メタバースと森 〜養老孟司氏のお話から〜
メタバースと森
養老孟司さんのYouTubeチャネルで、「メタバースと森」というタイトルで動画が公開されている。
「メタバースと森」。とても興味深いテーマである。
多くのメタバース識者がいうような、人間の生活空間がメタバース空間にも広がることで、同時に新しい経済圏が広がっていく、といった観点とはまったく別の視点からの考えで、とてもおもしろい。
養老孟司氏の考え
養老孟司氏は、森がメタバースによって再現できるといい、と思っているようだ。つまり言葉によって森のことを表現しても、多くの情報が抜け落ちてしまう。だから森の様子を映像によって残すことが大事だと思うが、メタバースの3DCGによって、映像以上の情報を残せるといい、ということなのだろう。
また、メタバースによって「ハエだらけの世界」というのも作れるだろうから、そこに入るような体験もできる筈だ、ということだ。こうなると、人間が普通じゃできなかった体験、思考実験でしかできなかった体験をメタバースで”体験”できるようになるのだ。
所有の感覚
養老氏は、メタバースをめぐって、人が持つ所有の感覚にも触れていく。人は自然や森の中では、自分の意識を拡張して、自分と田んぼの一体感を感じたり、自然との一体感を感じたりする。それは、宗教もそういった探求をしてきた面もある。森の中では、そういった所有感の拡大によって問題が引き起こされることはあまりない。しかし、自然に対して行ったように、人工物に対しても所有感を拡張すると、何かとやっかいなことが起きるのである。例えば、他人のバイクを自分と一体化すると、そこには面倒な問題が起きてくるのである。森では、そういった問題は起きない。
メタバース空間の未来
人が森に入ると癒やしを得られるのは、そういった理由もあるのかも知れない、と思った。自然と一体になることで、狭い自己が解放されるのである。メタバース空間にある物が、誰のものでもあるがみんなの物でもある、ということになれば、メタバース空間は、人にとっての森のような癒やしの場所になるのではないかと思うのである。そういう空間では人は生き生きとして、自殺者も減っていくのではないか、と養老氏は述べる。
しかし、実際のメタバースは、所有感に関して、どのような方向に進んでいるだろうか?森とは違う所有に対する考え方に進んでいるように思える。
メタバースという新しい人間の住む領域ができていくのなら、その領域は、人が生き生きとすることができるような空間になって欲しいと願うのである。単に企業の経済活動の新たなフロンティアとして機能するのではなく、人間がやり直しできる場所としてメタバースが機能して欲しいと思うのである。そのためには、現代を生きる私達が、便利だとか、目先の経済活動といった狭い視野だけではなく、人とは何か、という広い視野によって、今後のメタバースのあり方を人類の叡智を集めて、考えていく必要があるのだと思う。
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