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「脳コワさん」支援ガイド 所感

2020/09/30に公開

ADHDの当事者である私は、大学入学以降、いろいろな困難にぶち当たってきました。この本の著者である鈴木大介さんは、中途障害を持った方ですが、先天的にADHDを持ち、双極性障害も発症した僕にも多くの示唆をいただける本でした。本文からは健常者から障害者になったからこそ理解できる障害による生きにくさ、できていたことができなくなったことによる障害者への理解の深まり、を感じることができます。
 自分が生活していくために、どのような支援を依頼したら良いか。自分の言葉で自分の障害を説明していく(それはとても大変なことですが)大切さを理解することができます。
鈴木さんがこの本を書いてくれたからこそ、それを足掛かりに、自分の障害をなんとか説明しようという意欲が湧いてきます。また、各個人の障害を説明する道標になるものだと思います。

まずは、一番興味を持った第4章から読みました。そこから感想・自分へのフィードバックを書いていきます。

第4章 脳コワさんの生きる世界

脳コワさんが最も恐れるであろう、「脳の情報処理の破綻」が例えを駆使して描写されています。僕は仕事中に情報処理の破綻をきたし、他の人が話しかけても反応がないとか、涙がツーっと流れてきてしまって、周りの人を慌てさせる、という事態を引き起こしてきました。
このとき、僕は、必死に情報処理をしようとしてしまっていたのですが、いわゆる頭の中が真っ白になってしまう、という状態に陥り、簡単な情報処理も全くできなくなってしまっていました。
この状態を鈴木さんは、「自転車に乗ること」のメタファーで説明されています。このメタファーの詳細は本書を読んでいただきたいのですが、このときの内情を、

「破局しているときの当事者は、いわば交感神経全開の状態。車の運転中に目の前に子供が飛び出してきた瞬間のような緊張状態がずっと継続し、横隔膜は挙上しまくり、息を吸っても吸えている気がせず、「死んでしまうのではないか」と思うほどの身体的な苦痛と焦燥感と猛烈な不安の嵐のなかにいて、そこから抜け出そうにも抜け出せない状態なのです。」、と描写されています。

本当これ!これを説明してくれて良かった!と思いました。序文にも書きましたが、健常者から中途障害を持った鈴木さんがこれを説明してくれることで、障害者にも、健常者・支援者にも伝わる言葉になっていると感じました。「誰が言うか」って大事ですね。
もし今後、僕を支援してくださる方に説明する機会があった時は、この部分を引用して自分の状態を説明したいと思いました。
鈴木さんは、「怒りだす」ようなのですが、私は、その怒りを外に向けることができずに、自分を責める方向にむかい、それに耐えきれずその場から逃げ出してしまいそうになります。実際に、会社を飛び出して、車を運転して北の方角にあてもなく逃げる、ということをしたこともあります。その時は仕事も人間関係も壊滅的な状態になりました。
今はそういう状態になる前に休む、ということを覚えたので、なんとか仕事は破局させずに済んでいますが、それでも、信頼は失ってしまうので、仕事は転々としている状態です。

心理破局的から抜け出す方法

脳の情報処理ができなくなっている状況からどうやって抜け出すかの具体例が示されています。
まず、
・情報処理をあきらめる

注意障害のある脳コワさんは外敵情報が無選別に入ってくるから、
・遮断する

一度注意が集中してしまった思考から注意を引きはがすのが困難
→あえて、能動的処理が必要な別の強い情報に注意を引っ張る(以下は鈴木さんに特化した方法)
・ヘッドフォンでインストゥルメンタルの曲を聴く
・バニラエッセンスを直接嗅ぐ

ここで一番印象に残ったのは、注意障害という部分です。私はADHDと言われているのですが、注意障害というと多動的にいろんなものに注意が移り変わってしまうもの、ということは知っていました。しかし、ここで出てくる注意障害は、自分が向けた注意を引きはがせなくなる、というものでした。正直私には、どちらの傾向もあるな、と思いました。ぱっぱと注意が移り変わるし、移り変わった注意から引きはがせないこともある(集中すべきことに戻ってこれない)。
 多動性の注意障害の対策ばかりしていましたが、自分が向けた注意を引きはがせなくなる、という点の対策もしなければならないと感じました。特に、感情面でネガティブなことが起こると、そこからなかなか注意がそらせなくなってしまいます。そして、ずっとそれを引きずります。
他の人の言動を見ていても、恐らくその傾向はかなり強いな、と思います。同じようにネガティブな事象が起こっても、気にせず次にいける人が多いと感じる中、僕だけが、ずっとネガティブな事象が起こった時点をぐるぐると回っている、と感じることが良くあります。
この点に関しては、この本の他の部分でも言及されていたかと思いますので、そこで再び考えたいと思います。

情報処理速度の低下

ここで鈴木さんは、「周囲と違う速度のもとで生きている」ということを書いておられます。僕は中途ではないですが、会社で働いていると、ひしひしとそれを感じます。同じ作業をするにも人の3倍時間がかかります。それは経験というものだけではないレベルです。何年たっても速度が人並み以上にならないため、今は速度が遅いことを障害のためだと確信しています。特に私は、会話の内容を理解し、その内容をもとに物事を考える、という機能に不具合が見られるとの診断を受けており、会議などがとても苦手です。
ストレスがかかってくると、情報処理速度の低下に拍車がかかり、人の話が一切理解できなくなります。周りからはフリーズしてしまったように見えるらしく、周りの人が心配してたくさん声をかけてくれるのですが、その心配の言葉も逐一処理しようとしてしまい、フリーズに拍車がかかります。ついには、涙が出てきて、そこでようやく周りの人の話しかけも止まる、といった具合。(このエピソードを書いていても、障害のレベルが高い、と感じました)

感情をコントロールできない

鈴木さんは、障害を持つ前、「この人たちはどうして、過去に経験した苛立ちや怒りや哀しさといった“不快でマイナスの感情”をいつまでも引きずっていしまい、その気分をきりかえられないのだろう」と感じていたそうです。
これは僕自身が上記の「引きずり」を持ってしまう気質のために、ここでも衝撃を受けました。これも障害のせいだったのかも…?と。
『当事者になってから「気の持ちよう」がわからない人間になってしまった』と書かれています。「気の持ちよう」は気合で何とかなるものかと思っていたのですが、それがわかる人とわからない人がいる、という現実に、打ちひしがれました。
だっていくら頑張っても、それを気合で何とかすることはできないのだから。今までの努力は何だったのか。今まで人から責められて、自分でも自分も責めていた時間は何だったのか、と…
これは人にどう説明したらいいのかわかりません。鈴木さんのこの本を読んでいただく以外にまだ手立てが見つからないのです…

ひとつのことに固執する

記憶障害ベースの固執性。これが僕に当てはまると思います。鈴木さんはこれをセーブ機能なしのワープロという例えで表現されています。これがまさに僕にも当てはまります。短期記憶から段取りが消えていってしまうために、途中で作業を変更するということに大変な苦痛を覚えるのです。
これをわかってもらうためにどうやって説明すればいいのか。これも今のところ鈴木さんの本を渡して読んでもらうほかありません。

易疲労

眠気。スイッチが切れて言葉が出なくなる。午後に使い物にならなくなる。
これらは脳が疲れて起こる現象です。僕もこれを感じており、せいぜい6時間くらいしか働けないだろうな、と思っています。双極性障害を発症してからなのか、先天的なのか分かりませんが、現状、難しい課題に直面すると、だんだん眠気が襲ってきますし、過集中で作業を乗り越えてもその後に眠気と、もうこれ以上考えられない、という無力感が襲ってきます。(抑肝散という漢方薬で過敏さ加減を減少させることができるようです)

認知資源

考えるために必要なエネルギーを認知資源と鈴木さんは例えています。その総量が少ない、枯渇しやすい、何もしなくてもエネルギーが消費されやすい。ということが、脳コワさんに起こります。僕もこれを実感しています。また処方されている薬を飲まないと、これがてきめんに減少してしまい、飲み忘れが翌日の仕事にかなり影響してきてしまいます。認知資源が枯渇すると、考えることが全くできなくなるので、パニックに陥ります。それか、一気にうつ状態に落ち込みます。
また気圧にも影響されたり、お腹の調子にも左右されます。これはどちらかというと、総量の減少ではなく、認知への割り込みによって、すり減らされる、という要因になっています。
認知資源が枯渇しているのに、仕事をしないといけない、という状態になると、とても我慢し切れなくなって、飛び出してしまいそうになります…
コンサータを飲むと、認知資源が増えるようです。 というか、一度に使える認知資源の量が増えます。飲まないと、一度に使える認知資源の量が少なすぎて、何も認知できていない、という感覚になります。これをさらに増やすと、どうなるか。短期記憶の容量が増えて、自分は健常者に近くなれるのでは、というはかない希望も見えてきます。しかし、コンサータは依存性があるらしいので、登録された人でないと、処方できませんし、むやみやたらに処方量を増やしてもらうこともできません。

非現実感

「世界全体が作り物のようにリアリティを失ってしまう」。これはよくあります。突然世界が僕1人になってしまったような寂寥感を感じたり、今やっていることの意味がわからなくなったりします。(今も断薬中で、とても世界にリアリティが感じられない瞬間を過ごしています。それでも、無理やり書いています)

痛い経験から学ぶこと

過去にはやれていたorやれるはず、と思っているうちは、自己受容できていないわけですから、そこから対策を立てようがありません。失敗して、自己受容して初めて諦めの境地に達し、対策を練ろうという気が起きてきます。援助者の方には、どれくらい自分がやれないのか、ということを正しく認識するまで支え、その調整を手助けする、ということを行って欲しいです。これは鈴木さんと同意見です。

記録が重要に

援助者は脳コワさんのそばにずっとついて居れるわけではありません。だから、作業記録がとても重要になります。作業記録をみることで、初めて援助者が何を援助したらいいかわかるわけです。僕は今この記録の問題にぶち当たっています。というのも、そもそも記録をする習慣がなく、記憶と気分に頼ってやってきたからです(やってこれていないのですが)。逐一記録をするのは時間がかかります。そもそも記録することを忘れることが多々あります。おそらく、最初は拙いながらも記録をしてみて、それを援助者に見せてカウンセリングするところから始まります。おそらく最初は記録におかしいところがたくさんあるため、援助者と会話することでその整合性を合わせていきます。また、何をどう記録するか、という勘所が掴めていないために、記録に時間がかかったり、余計なことを記録したり、記録が抜けていたりすることでしょう。私の考えですが、最初は記録過剰になってもいいと思います。時間もかかると思います。が、そこから、無駄を削っていけばいいだけなので、とにかく記録します。分単位で。そのためには、常に手元におけるサイズの手帳を用意するといいのではないかと思います。やったことをパッと記録する。フィールドワークの研究者が今も使用しているような手帳型のメモです。そこから、これが第1の記録。とにかくやったことを記録します。1日援助者と「記録の仕方」についてフィードバックできると最高です。できれば、ITツールに転記するとあとで見返しやすくなります。これを1週間続けます。そうすると、自分の行動の傾向がわかってきます。ここからようやく、行動についてのフィードバックをします。自分が何をしたか、思っていたことができたのか、ミスをしたのか。
感覚ではできなくなっているわけですから、とにかく記録して見返すことが大事です。
だんだん慣れてくると、記録内容も洗練され、記録する時間も短くなります(たぶん)。
僕が今取り組んでいる記録法を紹介します。まず言語による記録というのがそもそも認知的に負荷がかかります。このため、もういっそ全部写真に取ってしまおう、と思いつきました。ここではスマホが活躍します。一日中やることなすこと写真に撮ります。1日の終わりにフィードバックとして写真を見返します。写真には撮影した時間も入っていますので、それを元に、1日に何をやったかをここで初めて言語化していきます。考えたこと、やったこと、その成否、1日の体調の浮き沈みを記録していきます。デジタルツールとしては、Roamresearchというツールが使いやすいです。ここに写真をぺたぺた貼っていき、時間と言語化の記録をします。せっかくデジタルツールに記録しましたが、このままでは一覧化して見れません。ここで、アナログに移行します。記録を全部印刷します。1週間分の記録をした紙を並べて、自分の傾向を探ります。
これらの記録をして初めて自己理解が進みます。記録記録記録!

専門職でない人に援助を求める難しさ

大体、潰す人は仕事ができる人です(できない人は批判もできないからプレッシャーかけられないですし)。これが「潰す人」の必要条件で、そこにできない人もいるという想像が及ばない、が加わると、十分条件になります。すなわち、「潰す人」=自分は仕事ができて、できない人への想像が及ばない人。僕は正直この人たちのことを恨んでいます。概して忙しく、障害のことについての理解をしようとしないため、話が通じません。この手の人たちにカチ当たると、そこでそのキャリアは終了、となってしまいます。では、百歩譲ってそういう人たちがいるのもいいとしましょう(本当は許したくない。メラメラ)。しかし、自分がキャリア・人生を歩んでいくにあたっては、そういう人たちしかいないような場所は、「無理」な場所です。これは絶対そうだと思います。
では話を聞いて「こちら側」の想像してくれる人がいる場所だとしましょう。ここが僕(読んでくれているあなた)がキャリアを歩める場所の前提条件です。そこから、自分の障害、もしくは苦手を「どう説明するか」が鬼門です。鈴木さんはこれを「自己説明的コミュニケーション」「説得的コミュニケーション」と呼んでいました。脳コワさんが最も苦手とする部類のコミュニケーションです。
ここまでで、苦手事項は、記録することと援助者のカウンセリングで把握してきました。それを使って、専門職ではないけど理解を示してくれる人に自ら説明をするのです。
さあ、どうでしょうか。
とても不安な気持ちになりますよね。僕もこれはまだ成功したことがありません。今は記録をして苦手を把握している段階です。
どんな配慮をすれば仕事ができるのか、ということをきちんと伝えなければなりません。ちゃんと伝えられるだろうか、理解を示してくれるだろうか、と言う不安が僕の頭をよぎります。また、説明したからには、これらの配慮をしてもらった暁にはきちんと仕事を完遂しなければならない、と言うプレッシャーも迫ってきます。(ここらで、不安が認知資源を圧迫し、苦しくなってきました)
そういう自分の状態を乗り越えるのが第一の壁、乗り越えた先にきちんと相談していけるかが、第二の壁です。これらは援助職の方々にぜひサポートして欲しい部分です。できれば、職場に説明する際には、ついてきていただきたい。
また、鈴木さんは、関係者を援助者に育てて欲しい、とも言っておられます。近しい関係の人ほど説明するのが難しかったりします。ぜひ、近い関係の人たちにも、説明をして欲しい、と思います。

自分を適切に諦めることと諦めることで得られること

失敗と工夫を繰り返し環境調整ができるようになってくると、適切に自分について諦めることができるようになってくる、そして、自分が有限であることに気付くことで、やっと人に頼れるようになったり、頼れることで人と本当に仕事ができる様になったりする。そう鈴木さんは書いています。
僕は、失敗体験をたくさん重ねてきたにも関わらず、受け入れられず、環境調整の工夫もできてこなかったことによって、自己肯定感が非常に低い状態にあります。
しかし、きっときちんと見返してみれば、できることとできないことがあって、それらを子細に観察し、どうしたらできるようになるのか、できないことは何で誰にどう頼めばいいのかを考えていくことが大切だと思えるようになりました。
多分、こう書いたとしても、次の瞬間には、できていないことが出てきて後悔したり、同じ失敗を繰り返してしまうと思います。今までもそうだったから。
でも、ここに本気で感想を残したことで、考えていたことを見返すことができるようになりました。これが第一歩です。また、本書を読んでいく中で記録の大切さにも気付けました。記録の方法と、それをフィードバックして工夫することを進化させていきたいです。

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