コンジョイント分析による支払意思額(WTP)と均衡分析
1. はじめに
本記事ではBayesian statistics and marketing11章のCase Study 2: WTP and Equilibrium Analysis with Conjoint Demandの内容を読んだ備忘録として今回のブログを書いています。(より詳しく知りたいという方はこの書籍を購入して読んでください。)
2. 製品機能評価の理論的枠組み
2.1 差別化製品市場における需要モデルの基本
差別化製品とは、同質的な商品と異なり、複数の特性によって区別される製品のことです。例えば、デジタルカメラは、ブランド、画素数、ズーム倍率、スイベルスクリーンの有無など、様々な特性の組み合わせによって差別化されています。
製品は特性ベクトル
2.2 ランダム効用理論とロジットモデル
各回答者の選択タスクにおける効用関数は以下のように定式化されます:
ここで、
-
は選択肢jに対する効用 -
は選択肢jの属性ベクトル(例:ブランド、機能など) -
は選択肢jの価格 -
は属性に対する選好のウェイト -
は価格係数(正の値) -
は第一種極値分布(Gumbel分布)に従う誤差項
この定式化により、選択肢jが選ばれる確率は以下のロジット形式で表現されます:
外部選択肢(「どれも選ばない」オプション)がある場合は、以下のように修正されます:
2.3 消費者の異質性のモデル化
現実の市場では、消費者は価格感度や特定機能への評価において大きく異なります。例えば、プロのカメラマンとカジュアルユーザーでは、スイベルスクリーン機能に対する評価が大きく異なる可能性があります。
こうした消費者間の選好の多様性をモデル化するため、選好パラメータ
ここで、
この消費者の異質性を捉えるため、階層ベイズモデルが用いられています。
3. コンジョイント分析の基礎
こちらを読んでください。
4. WTPの概念と限界
4.1 疑似WTP(pseudo-WTP)の基本概念
疑似WTPは、効用を金銭的な尺度($)に変換し、回答者間や製品属性間で意味のある比較を可能にする方法として定義されます。別の解釈として、疑似WTPは、ある機能の有無による製品の効用が同じになるように価格を調整できる金額とも考えられます。
コンジョイント分析の文献でWTPと呼ばれているものは、対象となる機能
ここで、
4.2 不均質な消費者における疑似WTP
消費者の異質性を考慮すると、疑似WTPは消費者ごとに異なる値を取ります。階層ベイズ法を用いたコンジョイント分析では、各回答者が異なるロジットパラメータ
ここでの課題は、階層ベイズ分析によって明らかになった疑似WTPの分布をどのように要約するかということです。疑似WTPの概念自体は、この分布をどのように要約すべきかについての指針を提供していません。一つの自然な要約方法は、モデルパラメータの分布に関する疑似WTPの期待値を取ることです:
書籍では、WTPの要約統計量の選択について、以下のような問題点を指摘しています:
-
要約統計量の選択に関する理論的根拠の欠如:
平均値が一般的に使用されていますが、中央値や他の統計量と比較して優先すべき理論的な根拠は示されていません。 -
需要均衡アプローチの限界:
機能の有無による2製品間の需要が等しくなる価格差を計算する方法も提案されていますが、これは限られた選択肢のみを考慮した仮想的な設定であり、実際の市場価格を適切に反映できないとされています。
例えば、新機能を搭載したスマートフォンの価値を評価する場合を考えてみましょう:
- 単純な需要均衡アプローチでは:
- 新機能あり vs なしの2製品だけを比較
- 同じ需要になる価格差を計算
- しかし実際の市場では:
- iPhone、Galaxy、Pixelなど多数のブランド
- エントリーモデルからフラッグシップまでの価格帯
- カメラ性能、バッテリー容量、画面サイズなど様々な機能の組み合わせ
などが存在するため、2製品間の単純な比較では現実の市場価格を適切に予測することは困難です。
- 非購買者による下方バイアス:
全回答者のWTPを平均することで、実際の市場参入意向のない消費者も含めてしまう問題があります。著者らは、「今後6ヶ月以内にデジタルカメラを購入する予定がありますか?」といったスクリーニング質問を用いて、市場参入者を適切に選別することの重要性を強調しています。
4.3 真のWTP:選択集合全体を考慮したアプローチ
真のWTPは、経済分析に基づく厳密な概念であり、機能強化された選択集合から得られる効用と、機能のない選択集合から得られる効用を金銭的尺度($)で比較することで定義されます。
選択集合の文脈では、WTPはある機能が追加された製品群(
ここで、
この式は以下のように解釈できます:
- 左辺:基本的な製品群(
)に対して、消費者の所得を 分だけ増やした時の効用 - 右辺:機能が追加された製品群(
)から得られる効用
ロジットモデルでは、間接効用関数
ここで、
これを金銭的価値に変換するために価格係数で割ることで、真のWTPは以下のように計算できます:
ここで、
真のWTPには以下のような重要な特徴があります:
-
選択集合全体の考慮:
機能の価値は、市場全体の製品構成に依存します。例えば、同じ最新機能を追加する場合でも、iPhoneのような人気製品に追加するのと、マイナーな製品に追加するのでは、消費者が感じる価値が大きく異なるみたいな感じだと思われます。 -
確率的効用の考慮:
消費者は製品購入時に、将来得られるかもしれない便益も考慮に入れます。例えば、スマートフォンを購入する際、現時点では知らない便利な機能や、将来のアプリケーション、友人とのコミュニケーションなど、まだ実現していない価値も考慮に入れて判断します。 -
疑似WTPとの違い:
疑似WTPは単純にこの機能があるかないかだけを考えますが、真のWTPは製品全体の中でその機能がどう活きるか、他の機能とどう組み合わさるか、将来的な価値はどうかなど、より多くの要素を考慮します。そのため、通常は疑似WTPよりも低い値になります。 -
選択肢の追加効果:
市場に新しい選択肢が加わると、消費者の各製品に対するWTPは一般的に下がります。これは、より多くの選択肢の中から最適な製品を選べるようになるため、特定の1製品に対して支払ってもよい金額が減少するためです。例えば、高機能なスマートフォンが新たに発売されると、既存の製品に対するWTPは下がる傾向にあります。
4.4 WTP測定の問題点
書籍では、WTPの測定方法に関する根本的な課題について言及しています。著者らによれば、従来のWTP測定は消費者の効用に基づく需要サイドの分析のみに焦点を当てており、製品の真の価値を評価するためには供給サイドの要因も考慮する必要があると指摘しています。
供給サイドの分析には、以下の要素を含める必要があります:
- 各製品の基本的な製造コスト
- 新機能追加による限界費用の増加
- 競合製品の特定
- 競合他社による価格調整の可能性
著者らは、競争市場で新機能が追加された際の価格変動の仕組みについても説明しています。市場に新機能が導入された場合、以下のような一連の変化が起こります:
- 新機能を搭載した製品を持つ企業は、その付加価値を反映して価格を引き上げようとします
- 一方、競合他社は市場シェアを維持するために価格を引き下げる対応を取ります
- この価格調整の過程は、各企業にとってこれ以上価格を変更するメリットがなくなる点(新しい均衡点)まで続きます
書籍の中で特に強調されているのは、どんなに精緻なWTP計算を行っても、以下の問題に答えることはできないという点です:
- 企業が製品機能強化に対してどの程度の価格を設定できるか
- 機能強化によってどの程度の利益増加が期待できるか
著者らは、コンジョイント分析の本質は製品構成から得られる利益に焦点を当てるべきだと主張しています。そして、コンジョイント調査データのみでは利益計算や市場価格の算出は不可能であることを認識する必要があると述べています。
5. ナッシュ均衡に基づく経済的価値評価
5.1 増分利益に基づく分析
このような問題に対する解決策として、ナッシュ均衡に基づく経済的価値評価が提案されています。製品機能の経済的価値は、その機能が既存市場に導入されることで生み出される増分利益として定義されます:
ここで、
5.2 均衡価格計算のための仮定
著者らは均衡価格を計算するためには、以下の5つの重要な仮定が必要であると指摘しています:
-
需要の仕様
- 消費者の好みは線形のロジットモデルで表現できると仮定
- 例:カメラの価格が1万円上がると効用が2単位下がる、ズーム機能があると効用が1単位上がるなど
- 各消費者によって効用の重み付けは異なる(異質性)
- カメラの全ての重要な特徴(価格、画素数、ブランド、機能など)は数値やダミー変数で表現可能
-
費用の仕様
- 1台あたりの製造コストは生産量に関係なく一定
- 例:基本モデルの製造コストが200ドル、スイベルスクリーン追加で30ドルのコスト増など
- 大量生産による規模の経済は考慮しない
-
機能の排他性
- 新機能は特定の1社だけが使える
- 例:ソニーだけがスイベルスクリーンを搭載可能で、他社は搭載できない
-
市場構造の安定性
- 分析期間中は参入企業数が変化しない
- 例:ソニー、キヤノン、ニコンの3社で分析。新規参入や撤退は考慮しない
- 各社の基本的な製品ラインナップも固定
-
競争形態
- 各社は他社の現在の価格を前提に、自社の利益を最大化する価格を設定
- 例:
- ソニーはキヤノンとニコンの価格を見て自社の最適価格を決める
- 各社が同時に価格を決定(価格の駆け引きは考慮しないということだと思う)
- 将来の価格戦略や報復的な値下げなどは考慮しない
5.3 ナッシュ均衡の計算方法
差別化製品市場における静的ナッシュ均衡は、各企業の利益最大化条件を同時に満たす価格の集合として定義されます。企業の利益関数は以下のように定式化されます:
ここで:
-
は市場規模 -
は製品 の選択確率 -
は製品 の価格 -
は限界費用 - 期待値は選択モデルパラメータの分布に関して取られます
ロジットモデルの場合、市場シェアの期待値は以下のように計算されます:
利益最大化の一階条件は、利益関数を価格で偏微分することで得られます:
補足(おそらくこんな感じ?)
この式に積の微分法則を適用すると:
ここで、ロジットモデルの選択確率の導関数は:
これを一階条件に代入して整理すると、均衡価格は以下のようになると思います:
- 価格感度パラメータ
(消費者の価格に対する敏感さ) - 市場シェア
(その製品が選ばれる確率) - 競合製品との代替性
(他の製品に切り替えられる可能性)
ナッシュ均衡価格ベクトル
この均衡価格の計算には、以下の2つの計算上の課題があります:
-
積分の計算
市場シェアの期待値とその導関数の期待値を計算するための積分が必要です。これはモンテカルロ・シミュレーションを用いて近似計算を行います。具体的には、まず消費者の選好パラメータを事後分布からランダムにサンプリングします。次に、各サンプリングされたパラメータに対して市場シェアを計算し、最後にそれらの平均を取ることで期待値を近似します。 -
均衡価格の探索
均衡価格を計算するための方法として、以下の2つのアプローチが利用可能です:-
反復的方法:
初期価格を設定し、各企業が順番に自社の最適価格を更新していく方法です。他社の価格を固定した状態で、自社の利益を最大化する価格を見つけます。この過程を価格が収束するまで繰り返します。 -
一階条件(FOC)の解法:
すべての企業の一階条件を同時に満たす価格を、準ニュートン法などの数値最適化手法を用いて直接探索する方法です。この方法では、FOCの二乗和を最小化することで均衡価格を見つけます。
-
これらの方法により、均衡価格と各企業の利益を計算することができます。
5.4 機能評価への応用
均衡分析により、以下の重要な問いに答えることができます:
- 企業は機能強化に対していくらの価格を請求できるか
- 機能追加により企業の利益はどのように変化するか
これは、コンジョイント分析の究極の目的であるべき機能の利益ベースの評価を可能にします。企業はこの分析を通じて、どの機能が最も高い増分利益をもたらすかを判断できます。
この方法は、単なるWTP計算とは異なり、以下の要素を考慮に入れています:
- 競合他社の価格反応
- 市場均衡の変化
- 費用構造の影響
- 利益への直接的影響
これにより、製品開発の意思決定により適切な情報を提供することができます。
6. デジタルカメラの事例
6.1 WTP計算の実装と結果
前回のブログで計算した疑似WTPの事後予測分布の平均は約$45でした。これは、デジタルカメラにスイベルスクリーン機能を追加することで、WTPが約$45増加することを示唆しています。
しかし、この計算には2つの重要な問題がありました:
-
線形性の仮定:
この計算では、どの製品にスイベルスクリーンを追加しても、同じ金額だけ効用が増加すると仮定しています。これは効用関数の線形性から来る制約であり、実際にはブランドと機能の間に交互作用がある可能性があります。 -
選択集合の無視:
疑似WTPは選択集合全体の効用の変化を考慮していません。真のWTPは、選択集合全体から得られる効用を反映すべきです。
そこで、書籍では真のWTP計算を行っています。
真のWTP計算結果
上図は真のWTPの事後分布を示しています。この分析の結果、真のWTPの事後平均は約$7.31であり、95%信頼区間は$4.50〜$11.00でした。これは疑似WTP(約$45)と比較して大幅に低い値です。この顕著な差は、真のWTPが選択集合全体を考慮していることを反映しています。
6.2 ナッシュ均衡価格の計算結果
WTPの計算はあくまで需要側の分析であり、供給側の考慮を含みません。より完全な分析のためには、限界費用、競合他社、均衡概念を指定し、均衡価格を計算する必要がありました。そこで、書籍ではスイベルスクリーン機能追加時と標準構成時のソニーの均衡価格の差と、その機能追加によるソニーの利益の変化率を計算しています。
価格効果
上図はスイベルスクリーン機能追加時と標準構成時のソニーの均衡価格の差を示しています。スイベルスクリーン機能の追加によって生じた需要の増加により、ソニーはより高い均衡価格を設定できることがわかります。この価格上昇の事後平均は約$25ですが、事後分布には相当な不確実性があり、95%信頼区間は$17から$34です。この不確実性は、コンジョイント調査の回答者数が比較的少ないことに起因していると著者は述べています。
利益効果
上図はスイベルスクリーン機能追加によるソニーの利益の変化率(%)の事後分布を示しています。事後分布にはかなりの不確実性がありますが、この機能の追加によってソニーの変動費ベースの利益は平均で約58%増加することがわかります。
6.3 長期的な考慮事項
書籍では以下のようなことを考慮すべきと記載されています。
-
競合他社の反応
- この利益増加はソニーだけがスイベルスクリーン機能を持つという前提に基づいています
- 実際には、競合他社は以下のような対応を取る可能性が高いです:
- 価格の調整
- 同様の機能を搭載した製品の投入
-
競争優位性の持続可能性
- 業界全体でスイベルスクリーン機能が標準装備となった場合:
- ソニーの超過利益は徐々に減少
- 特に以下の場合、製品差別化による利益は持続しない可能性が高い:
- 特許による保護がない
- 技術的な参入障壁がない
- 業界全体でスイベルスクリーン機能が標準装備となった場合:
6.4 コンジョイント調査設計への示唆
この分析から、コンジョイント調査設計をする際には以下のことを気をつけるべきと著者は述べています:
-
有効な需要システムを構築するための要件:
- 調査サンプルが代表的であること
- コンジョイントタスクが回答者にとって理解しやすく明確であること
- バイアスがないこと
- 外部選択肢(購入しない選択肢)を含むこと
-
データ品質の重要性:
- 不注意な回答者は、無作為選択に近い対数尤度値に基づいてスクリーニングする
-
外部選択肢の適切な設計:
- 「購入しない」選択肢が完全に無視されたり、最も頻繁に選択される選択肢になったりしていないか確認すべき
-
より厳しい妥当性テスト:
- 対数尤度やヒット率で測定された適合度が高くても、均衡価格やWTP計算が非現実的な値を示す場合があり、これは主に、価格係数が非現実的に小さい(価格感度が低い)ことに起因します。低い価格感度は、非現実的なコスト上のマージンや高いWTP値をもたらします
最後に
この記事では、コンジョイント分析の本質を理解するために、WTPの計算方法とその問題点を解説しました。また、ナッシュ均衡に基づく経済的価値評価の方法を紹介し、その応用例としてデジタルカメラ市場の分析を行いました。
個人的には限界費用など供給側のデータを集めることが困難なのではないかと思っています。そのため、この記事で紹介されているような分析は、あくまで理論的にはこうなるんだ〜くらいに考えるのが良いと思います。
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