女性プログラマーの歴史
現在、女性プログラマーは少数派であり、「女性は遺伝的にプログラマーに向いていない」という誤った考えも一部で広まっています。しかし、実際にはプログラミングの歴史をたどると、女性の重要な役割が見えてきます。今回は、少し過去にさかのぼって、女性プログラマーの歴史に触れてみたいと思います。
実は、世界で最初のプログラマーとされているのは女性なんです。その人物はエイダ・ラブレス。彼女は19世紀前半のイギリスの貴族で、数学を得意とし、あの有名なプログラミング言語「Ada」の名前の由来にもなっています。当時、まだ現代のようなコンピューターは存在していませんでしたが、歯車で動く「機械式コンピューター」の設計が進んでいました。残念ながら技術的な問題で完成には至りませんでしたが、理論上は今のコンピューターと同じ計算能力を持つものでした。
エイダ・ラブレスは、その機械のためのプログラムを設計し、後世に残しました。
こちらがエイダが設計したプログラムです。テキストデータという概念がなかった時代なので、表形式で書かれていますが、しっかりプログラムになっています。
時代は少し進み、20世紀半ば。世界初の実用コンピュータ「ENIAC」のプログラムを書いた6人のエンジニアも、実は全員が女性でした。彼女たちの名前は以下の通りです。
- キー・マクナルティ
- ベティ・ジェニングス
- ベティ・スナイダー
- マーリン・ウェスコフ
- フラン・バイラス
- ルース・リターマン
6人とも、Wikipediaに載っているので、ぜひ調べてみてください。旧姓とは違う姓で掲載されている人も多いので、名前が少し違うかもしれません。
つまり、世界初のプログラマーだったエイダ・ラブレスと、世界初のコンピュータ・プログラマーだった6人は、全員が女性だったということです。最初のプログラマー7人が全員女性だった、と言っても過言ではありません。(厳密な話をすると少し込み入ってきますが、ここでは簡潔に伝えますね。)
エイダ・ラブレスが貴族だったことを除くと、残りの6人が女性であった背景には、当時の社会的な要因がありました。あの時代、女性が就ける職業は限られており、その中に「計算手(コンピューター)」という職業がありました。今で言うコンピューターとは違い、手計算や簡単な計算機を使って、ひたすら計算をする仕事です。当時、頭の良い女性の間で人気のある職業だったようで、このためにプログラミングという分野にも自然と女性が進出したのです。
その7人の後もしばらくは、コンピュータの歴史には多くの女性が貢献しています。中には、女性が男性よりも細やかな作業に適しているという意見もあったようです。
中でも特に有名なのは、グレース・ホッパーでしょう。彼女はCOBOLというプログラミング言語を開発し、軍のコンピューターに深く関わり、最終的には准将の階級まで上り詰めました。また、彼女の名誉を称えた軍艦も存在します。
では、どうして現在、プログラミングが男性主流の職業になってしまったのでしょうか?生まれつきの能力の違いだという主張では、歴史的に女性プログラマーが減少してきた理由を説明できませんし、脳科学の研究でも、そのような大きな差は見つかっていません。
実は、女性プログラマーが減少し始めたのは1980年代のことだと言われています。この時代、何が起こったのか?おそらく、パソコンが普及し始めたことが大きな要因です。パソコンが「男の子の遊び道具」というイメージが強まったことで、自然と女の子がプログラミングに興味を持ちにくくなり、それが職業としても影響を及ぼしたのでしょう。
このようにして女性プログラマーが減った背景を考えると、今もプログラミングに才能を持ちながら、その可能性を生かせずにいる女性たちが多いはずです。多様性を活かした社会を実現するためにも、女性が再びプログラマーとして活躍できる環境を整えることが重要です。
(編集協力:ChatGPT 4o様)
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