リモートワークとドキュメンテーション文化について考える
リモートワーク(在宅勤務)での勤務が開始してから、2年が経とうとしている。
個人的には、往復2時間の通勤時間がなくなり、とても快適である。また、作業に集中できる快適な在宅勤務環境も整った。もう、毎日出社していた頃に後戻りすることはできない。もし、現在所属している会社がリモートワークを廃止することになれば、私は転職を選ぶだろう。
しかし、チームはリモートワークで成功を収めることができているのだろうか。
以前と変わらない働き方
エンジニアマネージャーという仕事柄、ミーティングの予定は頻繁に入れられる。結果、個人としては割り込み作業による効率ダウンが発生する。
ミーティングが多い理由は、我々は階層主義で合意形成を重んじる文化だからではないだろうか。このため、コミュニケーションによって頻繁に方向性を確認しないと業務が成立しない。
これは、働き方の自由度が高まったリモートワークにおいても変わっていない。
オンボーディングの難しさ
リモートワーク開始から1ヶ月が経とうという頃、私の上司が言っていた。
「リモートワークでも今居る人材がパフォーマンスを出すことはできると思う。しかし、これから入社してくるような人材を育てることはできるのだろうか」
事実、彼らにヒアリングしてみると、主に作業に必要な情報収集に苦労している。「わからないことが多すぎる」「情報が古かったり、まとまっていなくて探すのに苦労する」といった感想が見受けられる。
伝統的な教育体制としては、実践を通じて状況に即した知識を獲得する、認知的徒弟制に近いものであった。そして、リモートワーク以前は、それが一定の成功を収めていた。
しかし、リモートワークでは、周りがどのような仕事のやり方をしているのかが見えづらい。そのような環境では、先輩の背中を見て学ぶ「教えすぎない」教育体制は限界を迎えているのではないだろうか。
もはや「わからないことがあったら何でも聞いてね!」が成立する環境ではないのだ。
以前の働き方の達成が重要か?
たとえばoViceのように、現実空間と同じような感覚で使えることをコンセプトとしたコミュニケーションサービスが存在する。
このようなサービスの利用は、リモートワークによって失われた手段を取り戻そうという試みである。これ自体の否定はしないのだが、恒久的にリモートワークで成功を収めようとした場合、果たしてこれがメインの解決策になるのだろうか。
成功している企業に学ぶ
コロナ禍以前から、リモートワークで成功を収めている代表的な企業は、GitLab社である。
彼らは狂気的とも言えるほどに、ドキュメンテーションを徹底している。
これは、同期的なコミュニケーションに頼った働き方を前提とすると、特にリモートワーク環境下では、そのコストが増大するからではないだろうか。
ドキュメンテーション文化が徹底されていれば、非同期的なコミュニケーションで作業が成立する。(緊急性の高い問題を除いて)好きなときにコミュニケーションを取れるため、割り込みによる効率ダウンが発生しづらい。
ドキュメンテーション文化を広げたいが…
非同期的なコミュニケーションを支えるためには、ドキュメンテーションが重要なのはわかった。しかし、どのようにすれば、それを組織の文化とすることができるのだろうか。
そのためには、強制的なルールを定めればよいのだろうか。
しかし、ルールが存在しているだけでは、文化として浸透しない。たとえば資料の事前共有などを定めた「会議のルール」は以前から見かけたことはあるが、残念ながら、それが徹底されている環境に触れたことはない。
感情に働きかけるような単純化されたスライドしか読めない(読まない)層は一定数存在する。彼らは、私のチームの外の人間であることも多い。そのような人をドキュメントだけで動かすことは難しいのではないか。
何らかの問題の解決を訴えるような文書は、既にその問題点を理解している人には効果的にはたらく一方で、問題意識に乏しい人には、響きづらい。あらゆる政治活動をイメージするとわかりやすいが、もっと感情に訴えるアプローチが別途必要となる。両者の溝は、なかなか埋まらない。
まとめ
結論として、私は現時点で答えをもっていない。
経営陣が変えようと思って変えられない社風を、私個人が変えられるとは思っていない。
「私のできることは、私の小さな花壇をよく世話して花で満たしておくことができるという程度のことだ。私の思想で世界を変えることなんかじゃない」(よしもとばなな「海のふた」より)のかもしれない。
とはいえ、こう、自分の手の届く範囲だけでも、なんとかしたいとは思っている。
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