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技術観光ガイド 川崎編

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エンジニアは休日をどう過ごすか?

エンジニアは休日をどのように過ごすだろうか。それはもちろん人それぞれである。趣味のプログラミングをしたり技術書を読んで過ごす人もいるだろうし、それを「エンジニアとして望ましい休日」だと考える人もいるかもしれないが、非技術的な趣味に興じる日があっても恥じることはない。偉大なエンジニアたちも多様な趣味を持っていた。アラン・チューリングはマラソンを得意としていたし、クロード・シャノンのジャグリングの腕前はプロ並みであったという。

とはいえ、やはりどんなときでも技術に触れるのはたのしいものだ。そのようなことだから、休日に出かける日があるならば、技術にまつわるスポットを行き先のひとつに加えてみてはどうだろうか。ふと地図を開いてみると、意外な技術スポットをいくつも見つけることができる。そこで今回は、神奈川県の川崎市にある技術スポットを観光してみたい。

川崎河港水門


川崎河港水門

川崎駅から大師線へ乗り換えて港町駅で降車し、多摩川沿いにしばらく歩くと見えてくるのが川崎河港水門だ。川崎河港水門は第一次大戦による好景気を背景として、大規模な運河築造計画の一環として大正15年に着工された近代的な水門である。多摩川のほとりにたたずむ水門は見事ではあるが、先に通じる運河は短く、水門としての意味をほとんどなしていない。このように中途半端な状態に落ち着いた理由は、はじめ内務省の技術官僚である金森誠之の発起により運河の築造計画が始まったものの、用地買収が遅々として進まないまま、太平洋戦争の激化により計画自体が断絶されたことにあるそうだ。そのような経緯から、戦間期の大規模土木計画の残滓として国登録有形文化財に指定されている。

水門本体は高さ20.3メートル、水門幅10.0メートルの大きさで、鋼製ローラーゲート方式を採用している。その築造には鉄筋コンクリートと金森式鉄筋レンガが併用されており、当時としては意欲的な設計だったようだ。門構頂部にはブドウ、梨、桃をあしらったモニュメントが配されており、その存在感は大きく、多摩川河畔のシンボルのひとつとして親しまれているそうである。

金山神社


金山神社 社殿

川崎河港水門からしばらく歩くと、閑静な住宅街の先に古風な神社が見えてくる。それが仁徳天皇を祀る若宮八幡宮で、その境内にある六角柱状の異様な建物が金山神社だ。金山神社とは鍛治神である金山比古神と金山比売神を祀る神社であるが、両神は性神とも解されている。そのことから同社も、古くは当地の女郎たちから信仰を集めたという。それが転じて現在では、男根を模した神輿を担いで練り歩く奇祭「かなまら祭り」を催す神社として広く知られるようになった。

このように性神としての側面を強調されがちな同社であるが、毎年11月1日には鞴祭が行われており、鍛冶神としての霊験は衰えていない。鞴祭(ふいごまつり)とは鍛冶や鉄工に関わる職人たちの祭事であり、かつては町工場でも広く行われていたようだ。現代のソフトウェア開発の現場では失われた伝統ではあるものの、金山神社に詣でることで、古い技術者たちの息吹を感じることができるのではないだろうか。

東芝未来科学館(一般公開終了)


日本初のマイクロプログラミング方式コンピューター(東芝未来科学館所蔵)

川崎駅から北西に伸びる高架橋を渡ると、左手にラゾーナ川崎東芝ビルが見えてくる。その1フロアを占めているのが東芝未来科学館である。同館は2024年6月に一般公開を終了し、現在では容易に見られなくなってしまったが、内容が優れたものであったため、ここで紹介しておきたい。東芝未来科学館は、その名が示すように東芝の企業博物館である。同館では、ふたりの創業者である田中久重と藤岡市助の生涯を通じて同社の社史を追体験できるほか、同社の歴史的な製品を多数見ることができた。
そのなかで一際存在感を放つのが、「日本初のマイクロプログラミング方式コンピューター」と題して紹介されている「KT-Pilot」である。KT-Pilotは東芝と京都大学の共同研究により開発された初期の国産コンピュータであり、同学の萩原宏を中心とするメンバーにより1961年に発表された。当時世界最速を誇ったという技術史的な重要性から、国立科学博物館が定める「重要科学技術史資料」や、情報処理学会による「情報処理技術遺産」として認定されている。

そのほか同館には「国産1号電気洗濯機」や「日本初の電気掃除機VC-A」、最初期の国産コンピュータ「TAC」をはじめとした貴重な技術史料が多数収蔵されている。現在では気軽に訪れることができなくなってしまったが、いずれその収蔵品を再見できる機会があることを願っている。

ミツトヨ測定博物館


ミツトヨ第1号マイクロメータ(ミツトヨ測定博物館所蔵)

川崎駅から南武線に乗り、30分ほど電車に揺られて溝の口駅で降車する。そこから20分ほど歩くと見えてくるのが株式会社ミツトヨの本社・川崎工場だ。その敷地内にあるのがミツトヨ測定博物館である。ミツトヨは測定器具において国内最大シェアを誇るメーカーであり、同社の歴史は日本の近代測定器具の歴史そのものと言って差し支えない。そのようなことだから、同館は機械工作に携わる技術者にとっては見逃せないものとなっている。

昭和11年に製造された同社の第1号マイクロメータは「近代化産業遺産」にも指定されているが、初回ロットで100個生産したうち、そのうち83個は精度が基準に満たず、戒めとして床下に埋めたという逸話がある。そのほか館内には同社の歴代の測定器具が並ぶほか、有史以来の「測定」そのものの歴史が総覧でき、古代エジプトのキュビット尺など興味深い収蔵品が数多くある。訪れる機会があれば、入館には事前の予約が必要であるため注意してほしい。

久地円筒分水


久地円筒分水

溝の口駅から北へ向かい、用水路に沿って歩くと現れるのが久地円筒分水である。久地円筒分水とは、多摩川より分流した二ヶ領用水にある分水樋であり、県の土木技師である平賀栄治の設計により1941年に築造された。サイフォンの原理により流水を吹き上げ、四つの支流に均等に分水するという独創的な構造を持っている。

二ヶ領用水は、古くは徳川家康の命により計画され、用水奉行・小泉次大夫の指揮のもとで1611年に築造されたという。以後長らく当地の農業用水として利用されてきたが、四つの支流への均等な分水は極めて難しく、渇水時には水争いが絶えなかったそうである。それを解決したのが久地円筒分水で、現在では当地の農業は廃れており本来の役割をほとんど終えているが、その技術的および歴史的重要性から国登録有形文化財に指定されている。

電車とバスの博物館


デハ204(電車とバスの博物館所蔵)

最後の目的地となるのが宮崎台駅に隣接する「電車とバスの博物館」だ。同館は東急電鉄が運営する企業博物館であり、同社の鉄道および東急バスにまつわる品々が展示されている。同館の特徴をなすのは、電車やバスの迫力ある車両展示だけではない。運転シミュレーターなど体験型の展示が多くあり、日頃から児童で賑わっているようだ。電車関連の博物館としては京都や埼玉の鉄道博物館に規模こそ劣るものの、都心からのアクセスの良さや、入館料の安さからくる手軽さが魅力となっている。

川崎における技術の様相

この旅を終えて考えるに、川崎における技術のあり方を特徴づけるものは何であったのか。そのひとつは、水との関わりであろう。川崎の名は「川の先」に由来すると考えられ、多摩川から東京湾に至る河口を擁している。当地で信仰を集める川崎大師は川崎有数の観光地として著名であるが、そのはじまりは、弘法大師の木像が海中より出現したことにあるという。弘法大師といえば井戸や温泉といった土木工事の伝説が各地に残っており、水との関わりが深い人物だ。また、金山神社の節でも触れた若宮八幡宮の祭神である仁徳天皇は、日本最初の築堤といわれる「茨田の堤」の築造を命じた天皇として、治水の従事者たちから信仰を集めていたそうである。

2019年10月12日のことである。マリアナ諸島沖より北上してきた台風19号により多摩川が氾濫し、川岸にほど近い川崎市市民ミュージアムは、倉庫の水没をはじめとする甚大な被害に見舞われた。この水害により同ミュージアムは10年間におよぶ休館に追い込まれ、2025年現在でも再開に向けた努力が続けられているところである。土木技術の発達した現代においてもこのようなことだから、近代以前に目を向ければ、多摩川の水害は当地の人々にとって切実な課題だったはずである。先に述べたような水への信仰も、このような現実と地続きであった。そのような地理的背景のもとで生きる人々の暮らしの有様が、水門や分水樋をはじめとした治水技術のみならず、川崎の技術世界全体の基底をなしているとみるのは考え過ぎであろうか。

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