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ギャンブル・コンピューティングの歴史に向けて

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ギャンブルとコンピュータの関わり

ギャンブルとコンピュータの関わりはたいへん深いものである。もちろん、現代のパチンコ台では玉の出入りがホール・コンピュータによって絶え間なく計測・集計されていることや、公営競技でもインターネット経由で馬券や車券を購入することが広く行われているのは周知の事実である。なかでも重要なのはオッズ計算で、多様な人々が行う膨大なベットに対して、瞬時にオッズを算出できるのはコンピュータの貢献にほかならない。しかし、ギャンブルとコンピュータの関係は、コンピュータの登場によってギャンブルが効率化したとか、あるいは大規模化したという一方向の影響にとどまらない。むしろ、コンピュータはギャンブルのために発展したという側面さえあるのだ。このような両者の関係には未知の部分も多く残されているが、「ギャンブル・コンピューティングの歴史」を語るための一歩として、ここではいくつかの事例を書き連ねてみたい。

最初の競馬コンピュータ

競馬などの競技賭博において、観客の投票を集計し、オッズや配当金の算出、払い戻しを行う一連のコンピュータ・システムを「トータリゼータ」という。まずはその起源について振り返ってみたい。その最初の例として知られているのは、1913年にニュージーランドのエラズリー競馬場に設置されたもので、ジュリアス・プール・アンド・ギブソン社のジョージ・ジュリアスによって発明された。


エラズリー競馬場 1910年頃(アルバート・パーシー・ゴッドバー撮影)

ドン・マッケンジーの調査によれば、ジュリアスは当初、選挙投票の集計を目的としてこの装置の開発を進めていたという[1]。彼がキャリアを始めた1900年前後は、アメリカで1890年にハーマン・ホレリスが機械式作表機を開発し、政府統計の機械化が進み始めた時期にあたる。しかしジュリアスの装置は政府には採用されず、代わりに応用先として考えられたのが競馬場での集計システムであった。ジュリアス自身は競馬に関心はなく、賭け事はしなかったというが、エラズリー競馬場でのトータリゼータは一定の成功を収め、彼の会社は環太平洋地域を中心に各国の競馬場へシステムを導入していった。このような計算作業の機械化の流れは、バネバー・ブッシュによる1931年の微分解析機や、1946年のENIACに代表される現代コンピュータの発展にもつながったと考えられる。

ところで日本では、コンピュータ開発と競技賭博との関係はより密接であったかもしれない。アメリカの初期コンピュータ開発では、多くの研究費が軍事予算に由来していたことが知られているが、戦後の日本では軍事目的を掲げることができなかったため、コンピュータは当初から産業利用を念頭に開発が進められた。たとえば、1956年に完成した最初の国産電子計算機「FUJIC」は、富士フイルムの岡崎文次によって開発されたもので、カメラ用レンズの曲率計算を目的としていた。また、競技賭博におけるオッズ計算や遠隔での投票券の売買も国産コンピュータの主要な用途の一つとされ、競輪業界から研究資金が提供されていた例が確認できる。たとえば日本情報処理開発センターによる1973年の報告書『遠隔情報処理システムの応用実験』[2] では、FACOM230-60を用いたタイムシェアリング・システムの研究成果が報告されているが、その研究資金は日本自転車振興会の競輪収益から拠出されたことが明記されており、このような関係が長らく続いていたことがうかがえる。

FUJIC(国立科学博物館所蔵)

カード賭博から生まれたモンテカルロ法

コンピュータの登場により複雑で大量の数値計算を効率的に処理できるようになり、先に触れた政府の統計調査や、賭け事におけるオッズや配当金の計算は、より高速かつ大規模に行えるようになった。また、ランダムな値を用いて多数の試行を繰り返し、さまざまなパターンをシミュレーションしたり数値解析を行ったりすることも可能となった。このような乱数を用いる計算手法は「モンテカルロ法」と呼ばれ、初期には核関連の数値計算に利用され、その後、気象シミュレーション、地震予測、金融工学、リスク管理、コンピュータグラフィックスなど、幅広い分野で使われている。さて、この「モンテカルロ」とはモナコ公国にある地域名であり、カジノで知られる場所である。なぜ、乱数を用いた計算手法をモンテカルロ法と呼ぶのか。その理由は、実際それがギャンブルのあり方とよく似ているからだ。

モンテカルロ法を考案したのは、ポーランド出身の数学者スタニスワフ・ウラムである。彼はのちに水素爆弾の作動原理の開発を考案したことで知られるが、当時はまだ名の知れた数学者ではなく、友人のジョン・フォン・ノイマンからの推薦を受けてようやく職を得るのがやっとであった。ウラムがモンテカルロ法を思いついたのは、1940年代後半のこととされる。病気がちであった彼は、そのときも医師から「頭を使いすぎることは避けるように」と指示されており、研究を止めて、気晴らしにソリティアに興じていたという。しかし、数学者としての思考を止めることはできず、「52枚のカードを使ったソリティアをうまく完成させる確率はどれくらいだろう」と考え始めた。そこでウラムは気づいた。複雑な計算を論理的に証明することは難しいが、多くのパターンを実際にシミュレーションして集計することで、実用的な結果を得ることは可能である、と。そして、この着想に「モンテカルロ法」という名前を与えたのがフォン・ノイマンで[3]、ウラムが後に振り返って語るところによれば、「偶然という要素や、適切なゲームを行うために乱数を発生させる点が、モンテカルロのカジノのゲームと共通している」という理由で、この名前が選ばれたという[4]

このように、モンテカルロ法はカジノでも広く遊ばれているカード競技であるソリティアから着想され、実際、カジノに因んで命名された。また、これを命名したフォン・ノイマンもカジノ通いをしていたことがよく知られており、「ゲーム理論」などの研究につながっている。

パチンコとホール・コンピュータ

最後に、パチンコやスロットといった賭博機械について触れておきたい。まず、スロットマシンは1895年にアメリカのチャールズ・フェイによって発明されたのが始まりとされる。当初は低額の賭け金で遊べる子ども向けの娯楽とみなされていたが、のちに改良が進み、禁酒法時代には全米で広く流行したという。そのため日本では風紀を乱すものと考えられ、長く輸入が制限されていたが、戦後に解禁され、1955年にはスロットマシン賭博に関する摘発例も報告されている[5]

次にパチンコについて見てみると、一般には1948年に正村商会の正村竹一が開発した「正村ゲージ」が草分けとされている。しかし、これ以前にも類似した遊戯機械は存在していたようだ。横須賀のパチンコ誕生博物館にある「球遊機」という遊戯機械は、1929年に岡製作所によって開発されたもので、現存する最古の国産パチンコであるという。

岡式電気自動球遊機(パチンコ誕生博物館所蔵)

では、パチンコの出玉をコンピュータで管理する仕組みが導入されたのは、いつ頃のことだろうか。筆者は最初のホール・コンピュータがどのようなものであったのかを知らないが、現在もホール・コンピュータの主要ベンダーであるダイコク電機は、1974年に「オミクロンコンピュータⅠ型」なる機器を発売しており、これが初期の例の一つと考えられる[6]。日本におけるパチンコブームの最盛期は、三共が1981年に提供を開始した「フィーバー」から始まったという。これはパチンコにスロットの要素を組み合わせた機種の最初の例だが、この「フィーバー」の大ヒットによりパチンコ産業は急速に拡大し、それに伴ってホール・コンピュータも発展を遂げていく。

フィーバー(パチンコ誕生博物館所蔵)

通俗的なものの価値

まとまりのない内容になってしまったが、ここまで、ギャンブルとコンピュータにまつわるいくつかの逸話を紹介してきた。筆者がこうした試みを通じて明らかにしてみたいのは、コンピュータの発展史において、賭博や遊戯といった「通俗的なもの」が果たしてきた役割である。一般にコンピュータの歴史は、弾道計算や原爆の破壊力の計算など、軍事研究が大きな推進力となったという文脈で語られがちである。しかし一方で、競馬にせよパチンコにせよ、賭博や遊戯が高速で正確な計算機の開発を促す要因の一つであったことは、さまざまな事例からもうかがえる。

メディア評論家の紀田順一郎は、パーソナルコンピュータの黎明期においてゲームが普及の推進力となったことを評価し、「パソコンはゲームのために開発されたと言うほうが、理念からも実情からも正しいのではないか」と述べている[7]。こうした通俗性のダイナミズムは、それぞれの産業史の文脈では分析が進んでいることもあるが、全体を俯瞰すると資料は十分とは言えず、未開の領域を多く残している。そのようなことだから、「ギャンブル・コンピューティングの歴史」を描くことによって、コンピュータ史の新しい側面を切り開くことができるのではないだろうか。

脚注
  1. https://www.dontronics.com/my_early_tote_years_history.html ↩︎

  2. https://www.jipdec.or.jp/archives/publications/J0001641.pdf ↩︎

  3. ニコラス・メトロポリスが命名者であるという説もあるが、ダイソン[4:1]に従いフォン・ノイマンとした。 ↩︎

  4. ジョージ・ダイソン 著, 吉田三知世 訳『チューリングの大聖堂 コンピュータの創造とデジタル世界の到来 下 (ハヤカワ文庫)』2017, 早川書房, p66-69 ↩︎ ↩︎

  5. 紀田順一郎『パソコン宇宙の博物誌』1986, 河出書房新社, p53 ↩︎

  6. https://www.daikoku.co.jp/corporate/history/ ↩︎

  7. 紀田順一郎, 前掲書, p50 ↩︎

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