測ると作る─日本計測小史─
神は計測する
エンジニアとは作る人であるだけでなく測る人である。ウェブエンジニアはレイテンシやアクセス数を測る。ソフトウェアエンジニアは処理速度を測り、機械エンジニアは耐疲労性を測る。建設エンジニアは構造強度を測り、土木エンジニアは土地を測量する。このような、測ることと作ることの密接な関係は、古くから知られてきた。たとえば、西洋中世には世界の創造主たる神はコンパスを持つ姿で描かれてきたし、中国神話における人類創造の神である伏羲と女媧も、伝統的に矩(曲尺)と規(コンパス)を掲げた姿で描かれている。
作者不詳『世界の設計者としての神』(13世紀)
伏羲と女媧(竹中大工道具館 所蔵)
ところで、わたしたちが当たり前に行っている「測る」という行為は、考えてみるとなかなか難しい前提のもとに成り立っている。どういうことか。たとえばわたしが手元にあるボールペンを手に取り、その長さを測ってみると15センチメートルであったとしよう。すると「15センチメートル」という数値を通じて、そのボールペンがどのくらいの長さなのかを世界中の人が理解できるのだ。これは実に不思議なことではないだろうか。生まれた国も、話す言葉も異なる人々が、同じ長さの単位を使い、寸分狂わずにそれを認識できるのである。
実際、世界中の人が単位を共有し、同じ基準で測れるようになったのは、人の歴史の中でもごく最近のことだった。では人は、これまでどのようにして測ってきたのだろうか。そして、どう「測れる」ことでどう「作れる」ようになっていったのかを見ていこう。
長さを測る
「長さ」はいつ頃から測られるようになったのか。それを明言することはできないが、人類の誕生よりも古いことは間違いないだろう。実際わたしたちは計測道具を用いなくても、杖にするならどのくらいの長さの棒が良いとか、庭にある木が自分の背丈の何倍くらい高いとか、隣の町まで歩いて何日くらいの距離であるかを認識することができる。このような素朴な計測は、鳥獣も行っていることだ。そして文明のはじまりで用いられた長さの計測も、それと本質的な違いはなかった。つまり、人間の身体や経験をもとにした単位が使われたのである。たとえば、古代の西洋世界では「キュビット」という単位が用いられていたが、これは肘から指先までの長さを意味しており、エジプトではファラオの腕を基準に定められていたという。そのようなことだから、時代や地域によって1キュビットの長さはまちまちであった。エジプトでは、第1王朝期の紀元前3000年頃には45.72センチメートルであり、のちには58センチメートル程度まで伸びたそうである[1]。
古代エジプト キュビット尺のレプリカ(ミツトヨ測定博物館 所蔵)
そして東洋では近代にいたるまで、中国で生まれた「尺」という単位が用いられおり、はじめ手のひらの長さが基準となっていた。それが、時が経つにつれて次第に伸びていき、春秋戦国時代には1尺23センチメートル前後でしばらく安定するが、三国時代以降はまた増長傾向となる。このように、洋の東西を問わず、長さの単位は伸びていく傾向にあった。その理由のひとつとして考えられるのは、純度の低い鉄は経年とともに膨張するため、基準とするものさし自体が伸びていき、それが積み重なったことにあるという[2]。
さて日本では、大陸からの技術伝来が盛んになるにつれて渡来尺を用いるようになるのだが、それ以前には「アタ」「ツカ」「ヒロ」という単位が用いられており、古事記にもそのことが記されている。現在ではアタは三種の神器の一つである八咫(8アタ)鏡、ヒロは千尋(1000ヒロ)という人名などにその名残が見られるが、古代にはそのほかにもいくつかの単位が混在していたそうである。そしてこれらの雑多な単位を整理し、公的な度量衡を日本で初めて定めたのが、奈良時代の大宝律令であったとするのが通説である[3]。
これ以降の変遷を詳しくは追わないが、豊臣秀吉の太閤検地をはじめとした幾度かの改新が図られたものの、江戸期には各藩や民間でいくつもの尺度が考案され、地域や職域によって使う尺度の異なる混沌とした時代が続いた。それが近代にいたると、明治年間にメートル法への統合が進められ、それが現在も使われているのだ。
時を測る
時間も現代人が日常的に測っていることの一つだ。睡眠時間を測り、目覚まし時計をかけて就寝する。通勤時間を測って自宅を出発する。仕事のなかでは、会議にかかる時間を測り、実務に使える時間を測り、休憩時間を測る。カップヌードルを食べるには3分間を測る必要がある。このように現代人の生活は、時間の計測とは切っては切れないものだ。
しかし時計の無い時代に遡ってみれば、時間は太陽の位置で知るほかなかった。しかも曇天であれば太陽は見えないし、季節によっては日照時間も異なるから、古代の人にとっては時間とは実に曖昧なものだった。それが変化をはじめるのは飛鳥時代のことで、中大兄皇子(のちの天智天皇)の主導のもとで漏刻(水時計)が作られたのだ。漏刻は落水にかかる経過を利用して時間を測るもので、落水の速度は一定だから、日時計とは違って曖昧なところがない。つまり、現代のわたしたちがストップウォッチで計測するのと同様の、定量的な時間の計測が可能となったのである[4]。その後、天武天皇の代には陰陽寮が組織され、明治にいたるまで日本の時間は陰陽師によって管理されることとなる。
中大兄皇子の漏刻があった飛鳥水落遺跡
江戸時代になると、陰陽寮が報じる時刻とは別に、町民たちの間で不定時法が用いられるようになった。不定時法とは、わたしたちが普段使っている24時間の定時法とは異なり、季節によって時間の尺度を変える時間区分法のことだ。江戸の人々は、夜明けから日暮れまでの時間を6等分し、それを「1刻」として基準としていた[5]。したがって、同じ「1刻」を働くとしても、夏は冬よりも長く働くこととなってしまう。だが、電灯もない時代に夜は寝るしかないのだから、日照時間をどう測るかこそが重要であったのだ。現在でも欧米ではサマータイム制度が施行されているが、江戸の不定時法とは方法は異なるものの、その目的は大きく違わない。
そこでエンジニアとして興を覚えるのは、不定時法の時刻を測ることのできる時計が作られていたことだろう。季節に合わせて1刻あたりの時間を変動させるその時計は「和時計」と呼ばれ、江戸期の職人たちの技能の高さを今に知らしめる精巧なものである。しかし明治にいたると現代まで続く西洋式の定時法が導入され、和時計は急速に過去のものとなっていく。
江戸末期の和時計(伊豆高原からくり時計博物館 所蔵)
統計をとる
インターネットサービスに携わるエンジニアにとってもっとも馴染み深い計測は、統計上の計測だろう。つまり人数とか個数だとか回数といったものを数え上げ、平均を求めたり分布を調べたりして、それを役立つかたちにすることだ。これは近年ではデータサイエンスなどとも呼ばれ、いかにも現代的で抽象的な印象を与える。しかし元をたどってみると統計のはじまりは古く、しかもきわめて実際的な取り組みであった。コンピューターの祖先のひとつに挙げられるハーマン・ホレリスのタビュレーティング・マシンを挙げるまでもなく、統計とは国勢調査、つまり国家運営上の政務に端を発するからだ。
日本における国勢調査は、飛鳥時代末期に天智天皇によって行われた庚午年籍が草分けであり、豊臣秀吉が命じた人掃令をはじめとして時代の節目には大きな統計調査が行われている。これらの調査の目的は、生産力や労働力を測り、正確な租税や労役の収取を可能とすることであった。それゆえに、庚午年籍から間もなくして勃発した壬申の乱では周辺地域から効率的に徴兵が行われ、史上空前の規模の騒乱となったという[6]。
近代に至って、西洋の統計学を日本に紹介した人は福沢諭吉である。彼ははじめ、統計の由来となった言葉である「statistics(スタチスチク)」を「政表」と訳していた。つまり、それは国家の状態を表す言葉であったのだ。福沢はスタチスチクを次のように説明する[7]。
天下の形勢は一事一物に就て臆断す可きものに非ず。必ずしも広く事物の働を見て一般の実跡を顕はるゝ所を察し、此と彼とを比較するに非ざれば真の情実を明にするに足らず。斯の如く広く実際に就て詮索するの法を、西洋の語にて「スタチスチク」と名く。
ここで深くは立ち入らないが、「政表」はのちに「統計」と訳し直され、現在の日本語として定着する。そしてその思想のもとで明治の中頃から本格的な国勢調査が行われ、そのなかで機械式の統計処理が普及していく。
川口式電気集計機(統計博物館 所蔵)
測れるから作れる
ここまで長々と、やや雑多に「測ること」の変遷を振り返ってきた。ところで、エンジニアの仕事とは概して言うと、測ってから作ったり、作ってから測ったり、測りながら作ったりすることだ。だからこそ、「測ること」の発展は「作ること」の発展を促してきた。そのことを象徴する人物が、19世紀初頭のイギリスの技術者であるヘンリー・モーズリーだ。モーズリーは「工作機械の父」と呼ばれており、旋盤の改良者として知られるが、彼の重要な仕事の一つはマイクロメーターを改良したことだった。マイクロメーターとは0.001ミリメートル単位の長さの計測を可能とする道具で、これの普及により、精密部品の規格化や精巧な工作が可能となったのだ。そのようなことだから、最初の動力機械式コンピューターであるチャールズ・バベッジの「ディファレンス・エンジン」を作った人が、モーズリーの弟子であったとしても驚くにあたらないのである[8]。
国産最初のマイクロメーター(ミツトヨ測定博物館 所蔵)
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ミツトヨ測定博物館の展示を参照 ↩︎
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小泉袈裟勝『ものさし (ものと人間の文化史 22)』1977, 法政大学出版局, pp22-47 ↩︎
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小泉袈裟勝, 前掲書, pp54-pp67 ↩︎
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佐々木勝浩 ほか『時間の日本史: 日本人はいかに「時」を創ってきたのか』2021, 小学館, pp28-30 ↩︎
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佐々木勝浩 ほか, 前掲書, pp35 ↩︎
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遠山美都男『壬申の乱: 天皇誕生の神話と史実 (中公新書)』1996, 中央公論新社, pp96-97 ↩︎
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宮川公男『統計学の日本史: 治国経世への願い』2017, 東京大学出版会, pp8-pp13 ↩︎
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ブルース・コリアー 著, 須田康子 訳『チャールズ・バベッジ: コンピュータ時代の開拓者 (オックスフォード科学の肖像)』2009, 大月書店, p33 ↩︎
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