富士通が描く未来の製造業——国産CPU「MONAKA」とAI技術で日本の競争力を取り戻す
富士通が製造業のDX(デジタルトランスフォーメーション)を支援する次世代技術を発表しました。核となるのは、2027年投入予定の国産CPU「MONAKA」と、工場でも使える軽量AI技術です。
従来、製造現場へのAI導入は「機密情報の漏洩リスク」「電力・設備の制約」「突発的な状況への対応力不足」といった課題がありました。
富士通はこれらを解決するため、自社管理下で安全に使える「ソブリンAIプラットフォーム」、AIへの攻撃を防ぐセキュリティ技術、そして省電力で動く次世代CPU「MONAKA」と1ビット量子化技術を開発。
さらに、ロボットが数秒先の未来を予測して動く「空間World Model技術」も披露しました。これにより、日本の製造業が「ハードウェアの強み」に「AIとソフトウェアの力」を掛け合わせ、再びグローバル市場でリーダーシップを取ることを目指しています。
深掘り
深掘りを解説
富士通の戦略は単なる技術開発ではなく、日本の製造業が直面する構造的課題への総合的な解決策です。
1. なぜ「ソブリン(主権的)AI」が必要なのか
製造業の設計図面や製造プロセスは企業の競争力の源泉であり、外部クラウドに預けることはリスクが高すぎます。しかし、AI活用には膨大な計算資源が必要で、多くの企業がパブリッククラウドに依存せざるを得ない状況でした。富士通のソブリンAIプラットフォームは、オンプレミスやプライベートクラウドで企業が完全にコントロールできるAI環境を提供することで、この矛盾を解決します。
2. 三層のセキュリティ防御
富士通の「AI Trust」技術は、AIモデルへの攻撃(敵対的サンプル攻撃、ポイズニング攻撃、モデル窃盗)、データ漏洩、そして偽情報(ディープフェイク)という三つの脅威に対応します。特に製造業では、設計図面の真正性担保や改ざん検知が重要で、これらの技術により安心してAIを活用できる環境が整います。
3. 現場制約を突破する二つの技術革新
製造現場は、データセンターのように専用の空調や電源設備を用意できません。MONAKAは富岳の技術を継承した2nmプロセスのArmベースCPUで、計算性能を2倍にしながら消費電力を50%削減し、空冷で動作します。さらに1ビット量子化技術により、従来16~32ビットで動作していたAIモデルを1ビットに圧縮。これにより、GPUサーバなしで現場のPCレベルでLLMが動くようになります。
4. フィジカルAIの革新——予測する空間知能
従来のロボットは、事前プログラミングが必要で環境変化に弱い存在でした。富士通の「空間World Model技術」は、固定カメラとロボット搭載カメラから3Dシーングラフを構築し、人や物体の「次の行動意図」を予測します。デモでは、人が立ち入り禁止区域に入る前にアラートを発するなど、事後対応から事前予測への転換を示しました。従来比3倍の精度で行動予測が可能です。
深掘りを図解
用語解説
ソブリンAI(Sovereign AI)
企業や国が自身のコントロール下でAIを運用する概念。パブリッククラウドに依存せず、機密データやノウハウを外部に流出させることなくAIを活用できます。
MONAKA(もなか)
富士通が開発中の次世代CPU。2nmプロセス技術を採用したArmアーキテクチャで、スーパーコンピュータ「富岳」の技術を継承。2027年投入予定。
1ビット量子化
AIモデルの計算精度を、従来の16ビットや32ビットから1ビット(符号のみ)に圧縮する技術。性能を維持しながらモデルサイズを大幅に削減できます。
敵対的サンプル攻撃(Adversarial Attack)
AIモデルに特殊なノイズを混ぜた入力を与えることで、誤った判断を誘発させる攻撃手法。
ポイズニング攻撃(Poisoning Attack)
AIの学習段階で不正なデータを混入させ、モデルの動作を意図的に歪める攻撃。
空間World Model技術
ロボットが周囲の環境を3D空間として理解し、数秒先の未来を予測して行動するための技術。固定カメラとロボット搭載カメラの情報を統合します。
3Dシーングラフ
空間内の物体や人の位置関係、属性、動きを階層的に表現したデータ構造。時系列で解析することで未来予測が可能になります。
フィジカルAI(Physical AI)
デジタル空間だけでなく、物理世界で実際に動作し、環境と相互作用するAI。ロボットや自律移動システムなどが該当します。
LLM(Large Language Model:大規模言語モデル)
膨大なテキストデータで学習された大規模なAIモデル。ChatGPTなどが代表例。富士通の「Takane」もLLMです。
ルーツ・背景
日本の製造業は1980年代から1990年代にかけて、高品質なハードウェア製造で世界を席巻しました。トヨタの「カイゼン」やソニーのウォークマンなど、「モノづくり」の強みが国際競争力の源泉でした。
しかし2000年代以降、製造業のパラダイムは変化します。AppleのiPhoneに象徴されるように、ハードウェアの価値はソフトウェアと統合されることで最大化される時代になりました。さらに近年では、テスラやBYDが示すように、自動車産業でも「SDV(ソフトウェアデファインドビークル)」という、ソフトウェアが車の価値を決める時代へ移行しています。
日本企業はハードウェアの品質では依然として強みを持つものの、AI・ソフトウェア活用では欧米や中国企業に後れを取っているという危機感が広がっています。経済産業省の「2023年版ものづくり白書」でも、デジタル技術活用の遅れが指摘されました。
富士通の今回の戦略は、この構造的課題への回答です。同社は1960年代から国産コンピュータ開発を手がけ、2021年に世界最速のスーパーコンピュータ「富岳」を完成させるなど、計算機技術で実績を積んできました。その技術資産を活かし、製造業のAI活用を加速させることで、日本の競争力回復を目指しています。
また、昨今の地政学リスク(米中対立、半導体サプライチェーンの分断)により、「技術主権(テクノロジーソブリンティ)」の重要性が高まっています。自国の重要データや技術を、海外企業のクラウドサービスに依存するリスクが認識され、「ソブリンAI」という概念が生まれました。欧州でもGAIA-Xプロジェクトなど同様の動きがあり、富士通の戦略は国際的なトレンドとも合致しています。
技術の仕組み
技術の仕組みを解説
富士通の技術戦略は、ハードウェア・ソフトウェア・AIの三層構造で製造現場の課題を解決します。
第一層:省電力ハードウェア基盤
MONAKAは、トランジスタのサイズを2nm(ナノメートル、10億分の2メートル)まで微細化したプロセッサです。トランジスタが小さいほど、同じ面積により多くの回路を詰め込めるため、性能が向上します。同時に、電気信号が移動する距離が短くなるため消費電力も減ります。
富岳で培ったArmアーキテクチャの最適化技術を活用し、AI計算に特化した命令セットを組み込むことで、従来CPUの2倍の性能を実現。さらに空冷で動作するため、工場のような設備制約がある環境でも導入可能です。
第二層:AI軽量化技術
通常、AIモデルの計算は「32ビット浮動小数点」(約43億通りの数値を表現可能)や「16ビット」(約6万5千通り)で行われます。1ビット量子化は、これを「+1」か「-1」かという符号情報だけに圧縮します。
具体的には、ニューラルネットワークの「重み(パラメータ)」が正か負かだけを保持し、計算を簡略化します。情報量が激減するため通常は精度が落ちますが、富士通は独自のアルゴリズムで性能を維持したまま圧縮に成功。これにより、GPUなしでもLLMが動作します。
第三層:予測的空間認識AI
空間World Model技術は、複数のカメラから得られる映像を統合して3D空間モデルを構築します。固定カメラ(天井など)の俯瞰視点と、ロボット搭載カメラの移動視点を組み合わせることで、見え方の違いを補正し、精度の高い空間把握を実現します。
次に、この3D空間データの時系列変化を学習モデルで解析。人や物体の動きのパターンから「次にどう動くか」を予測します。例えば、人がある方向を向きながら歩き始めたら、その先にある立ち入り禁止区域に向かう可能性が高いと判断し、事前にアラートを出します。
この予測は単純な軌道計算ではなく、人対人、人対ロボットといった相互作用を考慮した学習モデルを使うため、複雑な状況でも高精度(従来比3倍)です。
技術の仕組みを図解
実務での役立ち方
製造現場のマネージャー・エンジニア
- 設備投資を抑えたAI導入が可能に。大型GPUサーバや専用空調が不要なため、既存の工場環境でもAI活用を開始できます
- 知的財産を守りながらAI活用。設計図面や製造ノウハウをクラウドに上げずに済むため、情報漏洩リスクを大幅に軽減できます
- 予測的な安全管理。作業者が危険エリアに入る前に警告できるため、労災リスクを低減できます
生産技術・DX推進担当者
- ロボット導入のハードルが下がる。従来のティーチング作業が不要になり、環境変化にも柔軟に対応するロボットを導入できます
- 複数ロボットの協調運用。異なる種類のロボットが同じ空間で効率的に動作するシステムを構築できます
- リアルタイムな現場可視化。複数カメラの情報を統合し、現場全体を3Dで把握できます
IT・情報システム部門
- セキュリティリスクの軽減。AI Trustにより、AIモデルへの攻撃やデータ改ざんを防御できます
- オンプレミスでの高度AI運用。自社データセンターで最新のLLMやAI技術を安全に運用できます
- 電力コストの削減。省電力CPUにより、AI稼働にかかる電力費を半減できます
経営層・事業企画
- 競争力の源泉を守る。独自技術やノウハウを外部に依存せず活用することで、差別化要因を維持できます
- グローバル市場での優位性確保。ソフトウェアとAIを組み合わせた製品・サービス開発が可能になります
- 投資対効果の向上。設備制約を克服できるため、AI投資のROIが改善します
キャリアへの効果
製造業DXの中核人材へ
今後、製造業では「ハード×ソフト×AI」を理解できる人材が決定的に不足します。この分野の知識を持つことで、企業のDX推進リーダーとして重宝される存在になれます。特に、技術的な理解とビジネス課題の両方を把握できる人材は希少価値が高まります。
次世代技術のアーリーアダプター
MONAKAのような国産プロセッサや1ビット量子化といった最新技術を早期に理解しておくことで、2027年以降の技術トレンドを先取りできます。先行者利益を得られるだけでなく、技術選定や導入計画で主導権を握れます。
セキュリティ×AIの専門性
AI Trustのようなセキュリティ技術の知識は、今後あらゆる業界で必須になります。AIモデルへの攻撃対策やデータ真正性の担保は、金融、医療、行政など機密性の高い分野で特に重要です。
グローバル視点の獲得
「ソブリンAI」という概念は、欧州や各国政府も推進する国際的なトレンドです。技術主権の観点を理解することで、グローバルな技術戦略や政策議論に参画できる視野が得られます。
学習ステップ
学習ステップを解説
フェーズ1: 基礎理解(1~3ヶ月)
- 目標: AI・機械学習の基本概念を理解する
- Step 1-1: オンライン学習でAI・機械学習の基礎を学ぶ(Coursera、Udemy等)
- Step 1-2: Pythonの基礎文法を習得し、簡単なコードを書けるようにする
- Step 1-3: ニューラルネットワークの仕組みを図解で理解する
- チェックポイント: 線形回帰や単純なニューラルネットワークを自分で実装できる
フェーズ2: 製造業DXの文脈理解(2~4ヶ月)
- 目標: 製造現場の課題とDXソリューションを結びつける
- Step 2-1: 自社または業界の製造プロセスを詳細に観察・ヒアリング
- Step 2-2: IoT、エッジコンピューティングの基礎を学ぶ
- Step 2-3: 製造業向けAI事例(予知保全、品質検査等)を研究
- チェックポイント: 自社の課題に対してAI活用案を3つ提案できる
フェーズ3: 専門技術の深堀り(3~6ヶ月)
- 目標: MONAKAや量子化技術などの先端技術を理解する
- Step 3-1: CPUアーキテクチャ(ArmとX86の違い等)の基礎学習
- Step 3-2: モデル圧縮技術(量子化、プルーニング)を実践
- Step 3-3: エッジAIの実装手法を学ぶ(TensorFlow Lite等)
- Step 3-4: セキュリティ技術(敵対的攻撃への防御等)を調査
- チェックポイント: 既存のAIモデルを量子化して軽量化できる
フェーズ4: 実践プロジェクト(6~12ヶ月)
- 目標: 小規模でも実際の製造現場でAIを導入する
- Step 4-1: 導入しやすい課題を選定(品質検査の自動化等)
- Step 4-2: PoC(概念実証)プロジェクトを企画・実施
- Step 4-3: セキュリティとプライバシーに配慮した設計
- Step 4-4: 結果を測定し、改善サイクルを回す
- チェックポイント: PoCで定量的な効果(精度、コスト削減等)を示せる
フェーズ5: 発展と横展開(継続的)
- 目標: 専門家として組織を牽引し、知見を広げる
- Step 5-1: 成功事例を社内外で発表し、知見を共有
- Step 5-2: 最新技術動向を追い続ける(論文、カンファレンス)
- Step 5-3: 他部門・他拠点への横展開をリード
- Step 5-4: コミュニティ活動やメンターとして後進を育成
- チェックポイント: 社内外から製造業AI導入の相談を受けるようになる
学習ステップを図解
あとがき
富士通の発表は、単なる技術アップデートではありません。これは、日本の製造業が「ハードウェア大国」から「ハード×ソフト×AI融合国」へと生まれ変わるための、具体的な道筋を示すものです。
1980年代、日本は世界の工場として君臨しました。しかし今、製造業のパラダイムは劇的に変化しています。テスラは自動車メーカーではなく「ソフトウェア企業」と自称し、中国のBYDは電池とソフトウェアで市場を席巻しています。このままでは、どれだけ精密なハードウェアを作れても、グローバル市場で勝てない時代になっています。
富士通が提示したソブリンAI、MONAKA、空間World Model技術は、日本の製造業が再び競争力を取り戻すための「武器」です。しかし、技術だけでは不十分です。これらを理解し、現場に実装し、ビジネス価値に転換できる人材が、今まさに求められています。
あなたがこの記事を読んでいるということは、すでにその第一歩を踏み出しています。製造業DXの波は、もはや「いつか来るもの」ではなく、「今そこにある現実」です。学び続け、実践し、日本の製造業の未来を一緒に創っていきましょう。
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