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よき手本、よき先輩。「好き」と「自走力」

2022/10/14に公開

前回書いた雑記の続きみたいな話です。

前回の記事

自己紹介/環境

  • 趣味でプログラミングを勉強している主婦。

  • 音大声楽科行ってた経歴の持ち主、文系どころの騒ぎじゃない。

  • 約3年前に本格的にプログラミングを勉強し始める。

  • 時々サボってMMORPGに逃げてるときもあった。

  • 夫はエンジニア、究極的にハマったら一応質問できる。

    (仕事してるからポンポン質問しているわけではない)

  • 最近作ったwebアプリケーションはここ
    (サーバーサイド、ムズカシイ。Nginxの話を今度書けたら書きます……)

文章書くのはそんなに得意じゃないです…頑張って書きます!

はじめに

先日、ド深夜のTwitterのスペースで「好き、関心あるは強いよね」という話題から、もしかして私の夫は私がうまくプログラミングを続けられるように誘導してくれてるんじゃないかという話になったので、その時話したことをうまいことまとめながら話したいとおもいます。

概要

  • 「全部」は言わない
  • 「どうしても困った」は助ける
  • 「好き」はやはり強い

プログラミングを細々と続けて3年になるのですが、なぜ今まで諦めずに続けていたのか少し考えてみました。

私にほんの少しの適正があったかもしれないという点はとりあえず置いておいて、ここまで導いてくれた外的要因として一番強いもの…そう主人のことは外せないので、私なりに先輩エンジニアとして主人がやってくれたことを分析してみようと思います。

「全部」は言わない

私がプログラミングを勉強し始めてから、今に至るまで指導らしい指導は受けていません。「あれしたらいい」「これしたらいい」という指導はほぼ受けてきません。何か作ってみたいものを作るまでの前段階である、沢山インプットしていた時期も自分で何か勉強できるサイトを探してきて勝手にサブスクして勉強をしました。はじめて何か作ってみたいとなった時期に具体例を挙げてもらって「じゃんけんアプリ」とアドバイスをもらい、方向性は定めましたがその中身についての具体的なアドバイスはほぼなしでした。アドバイスらしいアドバイスというなら「やりたいことを一行ずつ日本語にしてみたらいいですよ」くらいです。残りはまずは考えてやってみましょう、と言われてしまいました。彼は決して「答え」を直接言うことは特定の場面を除きしませんでした。

最初から道があるのと違い、自分で考える余地が非常に多かった。道があればやればいいことは明確になるから楽にはなるけれども、私の場合はそうではなく、初期の初期段階から「自走力」を嫌でも身に付けていくスタイルでプログラミングに触れていくことになりました。(知人にスパルタだなーという感想をもらったこともある程度にスパルタだったと今になっては思います。

はじめて出来たコードにも暖かく声をかけてくれました。もっと凄腕つよつよエンジニアがつくればスマートでイカしたものが作れるはずです。ですが、決して私の書いたものを非難せず、まずは「できたこと」を評価してくれました。でも「全部」は肯定しません。動けば勝ち!といいつつ、「このじゃんけん、どういうロジックで手が出てるのかわかっちゃうからこれをサーバーサイドで処理できれば強くないですか?」とちょっと先の道を示してくれたり、「おっ、こうやるとバグが出ますね?」といいながら、バグをどんどん発見していき、「ここを直すともっと良くなる」を示してくれました。

彼は私の自発的に考える力や解決する力を伸ばしながら、「今はどうしても出来ないこと」へのフォローをしっかりしていたと思います。今でもそうです。否定も肯定も疑問も「全部」を言ったりやったりするわけではない。見ていてもどかしいところもあったかもしれませんが、あえて「見ている」ができるすごい人なんだな、と振り返って思います。

「どうしても困った」は助ける

プログラミングをしているとどうしてもハマるときはあると思います。初心者であればなおさらハマりがちだと思います。質問する側のわたしもなるべく自己解決したかったので、ある程度は粘って調べたりはしますが、「今の私の知識外こと」に関してはスッと答えを出してくれました。例えば、本来パソコンの環境設定で入ってない設定が、何らかの操作で入ってしまい、それに引きづられて、システムがうまく動作しなくなってしまった部分に関しての対処は助けられた部分です。環境設定が悪い、まではあたりがつけられていましたが、それがシステム内の話なのか、それともパソコン自体が悪さしているのかが判断付きませんでした。

「おそらく、環境設定のどこかが悪いとは思うんだけれども、設定できそうな環境設定の項目は全て見直したけどうまくいきませんでした。」と相談したところ、誤ってパソコン本体のほうの環境設定に本来入っていないはずの設定が書き込まれてしまっていた状態というのを発見してもらいました。(前回の記事を書いた少しあとの話でした)

明確に困った!はその一件のみなのですが、どうしてものときには具体例を挙げたり全部を指導してもらったりしました。(それ以外はパッとみてこのへんが悪い、あとは頑張って…といって去るのみですが…)

どうでしても自力で解決できない問題に関しては手助けをしっかりするというのもいいバランスなんだろうなと思いました。

「好き」はやはり強い

私の人生の中で、「自走力」✕「好き」✕「適切な距離感での指導」が強いと思った場面があります。それは、「音楽」に関してです。私はこれでも大学でほんの少し音楽を学んでいた人間なのですが、実のところ高校3年生の夏になるまで音大受験に必要な勉強を一切してこない状態で進路変更して、一浪して音大に入学することとなりました。(補足:音大の受験は大学にもよりますが国語・英語の他に、実技の声楽やソルフェージュという音楽の技能のテスト、ピアノ、音楽の知識を問う楽典などの独自テストを2〜3日かけて行う割と過酷な入試だったりします。3歳からピアノ・バイオリンやってました!の人たちに混ざって一緒にテストを受けなければいけない状況だったことを説明します。)

私は高3の夏から音大受験をはじめましたが、バックグラウンドとしては母が音大声楽卒で、幼い頃から「うた」で遊んできた人間だった、というのがあります。母が歌い、伴奏するピアノに合わせて幼い頃から「楽しく」歌ってきました。その時も「全部」は言わず、「どうしても困った」は助けるのスタイルで音楽をさせてもらえました。決して無理強いされることはなく、自分で自分が良いと思う音楽の作り方をのびのびとすることができました。結果、私は音楽を人生のよき相棒と考える程度には好きな存在になりました。

当然、学問となればきちんと型にははめたり、もっと高度な技巧がもとめられるので、格闘しながら進んで行きましたが、最終的には「あなたは歌はいいからピアノやろう…」と言われる程度にはメインの歌に関しては心配いならないという太鼓判をもらい受験に臨みました。習っていた期間としては非常に短いですが、大学受験に耐えうる技術をある程度ですが独学で習得できていたいと考えています。少なくとも基礎部分に関しては幼い頃からの「遊び」が私を支えたと思っています。

ある程度「自走力」をつけて、「好き」になったものは割とどんどん自分で進める。そう、今私がプログラミングをやっている状況と割と似ています。最短距離で行くわけじゃないけれども、好きだから細々でも続くし、続いたらできることはそれなりに増えるし、それがそのうち役に立つのも私は音楽を通して感じたことです。もちろん、今は「遊び」でプログラミングをしているのでそれを昇華させようとすれば、作法や色々学ぶことは増えます。今まで言われなかったことも沢山言われるでしょう。しかし、それも「新たな学び」として、咀嚼、吸収し、新たな自分の力にできそうな気がします。今はまだその時ではないので、楽しんでプログラミングを向き合おうと思います!

良き手本、良き先輩。

実は言うと、私の母は大学卒業時、成績優秀者として卒業していると聞いたことがあります。「うた」の手本とするには十分だったと思います。また、夫もCS学部修士卒で、しっかりとCSを学んでいたらしいです。双方に言えるのは、(ある程度)実力者である、ということでしょうか。

良き手本が身近にいて、その物事の楽しさの「本質」を教えてくれた存在なんだろうなあと振り返って思いました。

たまたま私の環境が急いでない環境だったから出来たことだとは思いますが、こういう環境で色々学べていることに感謝をします。母よ、夫よありがとう。

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