なぜ 生成AI は 人間のように言語を扱えるのか? ─ LLM と人の生存戦略との意外な関係
ことの発端 : AI の言語能力の発動
最近の生成 AI の進歩には、ほんと目を見張りますよね。
文章を生成する AI、大規模言語モデル(LLM)なんて、要は 「次に来る単語を当てる確率計算機」 にすぎないのに、論文を要約したり、質問に答えたり、時には詩や小説まで創作してしまう。しかもその自然さと流暢さときたら、人間と見分けがつかないことさえあります。たかが行列計算で動く確率的予測マシンなのに ⸺ これはとても不思議なことです。
実はこの不可思議さを突き詰めていくと、言語をめぐる人間の生存戦略と LLM との間の意外な関係 が明らかになっていきます。ここでの議論を読み終えたとき、あなたは「脳と LLM は全く別物に見えるのに、なぜこんなにも同じように言葉を扱えるのか?」という疑問に対して、少し新しい視点を得られるはずです。
人の脳や言語は特別?
まず気になるのが、「そもそも人間は、どうして言語をこんなに上手く扱えるのか?」 です。言語能力は人類の象徴ともいわれますよね。そこでまず、最新の研究成果をもとに、人の言語能力の根本を改めて問い直してみる 価値は大いにありそうです。
まず、言語能力に関して議論する際、この人の貢献を無視することはできません。著名な言語学者の Noam Chomsky です。
彼は、幼児がごく限られた言語入力しか経験していないのに、短期間で複雑な文法を身につけられる ことに注目しました。これは 「刺激の貧困」 と呼ばれ、単なる 一般的な学習能力では説明が難しい とされています。
そこで彼は、人間には言語処理に特化した生得的な認知メカニズム ⸺「普遍文法」⸺ が備わっている、 という仮説を提唱しました。
学生時代にこれを知ってから、僕も長い間、「脳には言語理解専用の何か特別な仕組みがあるに違いない」と信じ続けていました。だって言語って、よく考えると不思議で、ちょっと魔法みたいじゃないですか?
ところがです。
生成 AI、LLM の登場 です。
普遍文法のような構造が全く与えられていない、ただの 「次に来る単語を当てるだけの確率計算機」である LLM が、この奥深い人間の言語を、あたかも天賦の才能かのように操ってしまったのです。
一体どういうことなのでしょうか?
発想の転換 : 実は脳に合わせて言語が進化?
僕が思い至ったのは、こんな発想の転換です。
もしかすると、脳が言語のために何か特別な仕組みを進化させたのではなく、言語のほうが脳の特性に合わせて進化したのではないか?
そう思って文献を調べ始めたら、もうすでに!
この仮説をサポートするような研究がいくつも進められていて、興味深い成果も出ていたんです。
発見した資料は記事の末尾にまとめました。
ここから先は、それらを参考にしつつ、特に刺さった知見を交えながら、この仮説を深掘りしていきます。そしてこの旅は、なんと LLM と人の生存戦略との意外な関係 へとつながっていきます。
💡 <ここまでのまとめ>
- 従来は「脳の特別な仕組み」が言語能力をもたらすと考えられてきた
- しかし逆に「言語が脳の特性に適応した」と考えると、LLM との共通点が見えてくる
👉 では、「脳の特性」とは、いったい何なのでしょうか?
脳の基本戦略=予測
「言語のほうが脳の特性に合わせて進化したのでは?」と仮説を立てるのであれば、まず 「脳の特性とは何か」 について理解を深める必要があります。それに対してここでは、「脳はどのような過程を経て今のようになったのか?」という側面からアプローチしてみましょう。
人間の脳の構造は基本的には動物の脳と同じです。
では、そもそも動物の脳は、どんな要因でその進化が推し進められてきたのでしょうか?
生命は誕生以来、生き延びるのに必死でした。食料を見つけつつ、逆に自分が捕食されることは避けなければならない。そのための武器として「感覚器官」が発達してきたわけですが、初期の生物の感覚器官はとても未発達で、それが改善された今でも、周囲の状況を正確に把握できるとは限りません。
そこで脳は、生き延びるために、不完全でノイズだらけの知覚情報から「次に何が起こりそうか」を「予測」し、対応行動を瞬時に判断する必要性に、ずっと晒され続けた と想像できます。
草むらが揺れた。風か? それとも天敵か? 逃げる準備を!
小川の音が変わった。獲物かもしれない、捕まえる準備を!
こうした観点から、認知科学では、脳を「予測機械」として捉える「ベイズ的モデル」という考え方 が広がっています(研究 ②)。知覚も学習も、未来を予測し、その予測と現実の誤差を小さくしていく過程として理解 するのです。
そして興味深いことに、この予測の仕組みは 言語処理 にも当てはまることが、各種実験から明らかになってきています(詳しくは後述)。つまり、脳は会話中に次に来る言葉を予測し、実際に聞こえた言葉と照らし合わせ、その間違いを減らすように自己調整していると考えられる のです。
あれ? これってどこかで聞いたような話じゃありませんか?
そうです。これはまさに AI(LLM)がやっていること なんです!
以下ではこの点について、さらに深掘りしていきます。
社会脳・コミュニケーション・言語の進化
ここで言語の進化について見ていきましょう。脳が「単なる予測機械」なのなら、その単純な仕組みが、いかにして複雑な文法を持った言語を生みだすに至ったのでしょうか?
人間は非常に社会性が高い生物 です。なので、仲間と円滑に協力できることは生存に直結 してきました。その際、他者の行動や感情を先回りして予測する力は、生存上の大きなアドバンテージになります。こうした 社会的相互作用を担う脳領域群は「社会脳」と呼ばれます(研究 ④)。
人間では、この 社会脳の働きと、言語における「先読み予測の仕組み」が密接に結びついています。 これが言語の進化に直結しています。
対話や協力の場面では、相手の発言内容や意図を予測しながら、自分の発話や行動を調整 することが必須です。研究 ④ によれば、言語は、こうした社会的予測の一般的能力の延長として、共同作業や協力を円滑にする「道具」として発達 しました。単なる物の名前や単純な行動を伝えるだけでなく、因果関係や未来の計画など、抽象的な概念まで共有できるように、言語は進化した のです。
数学者たちも、言語の「意味」の成り立ちに挑んでいます。研究 ⑤ では、圏論 という高度な数学の道具を使い、単語列の確率的なつながりから「含意」や「意味構造」を再構成できることを理論的に示しました。 つまり、「単なる予測機械」からも、理論的には「意味」が立ち上がることが見えてきた のです。
危険を避けるための原始的な予測から、仲間の心を読み言葉を操る高度な予測へ ー 人類の脳が歩んだ進化の旅
では次に、この 言語の進化で鍵となる脳の「先読み予測」 について、より詳しく見ていきます。
言語理解=予測処理
最新の神経科学や言語学では、言語理解は単なる受け身のプロセスではなく、常に次の単語や文構造を先回りして予測する能動的なプロセス だと考えられています(研究 ②, ③)。
実際、脳波(EEG)や 脳磁図(MEG)を使った最新の研究 ⑥ では、人は話を聴く時、次の単語が予測しやすいほど脳の反応が減少する ことが観察されました。 しかも、次が予測しやすい単語だと、それが耳に入る前から、脳が「準備状態」になっていることも判明 しました。予測される単語に関連する脳の処理が、実際にその単語が耳に入る前から事前に動き出している のです。これはちょうど、動物が天敵の気配を感じたら、実際にそれを見る前に逃げ出す準備をすることに似ています。
ここでさらに面白いのは、この実験での「次の単語の予測のしやすさ」は、実は LLM によって計算されたものなのです。つまり、 LLM が予想した次に来そうな単語と 人の脳が予測する単語が一致する ことが、具体的なデータをもって示されたのです。
別の興味深い研究としては、fMRI を使った研究 ⑦ があります。この研究では、脳の「前頭–頭頂葉」と呼ばれる領域が、単語や文の短期的予測に加えて、物語の展開や結末など長いスパンの予測 に関与していることが示されています。つまり、私たちは 単に「耳に入る単語」を処理しているわけではなく、「この先の展開」そのものを頭の中で描きながら(予測しながら)言語を理解している のです。
あなた自身も、会話の中で「次に相手が何を言うか」を自然に予測していませんか? ⸺ そのことが、脳の活動としても計測できたわけです。
音の一瞬先から物語の結末まで、予測のスパンに応じて脳の各部位がそれぞれ別の役割を担っています
言語発話=予測処理
発話に関しても予測処理が行われています。実は 脳はまだ口を開く前から「こういう意味の文を、この順で、この発音で言う」という完成予想図を描き始めます。 発話の直前には、すでに ブローカ野(文法や構造の組み立て)、運動前野(発声動作の準備)、さらに 聴覚野(自分の声の事前シミュレーション)が、「自分の声」を予測して活動していることが、MEG や EEG+MRI を使った研究で確認されています(研究 ⑥, ⑧, ⑨)。
ここで注目すべきは、LLM にも似たような 「準備段階」 があることです。LLMは、次の単語を、文字として出力する前に、「この文脈ならこういう意味やニュアンスが続くはず」という抽象的な内部表現(ベクトル)を生成 します。この中間状態はまだ文字になっていないものの、意味や方向性はかなり確立されており、次の単語がそこから導かれる のです。
これは、LLMの「意味の中間状態」が、人間の「言葉になる前の感覚」と本質的に同じ構造であり、LLM と脳の根本的な動作原理が類似である可能性を示唆 してます。
そしてなんと実際に、最近の研究 ⑩ では、LLM の層内部の状態が、人間の言語処理の脳領域と階層的に対応する ことが明らかになりました。
さらに Google Research の研究 ⑪ は、音声認識に用いられる音声 AI モデルにおいて、動作中の内部状態が、脳の言語処理領域の神経活動と驚くほど一致する ことを発見しました。
これらの一致は、脳と LLM がまったく異なる構造を持ちながらも、根本的な動作原理として「予測戦略」を共有し、これが同じような処理構造を生じさせていることを裏付けている と考えられます。
💡 <ここまでのまとめ>
- 脳の基本戦略は「予測」
- 言語進化の駆動力は、生存を有利にするための対話の先読み予測
- 言語処理は、理解も予測、発話も予測
- 脳も LLM も共に「予測戦略」を適用し、同様な処理構造が生じている証拠が見つかってきた
👉 では、脳と LLM は、どうやって「予測の精度」を上げているのでしょうか?
AI と脳の言語学習と共通原理
予測は出しっぱなしではなく、その質を評価し、改善するフェーズがあってこそ、次回、より良い予測ができるようになります。実は 人間も LLM も「予測 ➡︎ 出力 ➡︎ 誤差修正」を繰り返して、予測精度を改善していくことにより言語を学習 しています。LLM は ニューラルネットワーク という技術で実現されているのですが、これはもともと脳の学習メカニズムを模して考案されたので、当然と言えば当然です。
脳では、予測と実際の体験が食い違ったとき、脳はその差を検出 します。すると、関係するニューロン間のつながり(シナプス)の強さを変える可塑性メカニズムが働き、内部モデルが微調整 されます。これによって次回はより正確に予測できるようになります。前述のように、言語処理に関しても、それは単なる受動的なプロセスではなく、その過程において様々なレベルでの予測と評価および改善が、無意識のうちに常に繰り返されています。
LLM も基本はシンプルです。与えられた文脈から「次に来そうな単語」の確率分布を計算することにより、次に来るのが最も自然な単語を予測し、学習時には、正解と比べたズレ(損失)を計算し、ズレが小さくなる方向にパラメータを微調整 します。この学習時の「予測 ➡︎ 出力 ➡︎ 誤差修正」のサイクルによって、LLM 利用時のあの流暢さが実現されます。
このように、人間と AI はまったく異なった「器」でありながら、同じ「予測と誤差修正」という動作原理で言語を扱っている のです。
人間と AI、まったく違う「器」でありながら、「予測と誤差修正」で言葉を学習するフローが対応してます
なぜ生成 AI は言語を上手く扱えるのか?
今までの議論をまとめると、人間の言語は、生存を有利にするための道具の一つとして、脳の「次を予測し、その誤差を修正する」という活動の長い年月の積み重ねを経て、今のかたちに進化してきた と考えられます。そして、LLM と人間の脳は共に、この「予測と誤差の修正」という同じ原理で、言語を流暢に操っています。 使っている「部品」や「設計」は違っても、その動作の核心は驚くほど似ています。
見方を変えると、人間の言語というのは、予測と誤差修正が基本原理の脳で効率的に扱えるように進化してきた。だから、実態は全然違っても動作的には同じ基本原理に従う LLM でも自然と扱えた、 と言えるでしょう。
現時点(2025年 8月)までに出揃った研究成果を鑑みると、これが 「なぜ生成 AI はあんなに上手く言語を扱えるのか」に対する答えの、とても有力な候補 になると考えられます。
おわりに : AI と知性と私たちの未来
生成 AI の予測能力は、ある意味、私たちの「脳の言語能力の本質」を、ひいては「知性の本質」を、「鏡写し」にしていると言えるのかもしれません。
もしこの見方が正しいなら、私たちが AI の内部を覗くことは、自分たちの知性の動きを別の角度から観察している とも考えられます。AI はただの道具ではなく、「人の知性の本質を映す鏡」 なのかもしれません。
そして今や、数学オリンピックで AI が人間のトップ層に匹敵する成績を収める時代 になりました。これは単なるクイズや暗記の勝負ではありません。複雑な条件を整理し、仮説を立て、論理を積み重ねて答えにたどり着く ⸺ 人間が長らく得意としてきた高度な推論の舞台に、「AI の知性」が堂々と並び立ち始めている のです。
人間の脳は、頭蓋骨の容積の限界と、進化のスピードという縛りから逃れられません。しかし、この「知性の鏡」⸺ AI にはそれがありません。演算資源とデータさえあれば、ほぼ無制限にスケールし、私たちが想像もできないほど複雑な予測が行えるようになるかもしれません。
そうしたとき、この知性の鏡は、単なる模倣の域を超えて、私たちにとって、いったいどういった存在になっていくのでしょうか? 私たちを先に導く「新しい知性」になるのでしょうか?
それとも……?
生成 AI の進化は、人間の知能研究にとっても知性の未来にとっても、新しい扉を開けようとしています。その取っ手に指がかかりつつある ⸺ そんな時代に、今、私たちは立ち会っているのです。
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より詳しく知りたい方へ:各研究の参考文献
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研究 ①:普遍文法と刺激の貧困仮説
Chomsky (1965), Aspects of the Theory of Syntax, MIT Press -
研究 ②:脳を予測機械とする理論(エージェンシーと予測脳)
Clark (2013), Whatever next? Predictive brains, situated agents, and the future of cognitive science, Behavioral and Brain Sciences -
研究 ③:統一的な脳の理論としての「自由エネルギー原理」
Friston (2010), The free‑energy principle: a unified brain theory?, Nature Reviews Neuroscience -
研究 ④:認知・模倣・社会的相互作用から言語が生じたとする立場
Tomasello (2003), Constructing a language: A usage-based theory of language acquisition, Harvard University Press(書籍の内容を説明しているネット記事:Innateness and Language / Stanford Encyclopedia of Philosophy) -
研究 ⑤:圏論を用い、単語列の確率的関係から言語の意味構造を再構成
Bradley et al. (2021), An enriched category theory of language: from syntax to semantics, arXiv -
研究 ⑥:言語予測が脳反応に及ぼす影響・また LLM との神経相関の一致
Kölbl et al. (2025), The Predictive Brain: Neural Correlates of Word Expectancy Align with Large Language Model Prediction Probabilities, arXiv -
研究 ⑦:言語の長スパン・階層的予測に関わる脳部位の特定
Caucheteux et al. (2021), Long‑range and hierarchical language predictions in brains and algorithms, arXiv -
研究 ⑧:発話の準備プロセス:ブローカ野での活動の時間推移
Herman et al. (2013), Parsing the Phonological Loop: Activation Timing in the Dorsal Speech Stream Determines Accuracy in Speech Reproduction, Journal of Neuroscience -
研究 ⑨:発話中の聴覚野による自己の声の予測と抑制
Flinker et al. (2010), Single-Trial Speech Suppression of Auditory Cortex Activity in Humans, Journal of Neuroscience -
研究 ⑩:LLM 埋め込みと脳活動との一致
Rahimi et al. (2025), Explanations of Deep Language Models Explain Language Representations in the Brain, arXiv -
研究 ⑪:自己教師あり音声認識 AI モデルの内部状態と脳活動の対応
Schain et al. (2025), Deciphering language processing in the human brain through LLM representations, Google Research Blog
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