緒)
- エロスは美しくないから神ではない(神ならば美しいので)。エロスは人間と神の間にある存在、精霊のたぐい。
- エロスは「機知と策略の神ポロス」と「貧乏神ペニア」との間の子どもで、母親譲りの貧乏さ、父親譲りの知恵への愛を併せ持つ。
- エロスは美の神アフロディテ生誕の日に懐胎されたので美の追求者
- エロスは不死ではないが、死に果てることもない
- エロスは貧乏ではないが、裕福でもない(前述と矛盾)
- エロスは知恵と愚かさの間にいる
- エロスは愛されるものではなく、愛するもの
- 美しいものを求める欲求(愛、エロス)はすべての人間に普遍的なもの
- 「愛する者もいれば、愛さぬ者もいる」と一般に言われるのは、恋愛の話に限る。商売への愛、スポーツへの愛などを含めると、みな何かを愛している。
- 愛し求めること、エロスとは、「美いものを永遠に自分のものにすることを求めること」
- これは子を成すことで達成される。死を免れることができない人間は、子孫を残すことでしか永遠性を獲得できない。美しいものを求めて子を成したいと思うことこそエロスの本質。
- 人間以外の動物も同じ理由でエロスを持つ
- エロスの渦中にいると、ものすごい状態になる。名誉愛(承認欲求)のことを考えてみるとよくわかる。
ここからが大事で、エロスの道の究極の話
- 最初は1つの体の美しさに目を惹かれる
- じきに「すべての体の美しさは同じ美しさだ」と気が付き、1つの体に執着しないようになる
- やがて体の美しさよりも心の美しさが優れているとわかり、体の美しさに執着しないようになる
- 次に、人間のふるまいと社会の習わしの中にある美しさを観察し、それらが互いに密接に繋がり合っていることを見て取る
- 知識の美しさを見るようになる
- 多くの美を観察してきたことで、1つの美に執着する視野の狭い人間でなくなる
- 美の大海原に漕ぎ出して、美を観察する。知恵を求める果てしなき愛の中で、たくさんの美しく荘厳な言葉と思想を生み出す。
そうしてついに、エロスの道の終着点に到達する。
その者は突如、ある驚くべき本相を持った日を目の当たりにするのだ。
- それは永遠である。生じたり消えたりもしないし、増えたり減ったりもしない
- それは時や場所、主観の違いなどによらない、絶対的な美しさである
- それは物理的なものでもなく、言葉とか知識のようなものでもない
- 他のなにかに内在するものでもない
- 他のなにかに依存せず、独立している
つまり美のイデアみたいなもの。これに触れたものは、真実の徳を生み出すことができるという。
第九章 アルキビアデス登場 / 第十章 アルキビアデスの話
酔っ払いのアルキビアデスが会場に乱入してきて、彼もスピーチをすることになる。ただし題目はエロスではなくソクラテスの賛美。アルキビアデスは相当ソクラテスに心酔していて、しかも相手にされてなくてヤキモキしているらしい。「ソクラテスに抱いてもらおうとして2人きりで並んで(文字通り)夜を過ごすところまでこぎつけて、しかも堂々と誘ったのに、朝まで何も起きなかった」というエピソードが印象的だった。
語ること、考えることはたくさんあるけどなんか飽きちゃったので一旦クローズ
間あけてちまちま進めるのは向いてないな。一気にやるか、少しずつやるにしても毎日やるか。