エンジニアの能力・給与・尊厳
給与はあなたの実力か
労働者にとって、給与のことほど感情をざわつかせる話題は多くない。それはIT業界ではたらくエンジニアにとっても同様である。実際ソフトウェアエンジニア向けの転職エージェントの広告には、年収800万円とか1000万円、1200万円といった額面が並んでおり、一般的な日本の給与水準からすると比較的高額であるそれは、多くの異業種の人を惹きつけているし、業界内においても高い人材流動性を生み出している。一方で、自身の給与額というのは多くの人が語りたがらない話題でもある。このことは一見するとふしぎなことかもしれない。かつてインターネットの文化の特徴には「嫌儲」があるといわれ、ネット上でお金儲けについて語ることは卑しいことだと糾弾されていた[1]。ところが近年になると、仮想通貨やNFTなどの投機商品や、積立NISAをはじめとする投資商品が広く流行し、エンジニアたちもそれらをこぞって購入し、その利得に喜びを表明している。もちろん、将来に不安を感じて家族の行くすえを守ろうとするなかで、慎ましく蓄財に努めることは好ましいことである。とはいえこのような蓄財の多寡が「真面目さ」や「かしこさ」といった人格と同一視され、多くの財を持つ人こそが人格としても良い人であるという風潮さえ感じなくもない。しかし、なぜそのような状況のなかでも、人は自分の給与額を語りたがらないのか。その理由のひとつは、給与額がエンジニアとしての実力を測る主要な指標と考えられ、ひいては人としての存在価値をあらわす指標そのものだと考えられていることにある。
たとえば、業界に敷衍する論調に次のようなものがある。ネットフリックスの共同創業者であるリード・ヘイスティングスらの言葉を引いてみよう。
最高のプログラマーの価値は凡人の10倍どころではない。100倍はある。ソフトウエア業界では、もはやこれは常識だ。(中略)
凡庸な人材を1ダース雇う代わりに、最高の人材に「個人における最高水準の報酬」を払うことにした。1人のとてつもない人材に大勢が束になってもかなわないような仕事をしてもらい、その分とてつもない報酬を払おうというわけだ。[2]
グーグルの人事担当役員であったラズロ・ボックもヘイスティングスと同様に、多大な事業貢献には多大な報酬を支払うべきだと述べる。
公平な報酬とは、報酬がその人の貢献と釣り合っているということだ。グーグルのアラン・ユースタス上級副社長に言わせれば、一流のエンジニアは平均的なエンジニアの300倍の価値がある。
グーグルでは、同じ業務を担当する2人の社員が会社にもたらす影響に100倍の差があれば、報酬も100倍になる場合が実際にある。[3]
優れたエンジニアのパフォーマンスの高さは、筆者自身もいちエンジニアとして見聞きするところであり、100倍という数値も大げさなものではない。そしてそのような優れた実力を持つ人が、人材市場において高い価値を持つことは自然なことである。実際、IT人材は売り手市場であり、優れたソフトウェアエンジニアは生半可な額では雇用できないし、このような市場原理の結果は否定しえないのだ。
さてここまで、現代のエンジニアが給与に抱くイメージ、あるいはエンジニアの給与にいだかれているイメージを概観してきた。もちろん、「100倍」優れたエンジニアは稀であるし、シリコンバレーのような場所と比べて日本のエンジニアの給与水準はおだやかだ。とはいえ、ソフトウェアエンジニアの人材市場における需要はかつてないまでになっているし、それにともなって給与水準も上昇傾向にある。そしてますます多くの人は、こうして得られる高い給与が、自身の「努力の成果」であり、「実力の証明」であると考えるようになっている。このような前提から筆者が関心を覚えるのは、給与が労働者にとっての尊厳とどのように関連しているかということ、そしてとりわけ、エンジニアとしての生き方とどのように関わっているのかということだ。
高給な仕事が良い仕事なのか
倫理学者のマイケル・サンデルは、世界中に広がる給与格差に疑惑の目を向ける一人だ。サンデルは現代世界の思潮に流れる「能力主義」を厳しく批判する。能力主義とは、業務の遂行能力に対して給与を決めるべきという考え方だ。自分の生まれ育ちに関わらず、懸命に努力し、自分の能力を伸ばした人こそが経済的な成功を収めることができる。これは一見すると合理的なだけでなく、道徳的にも望ましいようにも思える。ではサンデルの批判とは何なのだろうか。彼は次のように言う。
過去40年にわたり、能力や「値する」といった言葉が公的言説の中心を占めるようになってきた。能力主義への転換の一つの特徴は、能力主義の過酷な側面を示すものだ。それは、個人の責任という厳しい考え方に現れている。この考え方に伴って、社会保障制度を抑制し、リスクを政府や企業から個人へと移そうという試みがなされてきた。能力主義への転換の二つ目の特徴は、いっそうの上昇志向だ。それが見て取れるのが、出世のレトリックとでも言うべきもの、つまり、懸命に努力し、ルールにしたがって行動する人びとは、才能と夢が許すかぎりの出世に値するという保証である。[4]
サンデルが指摘するのは、個々人の能力に基づく出世が強調されつづけた結果、成功できない人びとの経済的立場を弱くするだけでなく、その尊厳を傷つけてきたことだ。実際、人には向き不向きがあるし、家庭環境や生まれた地域などによっては、特定の能力を獲得する機会にめぐまれていたり、そうでなかったりする。また、各々が持つ能力や志向が、その時代のビジネス環境のなかで金銭的な見返りを保証するとは限らない。たとえば、介護福祉士や看護師、保育士、教師、飲食店の従業員、清掃員といった仕事は世のなかに無くてはならないものだが、彼らがいかに努力をし、その分野のなかで卓越した能力を持っていたとしても、経済的に大きな成功を得ることは難しい。一般に、ソフトウェアエンジニアの収入は彼らよりもずっと高額である。だからといって、ソフトウェアエンジニアが介護福祉士よりも「価値のある仕事」だとか「道徳的に良い仕事」であるわけではない。だが能力主義の風潮は、経済的に苦しむ人びとを「自己責任」だと断じ、弱い立場のままで捨て置いているのが現状なのである。
社会学者のジェイク・ローゼンフェルドも著書『給料はあなたの価値なのか』のなかで、給与額と人としての価値を同一視する風潮について分析し、強く警鐘を鳴らしている。同書ではアメリカにおける給与格差について広範な分析を行なっているが、グーグルをはじめとした巨大テック企業の例を挙げたうえで、次のようにまとめている。
最近の研究は、周知の事実を明らかにした。企業のなかには給与が高いところと低いところがある。「高い賃金を支払い、一定の能力を持った労働者を抱える『良い企業』というものがある」。給与に対する企業の影響をまとめた研究は言う。「こうした企業に就職できるかどうかは、かなりの程度まで運による」[5]
以上のような批判は、自分の能力を伸ばすことで世の中に貢献しようとする努力を軽んじるわけではないし、怠惰に過ごすことを推奨するものでもない。もちろん、年功序列にすべきだとか、あらゆる仕事を同一賃金にしようと呼びかけるものでもない。あらためて認識するべきなのは、健全な努力によって能力向上に励んだとしても、経済的な成功を得られるかどうかは別問題であるということだ。
給与をどう使い、どう生きるのか
比較的に経済的に恵まれた立場であるソフトウェアエンジニアたちは、以上のことをどのように受けとめるべきだろうか。たとえば仕事を通じて得られた金銭を、みずからの快楽のためにつかおうとすることを否定はしないが、ほかにも使い道はたくさんある。たとえば周りの人のために使ってみることだ。近親者や友人だけでなく、視野を広げて地域やコミュニティのために使っても良いだろう。実際、学校や自治体への寄付は古くから行われてきた。民俗学者の宮本常一のよれば、郷里を離れて稼ぎに出た人が、都市部に定住して働きながら、ふるさとの公共機関に寄付する風習は幕末のころからみられたという[6]。若干古風な例を挙げてしまったが、実際のところ、募金はもっとも簡単な社会貢献手段のひとつである。あなたが海外の戦禍や災害に心を痛めているなら、UNICEFやWFPのような国際的な人道支援組織への募金を検討してはどうだろうか。個人であれこれ考えるよりも効果的に利用してくれるはずだ。
哲学者のピーター・シンガーは、個々人の物質的な充足だけを求める風潮を戒め、より倫理的に生きようと呼びかける。
人生に対して倫理的なアプローチをとることは、楽しい時間を過ごすとか食事やワインを楽しむことを禁ずるものではないが、優先順位についての私たちの考え方を変更させるものである。流行の衣服を買うために多大な努力がなされ大変な金額のお金が出費されている。また、もっとおいしいものを食べようとして果てしなく捜しまわるというようなこともされている。(中略)これらはすべて、自分の見方を拡げ、一時的であれ自己中心的にはものを見ないですむ人からみれば、常軌を逸しているとしか思えないのである。[7]
ここまでながながと確認してきたのは、結局のところ至極あたりまえの事柄である。つまり、人の収入と能力、そして尊厳はすべて別物であるということだ。もちろん、個々人が経済的な成功を求めるのは自由であるし、それに向けて能力を伸ばしたりすることは好ましいことである。だが、その努力と得られた結果を混同してしまうと、途端に生きづらくなってしまうのではないだろうか。だからこそ、さまざまな職能のひとに対して、その収入の多寡に関わらず敬意を払うということは、日常的な道徳として尊ばれるべきだろう。そして、自分が様々な人びととの協力のもとで生きていることを知り、それに貢献しようとすることで、エンジニアとしての人生を豊かにできるように思う。
-
川上量生 監修『角川インターネット講座(4)ネットが生んだ文化 誰もが表現者の時代』2014, 角川学芸出版, pp32-35 ↩︎
-
リード・ヘイスティングス, エリン・メイヤー 著, 土方奈美 訳『NO RULES: 世界一「自由」な会社、NETFLIX』2020, 日経BP, pp145-147 ↩︎
-
ラズロ・ボック 著, 鬼澤忍, 矢羽野薫 訳『ワーク・ルールズ!―君の生き方とリーダーシップを変える』2015, 東洋経済新報社, pp369-375 ↩︎
-
マイケル・サンデル 著, 鬼澤 忍 訳『実力も運のうち 能力主義は正義か? (ハヤカワ文庫NF)』2023, 早川書房, pp118 ↩︎
-
ジェイク・ローゼンフェルド 著, 川添節子 訳『給料はあなたの価値なのか―賃金と経済にまつわる神話を解く』2022, みすず書房, pp219 ↩︎
-
宮本常一 著『民俗のふるさと (河出文庫)』2012, 河出書房新社, pp234-235 ↩︎
-
ピーター・シンガー 著, 山内友三郎 訳『私たちはどう生きるべきか (ちくま学芸文庫)』2022, みすず書房, pp416 ↩︎
Discussion