本は「汚して読むか?」「綺麗に読むか?」。「WEB職TV」なかじさん。
「WEB職TV」と「AIラボ」(なかじさん)
最近、仕事やPC作業をしつつ、プロブロガーのなかじさんが運営するYoutubeチャンネル「WEB職TV」の過去動画をラジオ替わりに良く拝聴してるのですが、ブログというか 仕事に向き合う際のストイックさ にやや影響受けています。
例えばこういう動画など。
ブログにそんなに興味がなかった自分が何故なかじさんのブログ動画を見るようになったのかというと、最初の出会いは、AI関係のネット記事や、Youtube動画を調べていた際に、なかじさんのAI関係の動画を良く拝見するようになった事で、その流れでなかじさんが運営されている「AIラボ」にも参加しています。
【2,600人以上】無料のAIコミュニティ「AIラボ」を立ち上げました!
ライブ配信にも参加するようになり、そこで参加者から問い合わせがあるのは、ブログ運用に関する問題で、それを客観的にみつつ、自分も1つ特化サイトを趣味で作っていてちらっと意見を聞いたりなど。
趣味でやってるのもあって月に1000~2000円程度の収益しかないので、叩かれるのかと思いきや、意外とお褒めの言葉をもらって少し自信を持ったりもしました。w
そうこうしてる間に、ブログに興味を持って紹介された本を読んだり、過去動画を見るようになった感じです。
Zennの記事がGoogle検索で1位
訂正:本日2023/8/8に検索ランク1位以下になりました
再び訂正:本日2023/8/13に検索ランク1位に出戻りしましたw
2023/8/16に、超大手サイトPC Watchに抜かれました(大手には勝てないw)
先日、Zennで書いた記事が「SDXL インストール」というGoogle検索キーワードで今のところ1位をキープしていて、「SDXL」でも2ページ目に出るなど、特にSEO対策したわけでもないのに上に表示されていて少し驚いています。
なかじさんが運営するオインラインサロンの「AIラボ」に参加していて、インストール情報を共有するために記事を書いたのですが、そこで宣伝した効果のせいかもしれません。
昨晩ライブ配信のチャットで、その件に関してお礼をいうと、「AIラボのせいではないのではいか」という意見でした。
思い当たる点としては、「SDXLが公開されてそれほど時間が経過していなかった事」と、SDXL に関して検索して調べる人が多い事に対して情報が少ないという、需要と供給のバランスが崩れている所に、「読者の求めている情報らしきもの」を書いたのが要因かなと…。
画像生成AIの「Stable Diffusion」をインストールする人が一番気になるのは何かというと、
「PCに求められるスペックが非常に高く、ゲーミングPC並みの物が必要である事」
で、
「現在、所有しているパソコンで、Stable Diffusionが動くか?」
どうかで、その辺を意識して記事は書いています。
ただ、ゲーミングPCと違うのは、CPU性能はそれほど求められない事。
とはいえ、早いに越したことはないし、GPUに高性能を求めると必然的にそれに見合うCPUもそろえる必要があります。
SDXLに関するYoutubeのコメントで「SDXLはRTX4070Tiでもキツイ」という情報が多くあったので、それで試してみようと思ったのも記事を書いた動機。
記事は修正・追記を繰り返し手直ししてますが、同じ検索キーワードで2位の方は、ドメイン+特化ブログで、うちより詳細な記事を書かれていますので、追い抜かれるのは時間の問題だと思います。
追記:
予想通り、2位の方に抜かれましたが、後日何故か1位に出戻り。
ただ、そこまで価値のある記事と思えないのでそのうち下がると思います。
更に余談で、「WEB職TV」で検索するとこの記事が2ページ目に出るようです。
被リンクで貢献してるのでサイト評価を上げるのに一役買ってるかもしれませんw
本は綺麗に読む方がいい? 読書の醍醐味
やっと本題ですが、昨晩のライブ配信のチャットに参加していて、自分は本に付箋を貼りながら読むのに対して、なかじさんの読書スタイルは本は汚さず読むという意見で付箋などは貼らないとの事。
関連して「読んだ本の内容を忘れてしまう」という視聴者の意見に対して、なかじさんの答えは、「忘れてもいい。本を読んで気づきがあればよい。」との事。
小説も含め、読書中に「ある一文に感銘」を受けたり「心が動かされる」、極端な場合「コペルニクス的転回まで起こる」のが、読書の醍醐味の一つで、そういう気づきがあればいいという事かなと。
ちなみに、こういう読書体験をすると活字中毒になり本を読むのがやめられなくなります。w
本の内容を忘れしまっても、そういう体験は脳に影響を及ぼすので、問題ないとの事でした。(多分…)
本を汚して読む
自分の読書スタイルというのは、本を汚して読むというか、付箋を貼りながら読むというのがもう習慣化して抜けなくなっています。
昔は、気になる箇所に線を引いて付箋を貼ってましたが、付箋だけでも近辺の文章を読むとすぐ思い出せるので、それ以降付箋だけはるようにしています。(この方が早い)
本棚を見て、数年前に読んだ書籍の内容を忘れてしまっていても、付箋を貼ってる部分を読み返せばほぼ内容を思い出せるのが大きなメリット。
その他、この方法は付箋を剥がせば元の状態の戻るので、本を余り汚さない。
追記(2023/8/12)
改めて考えると、本の「目次」を購入前にかなり意識するのですが、読書前に「目次を見て何を言いたいのか?」を理解できるような読み方をすれば、付箋を貼る必要性も無くなるのかもしれません。
「本を汚して読む」デメリット
いい機会なのでネット上で本を綺麗に読むか、汚して読むかの情報を調べて見ましたが、意見が2つに分かれていて、どちらが正解か不正解かというより、好みとか、勉強・読書スタイルによると思いますね。
検索キーワードで上位に表示される良質サイト。
『本は汚して読む』的な読書術には3つのデメリットを感じるのでやっていない
・線を引くほうがメンドー
・どこに書いたっけ?の時間がムダ
・売ることができない
主なデメリットはこの3つで、「線を引くことに対するデメリット」の言及だと思います。
自分も初期の頃は、線を引いていましたが、付箋を貼ってる所を開いて流し読みすれば十分なので、線を引かなくなっています。
ただ、引いた方がよりその部分が強調されるので読み返すことを考えると、結果的に時間の短縮になりそうな気がします。
あと、この辺は人によると思いますが、線を引くことで脳に情報が定着されやすいという人もいるかもしれないので、そういう人は積極的に線を引いた方が良さそうな気はします。
中学時代の忘れられないエピソードの一つで、社会科の先生が授業中、学生時代テストの成績が悪かったことについて話をされていて、ざっと要約すると・・
「私は、学生時代に暗記が苦手で、歴史の年号など覚えられなかった」
「その頃の勉強方法は、歴史の年号や有用な単語を、定規を当てて線を綺麗に引いていた」
「この勉強方法では、暗記が出来ない事に気づいて年号を鉛筆でグルグル円を書いて真っ黒に汚して読むようにしたところ年号を覚えられるようになった」
この先生の情報が、どうしても脳裏に焼き付いて離れず、本に線を引く時もフリーハンドで引いたり、雑に丸で囲って同じ様に円を描くように覚えたい単語なんかを汚してました。w
最後の売ることが出来ないに関しては、ブックオフなんかで買取拒否される事なのだと思いますが、メルカリなどのフリマサイトで売る分には、実は線を引いて付箋を貼った本は売れます。
線を引いて付箋を貼った本も何故か売れる
読書好きの人は、知らない間に本が溜まり、本棚に入りきらないほどの本が溢れ、本の処理に困る時が来るかと思うのですが、自分の場合も例にもれずこの状態に。
一度読んだ本というのは思い入れがあり、断捨離出来なかったのですが、
「そもそも線を引いたり付箋を貼った本が売れるはずない」
と思ったのをきっかけに、フリマサイトなんかで書籍をコツコツ売りに出して断捨離を開始。
尚且つ、余り売りたくないので汚れた本なのに、やや高額設定で出品。
売れないと思って出したのですが、驚いたことに、他人が付箋を貼って線を引いた本を買う人が結構多い・・・。
これはホントに驚きました。
自分が購入者の立場だったら、他人が付箋+線を引いた本は読みたくないというか、自分が線を引く際に邪魔になるので購入対象から外すので…。
気になって、他人が線を引いた本を何故買うのか聞いたこともあるのですが、具体的な回答はなかったです…。
ちなみに、一番最初に売れた本はよく覚えていて、ミヒャエル・エンデの名著「モモ」。
線を引いてる件に関して質問しても回答が無かったのでスルーしましたが、児童書なので、学生なんかが読書感想文を宿題で書く際に、線を引いたり、付箋を貼ってると読んでる感がでるし、付箋箇所を引用したりして文章を書くと、先生から高評価されそうな気がしますので、そういう動機なのかもしれません。w
ただ、この1冊だけにとどまらず、ビジネス書や、古典的名作の多い岩波文庫の書籍など、恐らく幅広い層に貰われていきました。
正直、売るつもりがなくて、こんな本誰も買わないだろうと思って売りに出してたし、値段もやや高くしてたので、尚更「売れないだろう」と思ってたので、理想と現実とのギャップに結構ショックは受けましたね・・・。
線を引いて付箋を貼った本というのは、この世に一冊しかない自分だけの本でもあるので、大げさにいうと自分の子供のようなイメージがあり、それが、まさか人の手に貰われていくというのは予想だにしなかったです。
それでも、一度嫁に出すと、諦めがついたというか、これをきっかけにかなり本の断捨離に成功しています。
ただ、やっぱり少し寂しいのはありますね…。
あと、余談で、説明文をよく読んでなかったのか線を引いたり付箋を貼ってる事に対して文句を言う人も中にはいましたが、それが逆に普通だと思います。w
ただ、割合で言うと30人に1人ぐらいかなと…。
借りた本は綺麗に読む
図書館にも良く仕事終わりに足を運んでた時期がありますが、知り合いから本を借りたり、知り合いの人が運営してるフリースペースみたいな場所にも多数本があるので、本棚を眺めて本を読んだり、気になった物はかりて読んだりもしています。
その際には、当然、自分の本ではないので線を引いたり付箋を貼る事はないのですが、そのかわりに、どうしても気になった場所は、ノートパソコンを広げて箇条書きでメモを取ったり、面倒な時にはスマホで写真を撮って保存してまとめるなどして、後で整理するというのはよくやっていました。
当たり前ですが、借り物の本は借りたままと同じぐらい綺麗な状態を維持して返すようにはしています。
・・・余談ですが、逆に自分の本を貸した事も結構あるのですが、その中には本を物凄く汚して返してくる人もいました。
親しい人なので、特に言及せず本を引き取りましたが、正直気分は余り良くなかったです。。
具体的にどんな人かというと、身だしなみが整ってなかったり自宅の方に招かれて話したこともありますが、どちらかというと部屋が綺麗な方ではなかったかもしれません。
本をどのようにして読むかは、その人の性格や、生活スタイル、その他諸々色々な物が現れるような気はします。
専門書は汚して読む?
Zennはエンジニア系を主体としたブログなので、最後にIT系の専門書について。
Flutter大学を抜けたので、もう消してしまいましたが、過去記事でも書いた通り、自分は小学生の頃からプログラミングを独学で学習していて、最初に学んだのはBASIC言語で、パソコン本体についていた参考書を当時ボロボロになるぐらいまで読んでました。
その頃の本が残ってたら写真を掲載したい所ですが、残念ながら処分してもう手元にはなくなっています。
次に読んだのはC言語の専門書で、これも表紙が破れるぐらい読みました。
IT系の職場に勤務する際に、社員研修でJavaの学習を1,2か月やったのですが、その際に職場で支給された本に関しても、職場で話を聞きつつ、付箋+線を引いて、小学生の頃とまではいかないまでも、似たような感じで読んでます。
なので、小説やビジネス書、実用書なんかは付箋を貼る程度に留めてるのに対して、専門書に関しては、未だに線を引いて付箋を貼る習慣は残っています。
ただ、最近のIT界隈は、ネット上に無料で良質な情報が溢れていますので、本を読む際に線を引くより、関連キーワードで検索して同等の情報が見つかれば、それをコピーしてテキストエディタなんかにメモとして残す場合が多いですし、なんならそのままコードを書いて試すなど。
最近読んだもので一番専門性が高かった本は、これですが、ほぼ読み物として知的教養的に読んだため、具体的にコードを書いて試したりはしてませんが、ハックする際のプロセスなんかは非常に参考になっています。
前作の第一版を読んでるので、復習みたいな感じで読んだのもありますが…。
自分が、本を読むスタイルは、小学生時代のBASICの参考書が原点になっていると思うのですが、一概に「こうだ!」という物はなくて、読む本とか、その時々の状況に応じて、読書スタイルを変える感じですね。
本棚を見るとその人の脳内が分かると言われるぐらい、その人の性格や生き方を表していると思うので、他人の本棚には凄く興味があるし、尚且つ、本をどのようにして読むのかもその人の人生とか生き方が反映されていると思うので、非常に興味のある分野です。
本は読んだら破って捨てる?
関連して思い出した情報で、元カプコンの岡本吉起氏のYoutube動画を昔良く同じようにラジオ替わりに拝見してたのですが、その中で一番衝撃的な情報として、
公共交通機関で移動する前に購入した本を、途中で半分破って捨てる
という意見。w
どういうことかというと、すでに読んだ部分は不要なので破ってゴミ箱に捨てると、当然荷物が軽くなり移動も楽になるという話だったと思います。
具体的にどの動画だったか忘れたのと、読書に関する動画ではなかったので探すのが困難で断念しましたが、調べればあると思います。(メモしておけばよかった…)
「ボロボロになっても、本は大事にするもの」という価値観が何となくあったので、購入して即読んだ部分だけ破って捨てるという意見はかなり衝撃的でしたが、岡本氏のように忙しい中で色々な本を乱読する場合、そういう方法を取らないと荷物が増えすぎて読書自体が難しいのかもしれないです。
実際、本当に不要になった本はまとめて廃品回収なんかで処分すると思うし小学生時代の廃品回収の行事ではそんな光景を多数見ています。
例え価値のある書籍だったとしても、ゴミとして処分されたり、リサイクルされたりするわけで、結果的には早いか遅いかの違いだけで一度読んだ本は処分されるので、回転サイクルが早いか遅いかの違いだけなのかもです。
でも、一度読んだ本を半分破って捨てるというのは、かなり抵抗がありますね…。
一度読んだ本を読み返す?
自分の場合、一度読んだ本を時間を空けて読み返す事がたまにあり、本というのは、読んだ時の年齢や精神状態、教養・知的レベルによって読み方が180度変わったりすることもあります。
一番わかりやすい例でいうと「絵本」で、例えば、ガース・ウィリアムズの名作「しろいうさぎとくろいうさぎ」など。
絵本の解釈は色々あると思うし、そのどれも間違ってないと思いますが、1つの解釈として、この絵本の背景として、白人と黒人の差別問題が含まれてるようにも見えて、二匹のうさぎが、一緒になる事に悩みを抱えていて、それを乗り越えた先で、ハッピーエンドになり、周囲の動物が祝福してくれるというお話。
社会人になって俗世間にもまれると、目を覆いたくなるような色々な見たくない問題を結構沢山見るかと思うのですが、この絵本は、そういう問題が一切起こらずハッピーエンドになる所が感動的で、実体験も伴って読むと涙腺がやや緩むような名作だったりします。
活字の書籍に関しても同じように年齢や経験、その時の精神状態によって本を読んだ時の見た方や解釈が変わったりするのも、結構、読書あるあるかなと思いますね…。
本との出会いは一期一会
本というのは、人との出会いのような物でもあり、例え手放したとしても、本当に出会うべくして出会ったような縁のある人なら、一度手放したとしても何らかの縁でまた巡り合う気もします。
自分は本を断捨離してかなり手放しましたが、図書館、書店、古本屋、ブックオフなど、たまたま立ち寄った場所で昔手放した本に出合う事もあり、その際に、懐かしくなり本を手に取って読み返してみると、また新鮮な気持ちで読めたりして、本当に気になった場合は借りるか、買いなおすというのもあるかもしれません。
ただ、そこまでの本には今の頃であってないというか、立ち読みで読み返すだけで充分かなという気もしますね。
専門書は古くなると価値が無くなる
昔必死で勉強してた頃は専門書を30万以上お金を出して購入して乱読してましたが、IT界隈は、日進月歩で変わってる為、例えば20年前のJavaScriptの本が今の時代に通用するかというと、難しいのは言うまでもないので、通称「馬本(死語)」の「Apacheハンドブック」なんかも昔読みましたが、情報が古くなると価値が無くなるので大昔に手放しています。
ただ、思想や哲学について書かれた、こういう本は、UNIXが生まれた原点的な物について語られており、普遍的なテーマでもあるので、20年以上前の本ですが、今読んでも面白いとは思います。
古き良き時代という感じで、温故知新的に読まれてもいいかもです。w
「スモールイズビューティフル」的な思想哲学はUNIXに限らず色々な分野に共通して役立ちそうな気はしますが、ただ、今の時代に合わなくなってきてるような気がしなくもないです。
関連情報で、以下は、Youtubeで、ルビーDog氏が公開されているプログラミング言語の歴史をまとめた非常に良質動画で、プログラミングに興味のある方は一見の価値あり。
プログラミング言語の歴史
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