【海外移住】Software Engineerとしてオーストラリア移住を果たすまでの備忘録
【海外移住】Software Engineerとしてオーストラリア移住を果たすまでの備忘録
「いつか海外で仕事がしてみたい」
沢山のエンジニアが心のなかで抱えている希望であり、夢。
日本ではなく海外で働くメリットは非常に多い。
誤解を恐れずに抽象的な書き方をすると、、
- 給料が高い
- 自由な働き方(個人責任)
- 人間関係がフラット
- なんかカッコイイ
- プライベートを大事にできる
こういったイメージがあるのでしょうか。
私は「海外」といってもオーストラリアに移住したいと考えています。
学生の時(当時20歳)にオーストラリアでワーホリをし、世界の広さと自分の小ささを知りました。「もっといろんなことを知りたい」と自分の好奇心のリミッターが外れた瞬間でした。帰国してからはジャンルを問わず年間200冊ぐらい読んだり、アフリカでボランティア活動したり、いろんな大人に突然DMして(迷惑)会いに行ったりしていました。
大学卒業後
周りと同じように就職し、ITとは全く関係ない業界で10ヶ月ほど働きました。初任地が東京で、人の多さ、建物の多さに酔い、精気の宿っていない人間の顔を満員電車の中で間近にみる生活。そんな生活を半年もすると、あらなんと、元々痩せ型なのに「-7kg」という超ダイエットを果たします(←圧倒的ストレス)
彼女と一緒に住んでなかったらヤバかったんじゃないかと、、今振り返るとゾッとします。
転職を決意
という殺伐とした生活をしていたので、当然のごとく、転職と移住(=東京脱出)を考えます。仕事は楽といえば楽だったのですが、先の人生が見えず、東京という土地の相性の悪さに体がアレルギー反応を起こしてました。
ふと脳裏に蘇るオーストラリアでの日々。毎日新鮮な景色を見て、いろんな人に会い、体を動かして、自然と戯れる。まさに「ノンストレス」な生活が当時の自分と対照的で、自分でも笑ってしまうほどでした。
自分が選択した道なのだから、その道を修正するのも自分。この時代、選択の自由は我々に与えられているので、自分の意志次第ではどうにだって出来ます。「よし辞めよう」と思った次の日には上司に電話して、「1ヶ月後にやめます」と伝えました。
エンジニアを目指す
「オーストラリアでまた生活がしたい」
この思いがまず第一にありました。じゃあ、この目標を達成する、つまりオーストラリアで永住権を取るためには何が必要かを逆算しました。
- 英語力(IELTS6.5)
- 技術者として仕事を取る
大きくこの2つ、英語と仕事です。英語はまぁどこにいようが、自分で勉強しつつ外国人の友達と話す繰り返しなのですが、「仕事」に関してはある程度の戦略と戦術が必要です。10年後にオーストラリアで永住権を取得しようと思った時に、こうざっくり計画を立てました。
- 3年間、日本で修行を積む
- 2年間、オーストラリアの大学院で専門的な知識を学ぶ
- 5年間、オーストラリアで仕事をする
単純ですが、このステップに沿って10年間頑張れば、確実に永住権が取れるだろうと踏んでいます。
そして今はどの位置なのかというと、、、
日本での修行1年目です。厳密に言えば「転職後10ヶ月」の状態です。
福岡でSES
紆余曲折あり、東京から離れ福岡に来ました。大学は文系で、特にIT業界の知識もないいわゆる「未経験」の状態だったので、いきなり某ヤホーや某サイバーなどのガチIT企業でエンジニアというストーリーは描けませんでした。(いま思えば第二新卒枠でゴリ押しできたかも、、と思っている)
なので、これ賛否両論ありますが、まずはSESから始めました。自分で学習を続けながら、ITと関係のない営業の仕事をしたりしていました。その後、「エンジニア」の案件に入るも、実際はExcelを触るのがメインで、プログラムを書くとしたら簡単なSQLのINSERT/UPDATE文を書くぐらいでした。(←これ結構大事ですが、、)
「もっとモダンな開発をして、世界でも通用する技術を身に着けたい」
これが直近の目標です。
香港人スーパーエンジニアのSに弟子入り
そんなこんなで、もしかすると私の人生が変わったのかもしれない出会いがありました。弊社に香港人のエンジニアが入社してきて、話を聞くとイギリスの超有名大学を出ていて、香港のスタートアップで最前線のエンジニアとして活躍してきたという。
実際に話してみると、明らかにレベルが違う。
「これはチャンスだ!!」と積極的にコミュニケーションを取るようになり、仕事で分からないことがあれば何でも質問するようにしていました。するとある日、彼がエンジニアの教育に興味があるといい、何から始めようかと悩んでいる、、なんて素晴らしい話なんだと、、
ニヤリ。
「I think I am the best person for you to start off as an experiment」
俺をまず実験台にしてくれ。と。そして今。Sのプライベートレッスンが始まり、Backendの作法について学んでいます。具体的には、Javascriptを使い、簡単なAPI作成と、ローカル⇔DBサーバーの連携について最近は手を動かしています。
まとめ
とまぁ、つらつらと書きましたが、Zennでは「オーストラリア移住」を中心に、「エンジニア×海外移住」をテーマにした記事を書いていきたいと思います。単なる技術系の記事も自分のメモ代わりに書くかもしれませんが、大きな目的は「いかにグローバルに活躍するか」です。
日本の経済成長が低迷している中、若手エンジニアが海外に目を向けるのは当然のことだと思います。私はアラサー1年生であり、「めっちゃ若い」とは言えないような年齢になってきました。こんなこと言うと30代の先輩に怒られそうですが。2023年、まだ20代のエンジニアであれば、100%自分のリソースをフルベットして、どこか海外で仕事を見つける努力をしてもいいのでは無いでしょうか。
そんな提案をしていきたいと思います。
続き気になります。海外移住を考えていて、参考にしたいのでぜひお願いします。
返事が遅くなり大変申し訳ありません。
まさかこの殴り書きにリアクションをして頂けるなんて思ってもなかったので、、笑
近日中に続き書きます!
執筆のモチベをくださりありがとうございます。
無事にステップアップの転職が決まりました。
前回のスクラップ記事から約5ヶ月が経ちました。すっかりエンジニアも2年生となりました。前回の記事で書いたように、オーストラリアで永住権取得まで以下のような計画を立てています。
3年間、日本で修行を積む(←いまここ2年目)
2年間、オーストラリアの大学院で専門的な知識を学ぶ
5年間、オーストラリアで仕事をする
そしてまだエンジニア1年生であった前回記事(5ヶ月前)の私は現在ステップアップの転職に成功して少し環境が変わりました。その近況について備忘録をまとめておこうと思います。
最近の近況まとめ
箇条書きで書くと、最近の近況と変化は以下の通りです。
- SES企業から自社開発企業へと転職に成功
- 転職で年収+72マン
- プログラミング講師の副業開始(月1~2マン)
- 英語の伸び悩み
この記事では主に転職について書いていきます。
とりあえずエンジニアに転職したものの、今の現場に満足いっていない方には参考になるかと思います。
受託開発の企業に転職
私は2022年の11月に某コンサルマンから地方スタートアップのエンジニアとしてデビューしました。そこからSESとして約1年間、複数の現場を渡り歩きました。誤解を恐れずに言うと、この1年間は地獄のような下積み時代、いや、暗黒時代だったなと今振り返ると思います。
SESの構造的な問題
SESとはご存知でしょうか。「システムエンジニアリングサービス」といって、自社のエンジニアを他社に貸し出して常駐させ、毎月の契約料をいただくビジネスモデルです。ネットでは「SES やばい」「SES ブラック」「SES 闇」など、お世辞にもいいコメントはなかなか見ません。
私は1年間このSESというモデルの上でエンジニアを経験しました。結論としては、「メリットもデメリットもある」ということ。確かに、構造上の問題として、他社のヘルプに行くわけなので、そこまで大事な仕事は任されず、周辺作業しか経験できないのは当たり前です。にも関わらず「いい経験が積めない」とか「成長できない」というのは、砂漠で水がないことに文句を言うのと同じです。
ないものはないのですから。
逆にSESのメリットとして、大学でコンピュータサイエンスを専攻した訳でもなく、そのほかITのバックグラウンドがない"ド素人"でも「エンジニア」として働くことが容易です。1年もSESでやっていると確かに「いい」経験は積めなくとも、曲がりなりにも「経験者」にはなれます。
何年も独学でエンジニアになるための勉強だけしていて現場に飛び込まない人よりも、エイやとSESでも飛び込んで「経験者」になってしまう場合の方がいい方向に働く可能性もあります。私はそれに賭けました。
「SESは1年しかやらない、未経験という属性を取っ払うための踏み台」と割り切って働くことを個人的にはおすすめします。私はちょうど1年間エンジニアとして経験を積んだ後、後述の自社開発企業へ転職することができました。
転職して年収UP
2023年9月ごろから転職活動を開始しました。ちょうど前回の記事を書いた直後くらいからですかね。自分の市場価値を測るため、次のような順番で求人に応募していきました。
- GAFAM
- 外資メガベン
- 国産メガベン
- 上場直前の中堅企業
- スタートアップ
どのあたりで自分が引っ掛かるのか試してみたかったからです。求人に応募するだけならタダですし、面接まで行けたらラッキーぐらいの感覚で初めは応募していました。上の方の企業でたまたま1次面接までなぜか通ったこともありましたが、面接でボコボコにされて無惨に散りました。
この過程で「コーディング試験」なるものを経験でき、競プロの面白さにも気付いたのですごく充実した転職活動だったと自覚しています。結局2024年1月までゆっくりと転職活動を続け、最終的に上場前のとあるシステム開発会社で内定をいただきました。
今回意識した条件は以下の通りです。
- 今よりも年収が高いポジション
- 自社開発/受託開発がメイン
- SES事業をしていない
- Webアプリケーションの開発ができる
- 福岡 / 大阪が勤務地
時間をかけて探した甲斐があって、ドンピシャの企業とご縁をいただきました。年収でいうと額面で+72マンでした。また、この頃同時に某プログラミングスクールの講師にも副業として携わることになり、その収入が+2マン/月入ってくるようになりました。
これでエンジニアになる前の仕事よりも年収が高くなり、ひとまずホッとしています。
お金もそうですが、転職して一番よかったのは、働く環境でした。
エンジニアとして成長できる環境が大事
SES企業で働いていたときと圧倒的に違うのは、働く環境です。ここでいう「環境」とは、主に周囲のエンジニアとオフィスの職場環境、そして勤務時間の柔軟さを指します。
前職と比べて、周りに優秀なエンジニアがたくさんいることが凄く恵まれていると感じています。何か開発でつまづいたとき、気軽に質問できるエンジニアが近くにいることはかなり心強いです。また、スクラムを組んでチーム開発を行うので、近くで先輩エンジニアの働きを見ることができます。
新卒からそういう環境にいる若手は「そんなん当たり前やん」と思うかもしれませんが、そうじゃない環境も沢山あるんです、、
そしてオフィスの環境。
- 天然水飲み放題
- コーヒーマシンがある
- トイレが混まない
- 安くて(約400円)旨いお弁当が注文できる
- モニター2台支給
- エンジニア関係の書籍が沢山ある
- バーカウンターでお酒が飲める(終業後)
などなどまだありますが、過ごしやすい職場が整っています。
最後に、フレックスタイム制がちゃんと自由に取れるということ。コアタイム(11:00~17:00)に勤務していれば、残りの時間は月の労働時間を切らないように調整してOKという制度。これで朝に歯医者にいけたり、子どもの送り迎えだったりも割と自由にできる。
自分のタスクさえ終わっていれば早く帰ることも可能だし、休みも取りやすい。
転職していろんな「環境」がよくなりました。エンジニアたるもの、転職してなんぼの職業だと思っているので、爆速で成長してステップアップしていきましょう。
英語環境の整備が今後の課題
エンジニアとしての環境整備はうまくいっている一方で、「英語」に関してはいまいちです。オーストラリアで大学院に通おうと思うのであれば、IELTsでいうと6.5はマストで必要です。というより、それぐらいの英語力がないと、現地で仕事をするのもままならないかなと予想しています。
とはいえ、日本に住みながら英語を上達させるには、意識的にその環境を作らないといけません。私がかつてオーストラリアでワーホリをしていた頃は、シェアハウス、職場、サッカーチームとすべて日本人がいない100%英語の環境だったので、自然と英語は身につきました。
いまエンジニアとして周りに優秀なエンジニアがいる環境を作れたのと同じように、次は英語の環境も整備していく必要があります。
- 定期的なオンライン英会話
- 日本語学校の生徒と仲良くなる
- 職場で英語を使う案件を探す
- 毎日洋書を読む時間を作る
- 移動時間はPodcastで英語のニュースを聞く
- エンジニア関連の調べ物はなるべく英語で
などなど、やっていこうと思います。
また、近況があればここに書いていきます。
次はエンジニアとして個人開発を頑張りたいので、サービス設計ができたらシェアします。