技術ブログと批判の難しさ
はじめに
最初に断っておきますが、これは問題提起という側面もありますが、どちらかというと自分の悩みの共有や答えのない問題への思考整理が主な目的です。
特定の事象や人物を批判する意図はありません。
技術ブログに対する批判について、最近考えていることをまとめました。
主な対象は技術ブログですが、インターネット上での発信全般やイベント運営などの幅広いコミュニティ活動にも当てはまる話だと思います。
要旨としては
- 技術ブログは全世界に公開される以上、読者が批判するのは当然の権利である
- 一方で、批判は本質的に攻撃性を持つものであり、著者が心理的ダメージを負う可能性は常につきまとう
- 正しい内容を伝えるための批判も、発信者を幅広く受け入れることも両方大事だが、そのバランスは非常に難しい
というものです
技術ブログへの批判
間違った内容の技術ブログに対する批判について、「発信しているだけ偉いので叩くべきではない」「初心者が萎縮し、コミュニティが敬遠される原因になる」「個人のメモ書き程度のことかもしれないので目くじらを立てなくても...」「尊敬と感謝の心が大事」などといった、批判そのものを否定するような意見を見ることがあります。
私の意見としては、どのような人が書いたものであっても、インターネットという全世界に公開した以上、その記事は批判の対象になり得ると考えています。
もちろん、批判する側もマナーを心得るべきです。一部には度を越した批判もあり、例えば個人の人格を攻撃したり、意見の異なる人を見下したりするようなものは許容できないと考えています。
しかし、公開された文章である以上、それが他の人に見られて誤った情報が広まることは健全ではなく、間違った内容には適切な批判があるべきです。
特に、最近批判が集まるような技術ブログには、あえて強い言葉を使って注目を集めるように書かれているものが少なくありません。承認欲求を満たすために誤情報が広まるというのは許容できないでしょう。
セキュリティのような安全に関わる分野では、批判の目はさらに厳しくなるべきです。プライバシーや人命に関わる場合もあり、批判の公益性はより高まります。
批判の持つ攻撃性
一方で、自分の意見を否定されることは本質的に攻撃的な行為であるという点が見過ごされがちなのかなと思います。
「人格攻撃でなく純粋に内容について批判すればよい」や「適切な距離感で礼節を持てば大丈夫だ」といった意見も見受けられますが、実際はそう単純ではありません。
多くの人は、純粋に内容に対する批判であっても、内容と自分の人格を結びつけてしまい、少なからずダメージを受けるものです。
礼節や善意は大前提として必要ですが、それが相手に正しく伝わるとは限りません。時に自分の独りよがりの善意だったということもあるでしょう。
特にインターネットでの交流は大半が非対面で見知らぬ相手との対話です。自分の意図や気持ちを正確に伝えることは非常に困難です。
現代のインターネット環境では、不特定多数からの批判を一度に受けることや、批判が広く拡散されることで、一つの批判が大きなダメージになる場合もあります。
最悪の場合、炎上に発展し、発信者が精神的に追い詰められるという危険性も存在します。
炎上するような記事は、わざと強い言葉を使うなど発信者側に問題があるのではないかという見方もありますが、発信者本人は悪意なく、単に他の人の文体を真似て書いているだけという場合もあるように思います。
私たちが相手の悪意を勝手に見出してしまい、必要以上に強い批判をしてしまうケースがあることも認識しておくべきでしょう。
バランスの難しさ
私自身もブログを書いたり発信活動を積極的に行っています。幸いなことに、大きな批判を受けた経験はありませんが、批判されることについては基本的に歓迎しています。
批判されて気分が良くないこともありますが、間違った情報は訂正されるべきですし、自分の考えを見直すきっかけにもなります。技術のプロフェッショナルとして批判を受け入れる姿勢は当然だと考えています。
一方で、技術発信をしている人全員がこのような心構えを持っているとは限りません。厳しい批判によって発信者が萎縮し、コミュニティから離れていくのは望ましくありません。
コミュニティの縮小につながりますし、特に初学者が離れていくのは残念なことです。
かといって、承認欲求のために誤情報を広める人が蔓延るのも問題です。私たちは正確な情報を広めるべきです。
そのため、批判が相手を傷つける可能性があっても、私は批判をすることもありますし、批判する人たちに自重を求めることも避けたいと思います。
対策としては、私たち自身がより頻繁に質の高い情報を発信することで、誤情報が広まる前に正確な情報を提供することが考えられます。そうすれば初学者が誤った情報に惑わされる機会も減るでしょう。しかし、正確な情報を発信し続けることは非常にコストがかかりますし、承認欲求だけで発信する人をそれだけで止めることは難しいでしょう。
これは本質的に答えの出ない問題であり、最終的には「要はバランス」ということになるのかなと思います。
社会は厳しい、という愚痴でした。
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