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ヘルステックスタートアップのエンジニアが医療情報技師の試験を受けた感想

2023/10/27に公開

8月に受験した医療情報技師能力検定試験に合格していたので感想を書く。

モチベーション

シンプルに「この業界はどんなデータがあるのか知りたい」というのが1つ。筆者は去年からヘルステックスタートアップのデータサイエンスチームにいる。その前はインターネット広告業界だったので医療ドメインに関する知識は無い状態で医療業界に来た。転職してしばらく経ったが業務に直接関わらない領域は理解が曖昧なのと、限られた知識で仕事を回す事の課題感が強まってきたので網羅的な知識をインプットすべく取り組んだ。

医療情報技師はテキストが非常に充実しているので試験を受けなくとも学習は可能。とはいえ学習期間にリミットを設定できるのと理解度チェックのために受験した。業務独占資格では無いので他にメリットがあるかは不明。

購入した公式テキスト。以降はこれらの本をテキストと表記する。

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試験の概要

まず医療情報技師は以下の様に定義されている。

医療情報技師は「保健医療福祉の質と安全の向上のために、医療の特質をふまえ、最適な情報処理技術を用い、医療情報を安全かつ適切に管理・活用・提供することができる保健医療福祉分野の専門職」です。

これらの能力に関連するスキル3科目について以下の到達目標が設定されており、試験は到達目標に掲げる能力を有している事の検定になっている。

医療・医学
医療情報技師の役割と求められる基本能力・姿勢を身につけるために、医学の役割と医療倫理をはじめとして、医療情報システム構築のために必要な医学医療の全体像とその概念、医療プロセス、診療記録など医療記録について理解する。さらに、医療情報を医学医療で活用するために不可欠な医学医療統計、臨床研究の概念について理解するとともに、医療情報分野の進むべき方向について考える能力を身につける。

医療情報システム
医療情報技師の役割と求められる基本能力・姿勢を身につけるために、医療情報の特性や国内・海外での医療情報化の動向を把握し、医療情報システムの機能、導入から運用までの流れ、医療情報分野の関連法令や標準について理解する。さらに医療情報システムに蓄積されたデータを活用するために必要となるデータ解析の留意点について理解する。

情報処理
本系では、「医療情報技師」が、医療現場のニーズにあった医療情報システムを開発・導入し、適切かつ効率的に運用・管理し、これにより医療情報システムに蓄積されたデータを活用していくために必要な「情報処理技術」の知識および技能を示す。この中には、「情報処理技術」の基礎的な事項だけでなく、「医療情報技師」として求められる医療分野における応用的な事項も含まれている。なお、学習目標に関連した具体的な技術は日々進歩しているので、「医療情報システム」に活用できる新技術を積極的に学ぶことも必要である。

印象に残った内容と感想

日本の社会保障・医療制度

日本の医療の特徴である皆保険制度および診療報酬制度の内容と、その制度が日本の医療情報システムに与えている影響、病院のお金の流れについて。

医療機関が患者自己負担分を除いた額を保険者[1]へ請求を行なう一連の診療報酬請求(レセプト)業務。このとき診断もしくは疑い病名に対する医療行為(検査・処置・投薬...)を審査支払機関がチェックして過剰であれば支払いを減額する仕組みが印象的で医療の標準化に寄与していそうだなと感じた。保険者・医療機関・患者の関係は米国の医療制度の話を聞いた時に日本と対比して理解できるようになったのは大きい。一時期米国の電子カルテの便利さがTwitterで話題になったが、電子カルテやオーダーエントリシステム[2]には診療報酬請求のための機能が組み込まれているため海外のものが使えないんだなと合点がいった。


厚生労働省 第1回審査支払機能の在り方に関する検討会 資料2より

レセプト業務の効率化は日本の医療IT化の古くからの課題であり、電子レセプト・オンライン請求の普及を進めてきた過程で標準マスターなどの今あるアセットが整備されてきたのもわかった。

医療の標準化のための仕組み

医療におけるオペレーションズリサーチだと思ったのがクリニカルパス。日本クリニカルパス学会の定義は 「患者状態と診療行為の目標、および評価・記録を含む標準診療計画であり、標準からの偏位を分析することで医療の質を改善する手法」 となっている。最小限の資源投入で一定以上のアウトカム(臨床上期待される成果、患者の状態の変化)を得るのを目指した治療プロジェクトの工程管理ツールであり、介入によるアウトカムをどの様に評価し、診断や治療の意思決定をするかのアルゴリズムの要素もある。意思決定アルゴリズムおたくとしてこういうのは好き。

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属人性を減らす観点では、夜間外来など専門外の医師が対応せざるをえない状況もあるので、疑い疾患に対する治療行為が妥当かチェックする機能や診療ガイドラインは重要な役割を果たしていると感じた。

医療データの生成・保存・流通に関する内容

データの生成過程である診療プロセス、保存に利用される標準コードと標準仕様、2次利用のための関連法規・ガイドラインは直接業務に係る部分なので知識補完の助けとなった。業務上、病気や処置、医薬品といった医療に登場する概念をコード化するためのマスター、例えば標準病名マスターなどをよく利用するわけだが既に電子カルテ・電子レセプトで広く利用されている物ほど手厚くメンテナンスされており、逆にあまり使われていない症状などのマスター[3]はこれといったものが無いのが改めて理解できた。

医療事故防止、医師の判断のサポート、病院経営、リアルワールドデータ(RWD)を使った臨床研究まで多様なデータ利用の形態がある、ただRWDのデータベースや統計情報の活用については公衆衛生や具体の研究の話になるからかテキストに詳細は無くイメージは湧きづらかった。医療事故というと脳外科医竹田くんが想起されるが、医療事故情報収集等事業で検索できる脳神経外科の手術室における事例をみるとなかなか怖い。

データベースの存在がテキストに明記されていたわけでは無いが、例えばオーダーエントリシステムの投薬監査機能の解説からは薬の飲み合わせ(相互作用)や適応症チェック用のデータベースが存在することが推察できる。その様なデータはどこにあるのかとWebで調べてみるといくつかの企業が公開情報を元にデータベースを構築して販売している事がわかりなるほどなと関心した。

システム導入の経済合理性

一通りテキストを読み終えると「なぜ自分の紹介状はいつも紙なんだ?」と疑問がわく。技術的には紹介状はHPKI[4]と診療文書を交換するための仕様であるHL7 CDA[5]でオンラインのやりとりが可能なはずなのに実際には紙を手渡し。転院の度に検査もやり直しになる。検査紹介で撮ったMRIの結果はDICOM[6]オブジェクトのWebインタフェース仕様であるDICOMweb[7]で紹介元の医療機関へ提供できそうなのに物理メディアを手渡しされる。仕様は存在するものの体感としては医療機関同士のやりとりについてはシステム化が進んでいない。何故かと考えると電子カルテはオンプレで動くものが多いのとベンダー間の互換性は無いと聞くのでそういう所かなと。
あとは医療機関の収入は診療報酬として算定できるものに限られている[8]ので、システム利用料が算定できない物は明確に業務負荷が減ったりでもしない限り導入するモチベーションはなさそう。医療AIに関しては現在は画像診断支援ソフトのみ加算可能なので、他のカテゴリについても加算される様にアウトカムに対する裏づけや説得力を出していく必要がある。

試験対策

試験の3週間前にテキスト「医療・医学編」と「医療情報システム編」に着手。休日は子どもを一時預かり保育に預けて時間を捻出。医療統計やEBM、臨床研究の手法については知っていたものの「医療・医学編」は初見の内容が多く時間がかかった。割合にすると「医療・医学編」が6割、「医療情報システム編」が4割。公式の過去問集の解説が丁寧なのでわかりやすい。あとはテキストに載っている機能や仕組みがどの程度医療現場に普及している物なのかわからないので同僚の医師に聞いて疑問解消していた。

残りの「情報処理技術編」だが、最初に出題範囲について調べた時点で既に知っている内容だったので対策も何もせず試験を受けた。IPAの応用情報技術者相当の試験に受かっている人ならスルーで良さそう[9]

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まとめ

全体的に興味を持って取り組めたのと、医師や医療事務といった方々と話すときの共通言語が得られたので医療業界に来る前やっておけば良かったと思った。他の業界と比較すると情報システムに関わる人向けの情報がこれだけしっかりテキストとして纏まっているのは本当に凄いし頭が下がる。広告業界は何だったのか(特にテレビCM……)。

どこで見たかは忘れたが「医療情報は医療のためにあり、アウトカムに貢献できなければやる意味がない」、その上でじゃあ自分が何できるんだっけと考える頭は少し成長した気がする。

直近はリアルワールドデータに興味があるので、触れるものから分析していきたい。

脚注
  1. IT健保などの保険組合。国民健康保険の場合は市町村又は各国保組合。 ↩︎

  2. 検査・処置・投薬などの行為を登録し、関連システムに内容を連携するシステム ↩︎

  3. 電子レセプトでも症状詳記はフリーテキスト。MEDISの症状所見マスタは存在するが、利用実績はわからず。国際医療辞書のSNOMED-CTは日本語版なし。 ↩︎

  4. 保健医療福祉分野PKI(HPKI)電子証明書 ↩︎

  5. Health Level 7 Clinical Document Architecture. 診療文章を交換するための構造とセマンティックを規定する。表現はXML。 ↩︎

  6. DICOM(Digital Imaging and Communications in Medicine)は医用画像機器間の通信プロトコルの仕様 ↩︎

  7. DICOM Standard for web-based medical imaging. AWSもGCPもDICOMwebの実装をサービスとして提供している ↩︎

  8. 混合診療は原則禁止されているので、自由診療でなければ独自のシステム利用料みたいなものは請求できないはず ↩︎

  9. 2006年までは科目免除制度があったらしい ↩︎

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