これから「教育」をしようとするあなたへ
はじめに
この記事は、教育する側として新人をはじめとする部下を育成しようと考えている方へのメッセージですが、教育を受ける人にも大事なことが含まれています。
IT業界の中でもSIerに特化している部分が多いため、ご自身の会社と異なる点も多いことでしょう。
その場合には適宜読み飛ばしていただけますと幸いです。
謝辞
本記事の内容は、個人の主観と酒の力によって作り上げられた記事です。
ご意見やご感想がありましたらご参考にさせていただきたく存じますのでぜひお願いします。
「指導」と「教育」の違い
教育も指導も、「教える」といったような意味合いで使用されているが、本来の意味・意図はは少し異なります。
まずは、それぞれの言葉の意味から解説します。
指導
指導という単語を辞書で調べると、「ある目的や方向に向かって教え導くこと」とされています。
噛み砕いていうと、「やり方」や「方法」を教えることで、正しい方向へ導くことを指します。
教育
教育を辞書で調べると「ある人間を望ましい姿へ変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること」とあります。
教育と指導の違い
一方で、教育は「相手を主体としている」こと、そして「心身両面に渡って」という2点について異なります。
分かりやすい例としては、金○先生の「熱血指導」でしょう。
自分の熱い心を相手に提示することで、自分のペースに引っ張っていく。そんな熱血ドラマです。
教育と指導の大きな違いは、
- 指導:自分の望む方向に相手を矯正する
- 教育:相手の成長を促す
という大きな違いがあると考えるとよいでしょう。
非常に厳しい言い方になりますが、指導の目的は「ゴールまでの道筋を教える」ことであり、そこに相手の心情は関係ありません。
非常に悪い言い方をすると、相手を正しい方向に矯正すればよいので、とにかく正論でぶん殴ればよいのです。
そこが大きな違いといえるでしょう。
「育成」はどうなのか?
ちなみに、さらに違う単語として「育成」という言葉があります。育成は「育てて立派にすること」という意味を持ちますので、指導というよりは教育に近い考えでよいでしょう。
技術者を教育するということ
勉強=授業?
教育といえば「学校」のイメージが強いのではないでしょうか。
少し話が変わりますが、「授業」という言葉が主に使われるのは中等教育機関である高校までということはご存じでしょうか。
中学・高校までは、「生徒」が「授業」を受けるという表現をしますが、
大学をはじめとする高等教育機関では、「生徒」ではなく「学生」、「授業」ではなく「講義」とされています。
(稀に「大学の”授業”」という表現をしている場合もあるようですが、誤植なのか意図的なのかは不明です)
授業と講義の違いですが、実は「授」という字が大きなポイントとなります。
再び国語辞典を片手に意味を調べてみましょう。
- 授業:授業学問や技芸を教え授けること。
- 講義:学問の方法や成果、研究対象などについて、その内容・性質などを説き聞かせること。また、その説明。
つまり、
- 授業:生徒が受け身となって教えられる
- 講義:学生が主体となって教授や准教授といった人の話を聞きにいく
というのが本質です。
ということは、大学で行われている講義はあくまでも「解説」がメインであって、学生はそれに対して受け身ではいけないということになります。
それを勘違いして高校までの「授業」と同じ感覚でいると危ない理由はそこにあります。
残念ながら、高等教育機関はサボリや赤点に対して非常に厳しいことが多く、簡単に留年してしまいます。
すでに社会人デビューしている皆様におかれましてはもうとおり過ぎた事実でしかありませんが、
もし後輩がいらっしゃいましたら優しく教えてあげるとよいでしょう。
社会人における「教育」
学校における授業や講義は1対多のブロードキャストになりますが、
社会人における教育の多くは一対一、一対多であっても非常に少数といえます。
学校では、「一律」の教育が主体でしたが、
社会に出てしまうと「同じ知識レベル」はあり得ないため、全員がまったく同じ教育で同じように育つことは皆無といえます。
なお、この例外として「新卒研修」が存在します。
効率よく多くの人材を確保するための手段として利用され、そのまま「一定の教育」を経て実質の社会人デビューを果たすのです。
「指導する」という目的であれば、底辺を上げ出た杭を叩くこの方式は非常に有用といえます。
しかしながら、「多様性」が叫ばれる今、この先このシステムにも限界が来ることでしょう。
「各人が得意分野で活躍できるようになる」という視点を持って採用・教育をするようなシステムになることが、企業として成長するためのひとつのファクターなのかもしれませんね。
IT系教育の変革期であるという事実
「出る杭が打たれる」という世の中は終わりつつあり、「得意な点をいかに伸ばすか」の方が重要とされています。
これは、「多様性」ということも大事ですが、それ以上に「DX(デジタルトランスフォーメーション)」という単語がポイントとなってきています。
DXの本質は「変革」ということは周知の事実ではありますが、その裏には「PhysicalとDigitalの融合」があります。
この先、本来の意味での「DX」が推進されることで、誰もがデジタルを使いこなす世界が近づいています。
さらに追い討ちをかけるように、小学校や中学校で「プログラミング教育」がスタートしました。
つまり、IT業界人以外でも「最低限のプログラミングの素養」をもつことになります。
そうなると、SIerやソフトハウスの立場はどうなるでしょうか。
もしかしたら、大手SIerですらユーザー企業の下請けのような状態になるかもしれません。
そうなった時に、非IT企業に対する”優位性”をどう確立していくかが、今後の課題となるでしょう。
IT業界における社会人教育と心理的安全性
本来であれば、教育と心理的安全性は紐づかないと考えられます。
しかしながら、社会人における教育・育成に関していえばこの心理的安全性の考え方は非常に重要です。
社会人が行う学習の本質は「自己研鑽」であるため、企業から「授業を受ける」という感覚をまずは捨てる必要があります。
そのためには、「自ら成長したい」と考えるマインドが必須です。
すべての学習を自力で進めることができるのであれば不要ですが、すべての人がそうとは限りません。
あなたの部下に成長を促したいのであれば、成長できる雰囲気を作り出す必要があります。
その雰囲気を作り出すひとつの要素が「心理的安全性の確保」です。
成長にもっとも必要なのは「チャレンジしたい」と思える精神です。
どんなに理論を積んでも、所詮「人」である以上感情が優先されてしまうのは当然です。
それを前提とした上でいかに成長を促すかが今後必要になっていくことに留意する必要があります。
成長に必要な3つの要素
さて、ここからはITエンジニアとして成長するための3つの要素を紹介します。
1. 自己肯定感
もっとも重要なのは、自分の中にあるこれまでの実績を「肯定」することです。
他人は、あなたのすべてを理解することはできません。
あなたの実績のすべてを知っている人は存在しないと考えましょう。
他の人から見えているあなたの実績は、あなたが実施してきた実績のほんの一部です。
「なぜ自分の上司は自分の実績を理解してくれないんだろう」
そう考えている方も多くいることでしょう。
同じことがあなたの部下に起きることをあらかじめ想定しておく必要があります。
あなたが教育する対象の人があなたよりも劣っているのは当たり前です。
「なんでこいつはこんなにできないんだろう」と思えないのであれば、あなたは非常に無能ということになります。
それが当然であると考えましょう。
必ず、
「お前はここができていない」
「ここを直せ」
という指導をすることになります。
ここで考えてみてください。あなたがしたいのは「指導」ですか?「教育」ですか?
相手のことをまずは肯定することを忘れないようにしてください。
2. 適度なプレッシャー
成長においては、適度なプレッシャーが必要です。
しかしながら、そのプレッシャーは他人から与えられるものではありません。
上司や部下からプレッシャーを感じることがあるでしょう。
ですが、それはあくまでも「あなたから見た」プレッシャーであることを留意しましょう。
一方で、プレッシャーを与える人間も相手がどのようにプレッシャーを感じているのかを知ることはできません。
相手がどう感じているのかを考えることを忘れないでください。
- 「プレッシャーを感じれば成長できる」
- 「プレッシャーを与えれば成長する」
このふたつは、似ているようでまったく違うことを理解できているのであれば、特に問題はないことでしょう。
3. 信頼
上司の方は、あなたの部下がなぜあなたの下にいるのか考えてみましょう。
ほとんどの場合、
- 尊敬
- 恐怖・盲信
- 妥協
これのいずれかです。
これのいずれかでない場合、あなたの部下はすぐにあなたの元を離れます。
どんなに優れた人間であっても、人間性がクズでは尊敬されることはないでしょう。
もしかしたら、それは「尊敬」ではなく「盲信」かもしれません。
尊敬を得るためには
尊敬を構築するためには、「リスペクト」が非常に重要です。
少し言葉遊びになってしまいますが、「尊敬」と「リスペクト」は厳密には異なります。
「尊敬」は目上の“人“へ使う言葉であり、「リスペクト」に立場や人間性は関係ありません。
リスペクトは、人だけではなく考え方や行動といったものに利用できるため、
「あいつのことは嫌いだけど、こういうところは“リスペクト“できる」といった使い方ができます。
そう考えると、「尊敬」という言葉はまさに日本らしい単語といえますね。
尊敬とリスペクト
さて、話は戻りますが、相手と信頼関係を得るためにはこの「リスペクト」の精神が大事です。
もちろん、相手に「尊敬」されるような上司・先輩であれば相手はついてきてくれることでしょう。
しかしながら、「相手に尊敬されたい」という考えを持ってしまうと途端に失敗してしまうのです。
尊敬はあなたの行動の「結果」であって、尊敬を目的とすると間違いなく失敗します。
では、どうしたらよいのでしょうか。
答えは簡単で、「相手へのリスペクト」の精神をもつことです。
あなたが相手のことを解ろうとすれば、自ずと相手はあなたのことを解ろうとしてくれます。
実際には分かり合えないかもしれませんが、双方の「リスペクト」が見つかれば、自ずとそこに「信頼」が生まれてきます。
その信頼の先に尊敬があることを忘れないようにしましょう。
「よくわからないけどこの人はすごいんだ」という、そこに何の根拠もない感情はまさに「尊敬」ではなく「盲信」といえます。
つまり、「教祖」になりたいのであれば、とにかく自分のすごいところを見せ続けるとよいでしょう。
ただし、その場合ついてきてくれるのはほんの一部であると理解することも忘れずに。
そうでないのであれば、相手をリスペクトしようとする気持ちを忘れないことが大事です。
蛇足になりますが、「2.恐怖」はブラック企業のやり口です。
あなたがその会社にいる理由として「恐怖」をあげているのであれば、すぐに逃げることをお勧めします。
さいごに
IT業界における「教育」について解説してきました。
長々と書いてしまいましたが、
- 教育をする側は「相手をどう育てるか考えていく=授業するつもりで教える」
- 教育を受ける側は「自分がどう成長したいかを考えながら自発的に動く=講義を受けるつもりで聞く」
というように、それぞれが自発的に動くというマインドが非常に重要です。
教わる側の成長も大事ですが、教える側もたくさんの「気づき」を得ることで成長できます。
つまり、どちらかが「受け身」になった瞬間、双方の成長は途絶えてしまいます。
この「ともに成長する」ことが非常に重要であることをしっかり理解した上で、教育に望んでいただけると幸いです。
Discussion