性別による違いに関する話
概要
下記の本の中で、少し記載があった性別ごとの考え方の違いについて自分なりにまとめてみる。
ただ、この本の内容から得た私の考えであるため、本について理解したい人については書籍を読んでほしい
本の説明
この本自体は、引きこもりなどの問題を抱える人達が共通して抱えている自傷的な自己愛について語られている。
詳細は個々では記載しないが、「だめな自分を認識している自分はだめではない」という形で自己肯定を行うことにより、自分をなんとか保っている人たちが引きこもりなどで自分を守っている状態にあるということが記載されている。
この問題については個人の能力の問題ではなく、社会の問題であるということである。
ジェンダー論
この本の中で、性別に関する記述が少しあった、具体的には「母と娘の問題はこじれやすい」というニュアンスであったと記憶している。
女性
本の中では女性は「体を持っている」という表現をしていた。
「体を持っている」というのは「認識や意識をしている」という意味だと思われる。
特に女性は毎月の月経やホルモンの乱れにより体が不調となる場合がある。
こういった状態を管理する目的で常に体を意識するのだという。
確かに、例えば子供時代からそういった考え方を強制されることにより意識が強制され、内面的な思考や管理方法についてのノウハウが身につくのかもしれない。
男性
逆に男性はどうだろうか?
男性は本の中では「体を持っていない」と記載されていた。
これは実生活内では体を意識するタイミングがないという意味であろう、体調が悪い状態や病気などで無理やり体を意識するタイミングが無いため。体を意識して管理するタイミングがないのであろう。
子供時代から体を意識する必要がないため(薄い)、こういった身体的な不安を抱えずに思考を発達させることになるのである。
何が異なるのか?
この2つを比較すると根本的な部分で異なっているように思える。
例えば、この書籍の中では「娘と母については関係が複雑になる」というニュアンスの伝え方をしている。
理由としては、「家の中で体を持っている二人の関係であるから複雑になる」というニュアンスである。
母は娘の体を支配しようとし、その結果、娘はそれに縛られて人生を歩む事となるのである。
これを改善するのには「過去の母を語ってもらう」「母から離れる」「父の介入」などにより改善する必要があるようだ。
男女のコミュニケーション
母と娘から話を戻して男女のコミュニケーションについて考えてみよう。
例えば「落としたい女性に対してどのようなコミュニケーションを取る必要があるのか?」ということについて考えてみる。
二人の関係値において、どのような関係になることを望むかというところが起点になる。
例えば依存的な関係を求める場合は、他者が不足している部分を推測し、その孤独を共有しフォローする事により依存性を作り出すことができるのではないか?
ただ、前に記載した通り、女性と男性は大きく異なる思考方法が基盤になっている。
共通する不足点を見つけて「あなたはここが不足している。それを私は理解している。」というのを表明する必要がある。
例えばそのときに、体が存在している女性に対しては身体的で情緒的な言葉で話したほうが効果的だろう。
相手の気持ちを汲み取り、その部分に対して下からコミュニケーションを行う形である。
少し悪い伝え方をしたが、こういった少しずつお互いに思いやることにより、少しずつ関係を築くことが重要だと感じた。
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