Webを触り始めてから2年間の振り返り
はじめに
はじめて自分でWebサイトというものを作ってから2年が経ちました。プログラミングとは無縁の地域社会学に関心がある大学生であったため、いわゆる文系未経験というやつです。
この2年間、全力でプログラミングに力を注いできたかと言われると、必ずしもそうではないように思います。もちろん努力をしてきた自負はありますが、あくまで自分の関心や専門は地域社会学の方にあり、卒業論文やグループ展の方に重心を置いてきた2年間でした。
偏見かもしれませんが、文系未経験からプログラミングというと、就活にあたって「文系的」な関心を投げ出して転向するようなイメージがあります。大学の専攻にあまり関心がないのならば、好ましい転向だと言えるでしょう。しかし、専門分野への関心があるにもかかわらず、仕事のことを考えてプログラミングに転向するのは、尊重される1つの人生の選択ではあれど、少し悲しい転向であるように思います。
2年前、私はそのような選択をする岐路に立っていました。
それは、ゼミに所属するか、プログラミングを始めるか、という選択です。迷った末に私は両方を選びました。賢い選択だったかは分かりません。力が分散したために学び取れなかったこともあるでしょう。それでも両立しようと努力したことで得られたものがたくさんあったように思います。
そのような2年間を一区切りの振り返りとして、あるいは、これからプログラミングを始めようと考えている人たちに向けた学習記録の共有として書き残します。
自己紹介
改めて、余田大輝(よだひろき)と申します。
昨年度で慶應義塾大学経済学部を卒業しました。冒頭にも書いたように大学では財政社会学の研究会に所属しながら地域社会学、具体的には原発被災地域における移住促進政策の研究をしていました。現在は会社員としてエンジニアの仕事をしています。
どのような大学生活を過ごしたかは、以前こちらの「大学生活の総括」と題したnoteに書いたので、ご興味のある方は読んでいただけると嬉しいです。
また、経歴や制作物はこちらのポートフォリオサイト、あるいはWantedlyをご覧ください。
振り返り
21.05 はじめてのWebサイト作成
Webサイトがどうやって作られているか、ましてやWebがどうやって動いているかについての知識もなかった大学3年次の春、「松本家通信」という名前ではじめてWebサイトを作成しました。「松本家通信」は友人たちとの活動を記録するためのWebサイトです。「活動記録を残すにはWebサイトがあった方が都合が良さそう。ちょうどプログラミングに興味があったし、勉強がてら作ってみよう」というような気持ちで作り始めた記憶があります。
改修を重ねながら今でも「松本家通信」は公開しています。
HTMLもCSSも高校の情報の授業で少し触ったことがある程度だったので、こちらの本の見よう見まねで作成しました。
21.06 CS50を利用して学習開始
考えていることをカタチにする行為として、自分の手でWebサイトを作るのがとても楽しかったので、本格的にプログラミングを学び始めることにしました。信頼できる情報源が良いだろうということで、ハーバード大学のCS50という無料プログラムを利用して学習しました。日本語訳をしてくださった皆さまには非常に感謝しています。
21.08 第1回松本家展オンライン展示
学習の成果として、第1回松本家展というグループ展のオンライン展示を作りました。コロナ禍真っ只中で展示会場まで実際に見に来るのが難しいご時世だったので、オンライン展示としてWebサイトを用意しました。
また、バックエンドも触ったみたくて、CS50で学んだDjangoを使って、展示メンバーのみが使える掲示板を作成しました。21.11 就職活動
第1回松本家展でバージョンアップした「松本家通信」を引っ提げて、エンジニア職の就職活動を始めました。当時はまだエンジニア職に就くか、地域での仕事を続けるか、悩んでいましたが、良い巡り合わせもあり、現在務めている会社で働くことを決めました。プログラムの経験が半年もない中で、エンジニア職として採用してくださった会社には非常に感謝しています。
22.01 LINE bot と Slack bot
就職活動を始めてからはあまりプログラミングができていなかったので、年も明けて何か作ってみようと思い、「松本家通信」掲示板の通知をLINEグループに飛ばすbotと、Googleカレンダーの予定をSlackに通知するbotをそれぞれ制作しました。
このとき初めてサポーターズ主催の「技育CAMP」というハッカソンに参加したのですが、周りの参加者のレベルの高さに驚いた記憶があります。動くものが作れるようになったタイミングで、このイベントに参加したのは、先のイメージができるようになった意味でも非常によかったです。
22.03 レバテックカレッジのメンターに
縁があってレバテックカレッジという大学生向けのプログラミングスクールのメンターの仕事を始めました。独学で勉強してきた自負もあり、正直プログラミングスクールに良い印象を持っていなかったのですが、この仕事は本当に始めてよかったと感じています。
レバテックカレッジは使いようです。スクールのプログラミングには収まらないような学習や研究をしているメンターがたくさんいるので、彼らから学び取れるものがたくさんあります。生徒よりも誰よりも私がこの環境で最も技術的に成長したのではないでしょうか。
22.08 松本家架空日記
夏休みにはレバテックカレッジのメンター同期たちとチーム開発をしました。見よう見まねでReactを書いてみたり、Switchbotを動かしてみたりしながら開発したのが「松本家架空日記」という作品です。作りたいものを自分たちでカタチにできる実感が得られてきたのがこの頃でますます開発が楽しくなってきた時期でした。
22.09 第2回松本家展オンライン展示
9月に開催した「第2回松本家展」でも、前年に引き続きオンライン展示を制作しました。Web以外の作品制作も含めて、葛尾村の一軒家で開発合宿をしたのが楽しい思い出です。
22.12 レバテックハッカソン
レバテックカレッジでは同期と2人で「レバテックハッカソン」というスクール内でのハッカソンを立ち上げました。インプットがたくさんの学び初めにおいて、チームで短期間で開発する楽しい経験は重要なのではないかと思い、ハードルの低いハッカソンとしてこの企画を始めました。
23.01 AR Letter
大学最後の春休み、やり残したことがありました。それはチームでハッカソンに参加することです。友人たちとチームで「技育CAMP」に参加して、AR Letter というバレンタインを題材にしたアプリを作りました。なかなか高い完成度だと自負しているのですが、ひとつも賞を取ることができなかったのが悔しくて、これはしばらく引きずるかと思います。サポーターズの常連学生になりたかった大学生活でした。
23.02 松濤会始動
カレッジのメンターも卒業に差し掛かり、次々と辞めていく中で、暇な時間の技術に関する雑談ができなくなっていくことを残念に思っていました。そこで、カレッジの所在地の地名を取って「松濤会」という有志の勉強会を始めました。
同期が会社員になった現在でも毎週土曜朝にZoomでLT会をしているのは我ながらえらいと思います。第1回の私が登壇した回では、次の本を参考に「HTTPの歴史」の話をしました。
23.03 Guest House App
大学最後の最後にゲストハウスにまつわるアプリを作りました。ゲストハウスを地域のイベントやプロジェクトのハブにして企画参加と宿泊を一緒に予約できるWebアプリです。地域社会の仕事や研究を続けていなければ作ることのできなかったものだと思います。
正直満足のいく完成度まだ作り込めませんでしたが、QWSステージで優秀賞をいただけて感謝しています(取り仕切ってくれた友人にも大感謝)
おわりに
ここまで2年間で作ったものを中心に振り返ってきました。
振り返ってみて思うのは、気が向いたときにしかコードを書いていない上に、大半のコードは友人たちが書いているということです。全くの未経験からという意味では大きく成長しましたが、2年間で身に着いた技術としてはそこまでかもしれません。
ただ、「これを作りたい!」と言える源泉は、その代わりに時間を割いてきたプログラミングとは別の経験や専門性の方にあるように思います。また、自分で作れるイメージがあるからこそ、普段のモノの見え方も変わるような感覚があります。
加えて、プログラミング関連のアルバイトは、同世代との出会いという意味でも、経験を積めるという意味でも、待遇・条件面でも、自分の生活に適していました。
個人の偏った意見ですが、文章の読み書きに自信がある人は初学者レベルであれば、比較的短期間でWebアプリを作れるようになると考えています。触り始める前はもっと数学的素養が重要かと考えていたのですが、これだけドキュメントやライブラリが充実している時代においては、テキストで言プットした情報を整理してアウトプットできる構造読解のような能力が重要になると個人的には思います。
したがって、パソコンにある程度触れてきており、文章の読み書きの訓練をしてきた文系大学生であれば、3か月もあれば動くものが作れるようになるかと思います。動くものが作れるようになると、自分の研究や創作や活動をカタチにする選択肢が生まれてきます。自分で技術を触っているからこそ出会える仲間もいます。
ぜひ何かに打ち込んでいる文系大学生こそ、Webを触ってみてはいかがでしょうか。
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