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鉄スクラップ検収熟練者の「暗黙知」をAIに継承する - EVERSTEEL アノテーションチームの挑戦

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はじめに

こんにちは。株式会社EVERSTEELでAI開発部でアノテーションチームリーダをしている西川と申します。本記事では、私たちが取り組んでいる「熟練者の暗黙知をAIに継承するアノテーション」について詳しくご紹介します。

私たちがアノテーション対象としているのは「鉄スクラップ画像」です。
これは医療系画像と同様、タスク遂行に高度なドメイン知識を要し、かつ画像データの撮影が困難な環境にあるなど、極めてチャレンジングなカテゴリと言って良いと思います。
(下記の記事に詳細がありますのでご覧ください)

私たちはこのような状況下で、単なるデータラベリング作業を超え、ナレッジマネジメントの手法を駆使して熟練検収員の経験知を組織知として蓄積・活用に取り組んでいます。

この取り組みが、アノテーションというタスクに新たな価値を提案できれば幸いです。

https://zenn.dev/eversteel_tech/articles/5fbeefd7ffc064#鉄スクラップ-x-cv-全体観

私たちのプロダクト「鉄ナビ検収AI」

EVERSTEELでは、鉄スクラップの画像解析を行う「鉄ナビ検収AI」を開発・提供しています。鉄鋼会社やリサイクル会社のスクラップヤードで、トラックから搬入される鉄スクラップをカメラで撮影し、AIにより「等級判定」と「異物検出」を自動化するアプリケーションです。

このAIを構築するにあたり「等級査定」は鉄鋼会社がデータを記録・蓄積していますので、そのデータを活用することができます。しかし、「異物検出」については現場で検収員が発見・除去して対応完了した後、その記録がデータとして蓄積されることは基本的にありませんので、「異物検出」のためのアノテーション作業が必須となります。

「異物検出」は、密閉容器やガスタンク、異種金属など、処理中に炉材破損や爆発事故の原因となりうる危険を取り除くために行われるもので、極めて重要な機能として位置付けられています。

異物アノテーション難易度

しかし、自動車や人間をラベリングするようなアノテーションと違い、現場の熟練の検収員による異物発見・除去タスクを画像上で再現することは、簡単なことではありません。

禁忌物は密閉物、配線、モーター、非鉄金属など多岐に渡り、なおかつ切断処理などを経ているため、形状も状況も様々です。非鉄金属と鉄の区別、類似物の識別において差異の境界が微細な物も多く、判断は大変難しいものです。

必然的に、アノテーションメンバーは、多種多様な鉄スクラップ画像から、確実に「異物」を見極めてラベリングするという、難易度の高い技術獲得の課題に直面することになります。

トラックに積まれた鉄スクラップ画像の中から異物を探し出す

解決アプローチ:熟練者の「暗黙知」を「形式知」へ変換する

私たちはこれらの課題に対し、メンバー全員で鉄スクラップ検収現場を訪問して学習し、異物の情報をカタログ化していつでも参照できるようにすると共に、判断に必要な様々な情報収集を行いました。

そしてなんと、ベテラン検収員をチームの一員として監督にお迎えすることができ、徹底的な指導と監修を受けられる体制を構築することができたのです。

現場を訪問し一つ一つ確認して指導を受ける

それだけではありません。

彼の持つ熟練者としての技術に感動した私たちは、その見えない知恵=「暗黙知」を、「形式知」に変換し、組織全体の「知」に変えていくことにトライしました。

「暗黙知」とは、物理化学者のマイケル・ポランニーが提唱した概念で「ポランニーのパラドックス」で有名かと思います。ここでは長年の経験から得られる勘、洞察、コツのような、個人の主観に基づく非言語的な知としてお話しします。

「暗黙知」は個人の行動、経験、理想、価値観、志などにも深く根差したものです。
鉄スクラップの検収においては、業者との駆け引き、業界の常識などの要素も持ち、これらは熟練者の無意識に属していて表面に出ることがほとんどないため、定量的な数値データからは、決してこの知の総体を掴み取ることはできません。

本人からしても「どうしてわかるの? と言われても...」とはっきり説明できるようなものではないのです。

そのため、この知をAIに継承するには「暗黙知」の「形式知」化が必要です。

「形式知」とは「暗黙知」の対概念です。
言葉や数値、マニュアルや図表で表現できるような知で、誰にでも理解でき、体系的・論理的に処理したり伝達することができ、もちろん、デジタルデータとして扱うことができます。

暗黙知

  • 熟練者の勘、コツ、経験、秘訣
  • 言語化・数値化が困難
  • 伝承が難しい

形式知

  • マニュアル、図表、数値で表現可能
  • 他者への伝達が容易
  • 技術的に再現可能

「できるけど言葉に表現することが難しい知」を言語化する

「暗黙知」を「形式知」へ変換することは、言うまでもなく容易なものではありません。
しかし、鉄鋼業をはじめ、日本の製造業には多くの熟練の技「暗黙知」が眠っています。

私たちはまずひとりの熟練者の「暗黙知」に本気で向き合い、できるかぎり「形式知」に変換して、組織がこれまで持っていなかった新しい「知」を創造していくこと、
そして熟練者の知を形式知に変換するプロセスそのものを、組織内に保有することが
新しい価値やイノベーションの基盤になると考えました。

SECIモデルの実践

では、実際どのように実現するのか。
私たちは、「SECIモデル」を活用し、知識創造サイクルを実践しています。「SECI」モデルは1995年刊行の『知識創造企業』(東洋経済社)で一橋大学の野中郁次郎先生と竹内弘高先生が提唱した理論ですが、今もまったく古びれることない実践的な理論です。

このモデルにおいては4つのプロセスと「場」の設計が基本となります。そして、その最初のステップは「共感」することとされています。

知識創造サイクルを構築:

  1. 共同化(Socialization):熟練検収員と同じタスクを経験し「共感」する場を週2回設定
  2. 表出化(Externalization):思考プロセス・判断根拠の言語化
  3. 連結化(Combination):マニュアル・学習プログラムへの体系化
  4. 内面化(Internalization):技能として習得、実践、経験

私たちは週2回、熟練者と共に仕事を遂行して同じ経験を共有し、様々な対話=共同思考を働かせ、メタファーやアナロジーなどを通して、同じメンタルモデルを共有することを促進させています。

「カニの足のようなクレーンで掴もうと思った時に」「瀬戸物のような割れ方」「土の中に埋まっていたような」「大根のような断面」といったような、熟練者が率直に感じることをフックに、アノテーターと対話を続ける時間は数時間にも及びますが、この時間こそが、私たちが熟練者が見ている世界を自らの内面に獲得していく場になっています。

共感から概念化へ

共感場を通して得られた知は、概念化され、マニュアルや手順書、研修などに落とし込んでいます。

熟練者が異物画像を見た時の視線の動き、思考の動き、これらを丁寧に言語化して構築することで、誰もがこの熟練検収員の認知プロセスを一定以上のレベルで踏襲できるようになり、また同じ世界を見るための前提知識=学習すべき知識も明らかになっていきます。

得られた知見をカタログ化・手順化しインストールする

こうして、幾つかのサンプル画像を参照してアノテーション作業を実施する従来の方法よりも、遥かに熟練者に近い、高いパフォーマンスを実現できるようになったのです。

AI開発への価値創出:現場知とDXの橋渡し

形式知化された現場の知見は、アノテーション作業に必要な知見としてチームだけのものに留めず、組織全体を貫く組織知として機能させることも重要です。

私たちアノテーションチームは、AI開発部内に存在しています。そのため、得られた知を直接エンジニアの部門に伝えられる環境が身近にあり、定例で成果をレポートする場を持つことができています。

現場のアナログ知とデジタル知を交差させる場を持ち、DXの橋渡しをしていく。

得られた知をチーム内に閉じ込めず、組織知に変換するためには、組織デザインもポイントになるかと思います。

現場を大事にするカルチャーが、製品に人間性を与える

EVERSTEELは極めて「現場」を大事にするカルチャーを持つ会社です。「住み込み」というプロセスが、顧客理解のためにある、そんな会社であり、私は現場の一人一人の素晴らしい技術者や現場を支える方々と出会い、対話し、共感していくことが、イノベーションにつながると固く信じています。

私たちは、アノテーションを通し、最終的にはデータとして知を蓄積します。
しかし、そのデータの大元が、人間の出会いと対話から生まれる、人間性に溢れた知であることで、有機的なダイナミズムを、組織と製品にもたらすと考えています。

この姿勢やカルチャーこそがEVERSTEELブランドを構築し、何よりの競争優位性を実現すると思います。

まとめ:アノテーションの未来へ

私たちの取り組みは、単なるデータラベリング作業を超えて、熟練者の暗黙知をデジタル資産として継承・活用する新しいアノテーションの実現を目指すものです。現場を大切にするEVERSTEELのカルチャーからこそ生まれた一つの技術だと思います。

本記事でご紹介した手法に興味をお持ちの方、または熟練の技や現場ならではの知恵を再現したいなど、類似の課題を抱えている方がいらっしゃいましたら、ぜひお気軽にお声がけください!

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