【読書メモ】イアン・レズリー『子どもは40000回質問する』光文社未来ライブラリー
読みたいと思った理由
好奇心と熟達の関係について理解を深めたいから
かなりこまめに見出しが貼られているので、順番関係なく気になったところから読んでいく。
拡散的好奇心が知的好奇心に変わるとき
拡散的好奇心
目新しいものすべてに惹きつけられること
ただし、知ることへの欲求を成熟させないかぎり、なんの洞察も得られないまま興味の対象を次々と変えるだけで、エネルギーと時間を無駄にしかねない。
知的好奇心
知識と理解を求める意欲
意識的に訓練をしなければ身につかない奥深い好奇心
知的な努力を持ってして、拡散的好奇心を知的好奇心にコンバートさせようというスタンス
人間が拡散的好奇心を持っているわけ
狩猟採集時代に情報収集が生死をわけたから、らしい
『サピエンス全史』には「人がうわさ好きなのは、集団内のあれこれについて把握しておかないと生き延びるのが難しかったから」と書いてあったな
知識欲は脳内で喜びの物質へと変わる
知識欲を満たしたときにはドーパミンを放出する尾状核が刺激されるらしい。これは性欲や食欲を満たしたときと同じ働き。
下記が興味深かった
尾状核は美しいものを目にしたときの私たちの反応とも関係しており、美意識と知識欲には深いつながりが存在する可能性がある。
乳幼児の学習は大人や環境との合弁事業
周囲の環境を積極的に調べようとする赤ちゃんほど、思春期のときの学業成績がいい傾向にあるらしい。
直観にも反しないからまあわかるんだけど、じゃあ赤ちゃんの興味を誘発するには?
好奇心旺盛な子とそうでない子の違い
子どもの好奇心には、基礎的な認知能力に加えて、「子どもの未熟な問いかけに対して周囲の大人がどう反応するか」が影響すると考えられている。
赤ちゃんは「指差し」によって「共同注意」と呼ばれる行動をとる。自分が注目しているものに他人の注目を向けさせようとする行動だ。指差しの意味するところは場面によって様々だが、「自分はこれに興味を持っている」と伝えるために行われることが多い。
とある実験では、指差しに対してきちんとinformするグループとそうでないグループを比較した際、前者のほうが明らかに指差しの回数が増えたという。
子どもは40000回質問する
子どもは、生後30ヶ月ごろまでは、主に「なに」と「どこ」を尋ねる質問をする。
3歳になるころには、「どうやって」「どうして」といった「説明を求める」質問をするようになる。
とある計算によれば、子どもは2歳から5歳の間に「説明を求める」質問を合計4万回行うと推定されている。
知識の「探索」と「活用」
好奇心は衰える。
幼児の脳は大人の脳より小さいが、大人より遥かに多くの神経結合を形成している。しかしその繋がり方は非常に非効率的だ。だから子供の認識能力は無秩序である。大人になるにつれて信頼できる法則性を見出し、特定の神経回路が鍛えられ、秩序が確立されていく。要するに、知識がフローからストックへと移行していく。必要な知識フローが小さいということは、すなわち好奇心があまり必要ないということだ。
知識の探索と活用はいわばトレードオフになっている。信頼性の観点からは常に新しい情報を探索したほうがいいが、効率性の観点からはストックを活用したほうがよい。
好奇心の本質についてはいろいろな学説があるが、紹介されているのは
- リビドーとしての知識欲...フロイトの理論
- 自分の予測と現実の不整合への反応としての知識欲...ピアジェの理論
- 情報の空白への反応としての知識欲...ローウェンスタインの理論
少しだけ知っていることが好奇心に火を付ける
好奇心は、全く知らないことに対しても、知り尽くしていることに対しても発火しづらい。「少しだけ知っている」という状態が最も好奇心を誘発する。「埋めたいと思える空白があるかどうか」が鍵になる(情報の空白理論)。
最初は全く興味がなくても、基礎知識をinformするだけで面白がれるようになるかもしれない。
自信不足もまた好奇心をしぼませる
生きるのに精一杯な環境では、生き延びるためのあれこれに認知資源を使い果たし、好奇心に回す余裕がなくなる。
一方で、自信過剰、順風満帆な環境も好奇心の妨げになる。
好奇心が花開くには絶妙な不確実性が必要だ。
母親に対して安定した愛着を持てているかどうかと好奇心の関係を調べた研究が興味深い。
「不安を感じている子どもたちは、身体的にも精神的にも、情報収集のための探索を行わない傾向が強くなる」。好奇心は愛によって支えられていると言えるだろう。
パズルとミステリー
明快な答えがある問いをパズル、そうでない問いをミステリーと定義する。パズルは解けた瞬間に好奇心をしぼませるが、ミステリーはそうではない。ミステリーの味わいは持続する。
私たちはパズルを重視する文化の中にいる。いかにミステリーに「耐える」ことができるかが重要になってくる。
ミステリーは立ち止まって考えるように求めてくる。少なくとも、スピードを落として道の答えを探すことが求められる。
苦労して学ぶほうが習熟度は高い。
実験でこんなことがわかっている
- 簡潔な説明よりもややこしい説明のほうがかえって深い理解を誘発する
- 読みづらいフォントのほうが内容の記憶を誘発する
- 少し集中を妨げる環境のほうがかえって認知能力を刺激する
学習には「望ましい困難」があるようだ。
情報技術は人間の好奇心にとってプラスか
簡単に検索できることは必ずしも好奇心にとってプラスでない。
ChatGPT時代に突入して、この問を考える価値はさらに重くなっているように思う。
人間は自分の身体ではなく道具側を進化させることで、他の生物では考えられないスピードで進化してきた。しかし、道具側が進化すればするほど、生身の人間は退化しているかもしれない。それに自覚的になれるか?あるいはなったところでしょうがないか?計算機のほうが人間よりも賢くなってしまったならば。
好奇心格差が経済格差を悪化させる
MOOC的なもので自ら進んで受講した講座を終了したのは10%に満たないという調査があるらしい。インターネットは好奇心を保ち続けられるものをとても賢くする一方で、あとの人をおきざりにする。10%て。
好奇心を維持できる人が成果を手にする時代
インドや中国でも、数年くらい根を詰めてCSを勉強すれば信じられないくらい人生が変わる。
貧しい家庭の心の問題
貧困層が行政の支援にアクセスできない一因は、適切な問いを発することができないから
高所得層の家庭の子は、低所得層の子より多く質問する
早いと2歳くらいから差が出るらしい。「説明を求める質問」の割合も高所得層のほうが高くなるという研究結果も。
多くの質問をする子は、親から多くの質問をされている
低所得層の母親も、高所得層の親と同じように子供の質問に答えている。しかし、親から質問する数は少ない傾向にあるらしい。
あまり質問をしない親は、「いけません」、「よしなさい」といった禁止の言葉を多用する傾向が強かった。親が言葉を管理のための手段としてではなく認知的探索の手段として用いる様子を見ていた子どもたちは、そうした言葉の使い方を真似ることが多かった。
自分の子供に賢くなってほしければ、まず自分が知的に磨かれろ。
にしても親子に関する研究は全体的にN数が少なくてうーんって感じ。
スラム街にコンピュータを置いてみる
すると、子どもたちはお互いに教え合いながら、「九ヶ月後には欧米企業の秘書と同等レベルまで使いこなせるようになる」らしい
「好奇心駆動型」教育が機能しないわけ
ベースとなる知識がないと学習は広がらない
「好奇心」や「やり抜く力」だけでは足りない
13歳になる前に「マスター」のタイトルを獲得したチェスの天才は、好奇心もやり抜く力も十分に兼ね備えていたが、基礎的な知識が足りなかったために名門校の受験には合格できなかった
スペシャリストかジェネラリストか
幅広い知識を持った人物の頭の中で、様々な分野が交流することによって新しいアイディアが生まれやすくなるのは間違いない。DNAを発見したフランシス・クリックは物理学者として研鑽を積んだ経験があり、その背景知識が合ったからこそ、生物学者たちが到底解決できないと思いこんでいた問題でも必ず溶けると信じられたと語っている。ピカソの場合、アフリカの彫刻を西洋絵画に取り入れたのを気に新境地が切り開かれた。
多彩なキツネと堅実なハリネズミの雑種
ネイト・シルバーによる教育への言及が面白い。
専門的な技能は必要になってから学べば良いので、普段は問うべき課題を特定する直観を養うために多様な科目を学ぶべき、との意見。
ミクロとマクロ、具体性と抽象性をを統合する
ピーター・ティールがこう言っているらしい
...人文科学の分野では世界について多くを学ぶことだろう。だが、それを学んだからと言って、仕事で本当に役立つ能力が身につくわけではない。反対に、工学専攻では、技術的なことについて非常に細かく学ぶ。だが仕事を始めたとき、身につけた技術を何故、どうやって、どこで活かすのかということは学ばずじまいになるかもしれない。優れた学生、労働者、思想家は、これらの問題を一つの物語へと集約することになる。
知識と技術、思索と行動は依存しあっている
ジョブズはマッキントッシュの前身である「アルト」をいじくり回していた。
『種の起源』や『国富論』には詳細な観察記述が書き記されている。