「共通点を探しましょ」が消えた社会で
1. 「探しましょ」は、文化の前提だった
「私とあなたは違う人間だから、共通点を探しましょ」。
かつて、この一言は対話の始まり方だった。
哲学では弁証法、心理学ではアサーション、社会では“話せばわかる”の精神。 違いを恐れず、共通地を見出すことが、人と人の基本動作として共有されていた。
21世紀に入ってから社会の文法は変わった。SNSが可視化したのは「似ている人だけでつながる世界」であり、政治やビジネスは“効率”と“正しさ”を優先する。 結果、 「違いを超えて共通点を探す」より、「正しさを競う」 ほうが早く、簡単で、報われやすくなった。
2. 「探しましょ」の不在がもたらす静かな損失
「違いを受け入れましょう」は言われる。「共通点を探しましょう」は、言われなくなった。 この微妙な差が、社会の空気を変えている。
違いを“尊重”するだけでは、対話は並行線のまま終わる。相手を尊重するということは、「相手のいうことを丸のみする」のではなく、「相手と自分の交わりを設計する」工夫や努力のことだ。でも、その“交わりを設計する言葉”――つまり「探しましょ」という姿勢――が、どの分野からも静かに消えつつある。
人は今、共通地をつくる技術を失いながら、分断を語っている。
3. これからの「探しましょ」:再発明としての対話
未来に必要なのは、昔の「仲良くしましょう」でも、“多様性を認めましょう”というスローガンでもない。
必要なのは、
「あなたと私は違う。だから一緒に“考えられる”場所をつくろう」という、
新しい“探しましょ”の文法だ。
哲学で言えば、止揚。 心理学で言えば、アサーション。 組織論で言えば、心理的安全性。そのどれもが、異なるものをつなぐ試みだった。それを再び“仕組みとして”立ち上げ直すことが、次の時代の「共通地のデザイン」になると思う。
🌾 終わりに:違いは、関係の素材である
違いは、断絶の原因じゃない。 “関係を設計するための素材“ だ。 「共通点を探しましょ」は、その素材を扱うための古くて新しい道具。失われたものを懐かしむよりも、もう一度その動作を、言葉として、文化として、設計し直す時代が来ている。
補足
ふと湧いた疑問を、ChatGPTに話しかけることはよくあります。1セッション中で、論旨がまとまったものを、こんな形で整理してもらいました。
タグ「ChatGPTが書いた」は、そういう意味で付けています。
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