エンジニアのサバイバルキャリア論
はじめに
はじめまして。akiraと申します。私はいわゆるデータエンジニアとして企業のデータ基盤を構築する仕事をしております。
最近私の携わるデータ関連の業界では、仕事内容の複雑化に伴い肩書きが増えてきており、今後どのような道に進むかといったキャリア問題が取り沙汰されるケースをよく耳にします。
キャリア問題が殊更話題に上がるようになったのは、ますます加速する世界の変化や複雑化する社会情勢が背景にあると考えております。人生100年時代、エンジニアの仕事は増え続けているとも言われますが、本記事ではこの急激に変わる世の中に向けて、エンジニアのキャリア問題をどのように扱うべきか考えてみました。
キャリアとは、一般に仕事・経歴・就職・出世などのイメージで使われることが多い言葉ですが、
厚生労働省が提唱しているキャリアの概念の中には、
『時間的持続性ないしは継続性を持った概念』として定義されています。
本来キャリアとは、就職・出世・現在の仕事等の点や結果を指す言葉ではなく、
働くことに関わる「継続的なプロセス(過程)」と、
働くことにまつわる「生き方」そのものを指しているのです。
エンジニアのキャリアの複雑化
データ界隈の肩書きのこと
さて、私は冒頭でデータエンジニアをしていると申し上げましたが、ここ数年私に求められる仕事の質も変わってきており、企業の持つ情報の整理や保守性、分析への架け橋、環境整備なども併せて行うようになってきておりまして、最近の習わしではこういった仕事をされている方を、データアーキテクトやアナリティクスエンジニアなどと呼ぶそうです。
このような細かい呼び名の違いは何なの。と、業界人でもわからなくなること請け合いですが、詳しく知りたい方には以下のしんゆうさんの記事が良くまとまっているので、そちらをご覧いただけたらと思います。
少し前になりますが、事業に向き合うデータアナリストが問題意識をディスカッションする場、Analyst Meetに参加いたしました。興味深い議論が繰り広げられる中で、登壇者の方々が今後のデータアナリストのキャリアパスとして以下の幾つかの可能性を挙げておられましたが、どなたも特にエンジニアという道に強くこだわっていなかった点が興味深かったです。
登壇者の方々が挙げていたキャリアパス例
・プロダクトの課題とhowをより追求するPdM型アナリスト
・会社の意思決定のプロセスをもっとヘルシーにするCSO型アナリスト
・プロダクトの課題解決力を上げるPdM型のデータアナリスト
データ界隈エンジニアの肩書きが増えた中で、参考までに世界のデータ利用量の変化を調べてみると、データ利用量は指数級数的に増加してしていることがわかります。エンジニアの就業数も年々増えていますが果たして仕事量に追いつけるのでしょうか。これなら肩書きはともかく仕事量が増えているのも納得です。ちなみに下の図の単位はZB(TBの1,000,000,000倍)です。
Volume of data/information created, captured, copied, and consumed worldwide (単位: ZB)
エンジニア界隈の肩書きのこと
エンジニア界隈全体で見た場合にも、特にリーダー層に新たな肩書きが次々と増えてきております。どのような肩書きなのか説明すると長くなるので、詳細は参考ページなどをご覧頂けたらと思います。
・Project Manager (PjM : 従来のPM)
・Product Owner (PO)
・Product Manager (PdM)
・PMM(Product Marketing Manager)
・CTO/CSO/VPoE/VPoP/EM(Engineering Manager)/TL(Tech Lead)
etc…多いわ!
また、リーダー職ではない 一般のエンジニアの仕事内容にも変化が現れてきました。例えば、高単価のweb・アプリエンジニアのモダン開発では、バックエンドやフロントエンドの実装も自らで行なってしまうケースが増えてきております。さらにフルスタックエンジニアと呼ばれる方々になると、インフラやドキュメントの面倒まで見ることもございます。
このようなケースは利用者のニーズを突き詰めていった末に、プロダクトの性質や利用者層の増加、プロダクトとデザインと設計を切り離すことが難しくなってきたために、関連分野が広くならざるを得なくなった結果と考えております。元々不可分であった問題を、開発思想の洗練とツールの利便性向上により同時に扱うことができるようになった。端的に言えば開発コストが下がったためとも言えるでしょう。
肩書きのコレクション化
コスト低下とドメイン統合
これらにとどまらず世の中ではあらゆるコストが下がってきております。
データ分析界隈の職種が増えたこともデータ保存コストが下がった結果とも言えますし、電力コスト、食品生産コスト、単純作業の自動化が進み労働コストも下がってきております。事例を挙げるに枚挙に暇がございません。現代はあらゆるコストが加速度的に下がっている世界と言えます。
現代の仕事のコストが下がってきた要因は様々ですが、ある専門分野において何かを為すコストが下がった時に次に何をするかと言えば、近接する仕事領域との融合を果たし、分野拡大することです。
これからの仕事は、各種ドメイン(専門知識領域)が統合を繰り返し、分野拡大していく動きがますます加速することが予想されます。特に情報技術の領域では物理的な制約がほぼないため、その動きが顕著になるでしょう。
Domain Expansion(領域展開) 出典:呪術廻戦
例えば先のPdMなどの肩書きを例に挙げれば、プロダクトと呼ぶものの意味が広くなり、プロダクト主導型のビジネスが中心となることで新たに産まれた肩書きになります。
エンジニアの開発も、あらかじめデザインや設計、販売まで考えなければならなくなり、ターゲット層やイメージ戦略やブランド戦略までも見据えて開発する必要が出てきました。以前までのエンジニアは技術だけに注力していればよかったものの、これからはあらゆる側面を考慮に入れる必要があります。エンジニアよ、技術に逃げるな。という発言もやがては特に過激な発言ではなくなっていくのではないでしょうか。
昨日までの世界
エンジニアが他の分野を意識する必要があるというのは、裏を返せば他の専門分野の方も意識する必要が出てきたということでもあります。
こうした状況はここで私が殊更に取り上げなくとも、皆様思うところございますでしょう。ジョブズやベゾスを例に挙げなくても、海外のCEOはエンジニアリング畑出身の社長が多いですし、ITの領域が広まる可能性については既に2003年頃から言及されていました。
労働市場は、ITに駆逐される仕事(代替)と、ITにより強化される仕事(補完)に二極化する
しかし一方で、ここまで仕事内容の統合が進んだ社会では、逆説的に自分がどのような仕事をしているか端的に説明できてしまうことは、ある種危険ですらあるかもしれません。なぜなら、他分野とコラボレーションする必要がない仕事をしていることを暗に示しているからで、そのような仕事はAIに代替されやすいからです。AIとまではいかなくとも単純作業に置き換えられやすい、代えの効く作業にはなるでしょう。
仕事内容の統合が進んだ社会の中で、自らを一言で表すための肩書きというものにどれだけ説得力を持たせられるでしょうか。現に、今の世の中Twitterのプロフィール欄を見ると、自分の属性を端的に述べるワードを極力散りばめるように表現しているケースが多くみられます。
もちろん、AIでは代替困難な仕事をされているスペシャリストたちはいくらでもいらっしゃいますし、そしてその方達が社会的に低い評価となる可能性があるのは私も正しいとは思っていませんが、仕事の難易度にかかわらず、いろんな問題を同時に解決することが是とされる社会では、総合評価は低くなってしまうでしょう。
あらゆる情報が渾然一体となった世界。2030年からタイムスリップしてきたから間違いない
私たちを確からしくするもの
個人のプロモーションとシンボライズ化
LAPRASやFindy、Forkwellといったエンジニアのスコアリングサービスが現れたことは、エンジニアの立ち位置を一口で表すことができなくなった状況を象徴的に表していると考えています。自分の立ち位置を客観的な指標で表わす一応の目安を提示するニーズがあることを示しているからです。しかし、繰り返しになりますが、ある意味でこれらの形式化された数値は重要ではないということも示しています。
そして、社会的に重要なポジションに就いている人ほど新しいことに挑戦しているので、それだけ自らが挑戦していることがどれほど価値があるものなのか説明する義務に見舞われます。既存の物差しでは測れない新しい物差しを作り、これからの世の中はこれだ!ということを示し続ける必要が出てきたのです。
こうした流れは、すでに世のたくさんのエンジニアの間でも起きています。自身の扱っている新しい技術や、勤務先で開発中のプロダクトの価値を説明する義務をエンジニアが担うことが多くなってきております。
そして、たとえ企業のために行っていた活動であったとしても評価というものは個人にもついてまわるものです。少し前までは会社に従属的だった個人の属性も、プロモーション活動を活発に行うことでその人個人に対する評価に変わっていくでしょうし、信用経済という言葉が登場するようになったのも個人の信用がそのまま価値になる時代を表しているのでしょう。
本当の話相手は機械じゃなく機械の先にいるんだね!
破壊的イノベーションと変わらないもの
これからの価値を作っていくのは個人や企業であり、価値の発信主体がいくつも増えていくことは、逆に言えば国の力を相対的に弱くするとも言えます。国というものは価値を一元的に管理することでその力を強くする存在なのですが、評価軸を企業が決められるようになると、その地盤自体を危うくするからです。
たとえばお金は国が発行しているものですが、すでに企業や特定の銀行は、それぞれにある程度の兌換性を備えた独自の通貨を発行しています。
そして、さらにその企業自体の新陳代謝のサイクルも早くなってきております。今の産業構造でどれだけ盤石な基盤を築いていても、破壊的イノベーション一発で足場は脆くも崩れ去る….Amazonがショッピングモールを駆逐したように。Netflixがブロックバスターを駆逐したように。いみじくも、そういった事情はベゾス自身がAmazonの永続性を信用していない発言をしているところに象徴されます。これからはますます価値観の流動的な、変化の激しい社会になるでしょう。
それでも加速する社会の流れで少しでも流されないようにするためには、自らがどのような思考・指向で生きていくのかを、自らのやり方で示し続けることが重要なのではないでしょうか。
どれだけ技術が進歩し、ありとあらゆる分野と価値が混ざり合い、世の中のルールが変わったとしても、いつの世も変わらないのは人間だからです。
目まぐるしく変わる世の中で、絵を描くのが好きな人、物を作るのが好きな人、人とまとめるのが好きな人、自分の中に軸となるものをしっかり持つこと。自分を保つために、流されない自分、社会の流行に関係なく自分の本質を追求することが必要になってくると思います。
未来のキャリア論
情報社会のアイデンティティとオブセッション
ここまでは、人生におけるキャリアの築き方について大まかに述べてきましたが、ここからは、変化の激しい社会の負の側面を見据えながら希望ある未来を描くことができるか考えてみたいと思います。
あらゆる変化は当然負の側面を伴います。価値観が変わり続ける社会で自分の本質を見つめることが大事と述べましたが、裏を返せば、絶えず個人の本来性やアイデンティティに対する強迫的な問いかけが続くということです。
やがて訪れる AIに単純作業の仕事が奪われる未来では、AIでは代替できないところに一人一人の独自性が宿ることでしょう。AIでは代替できない価値を創り出すことができる人はこれからも仕事で重用されるでしょうが、それが難しい人はどうすれば良いのでしょうか。
何をするにしても優劣というものは存在しますし、社会の要請と個人個人の資質が等しく一緒になることなどあるはずもなく、どこかであぶれる人も必ず一定数出てきます。
また、たとえ仕事はできてもその人のパーソナリティーとかけ離れた仕事を続けることは、ストレスや解離性障害などメンタル問題の誘因要子へと繋がります。
発信の重要性について申し上げましたが、SNSは見方を変えれば勝者の雄叫びと敗者の居場所を求める叫びが渦巻く坩堝と化しているように見えます。
果たして私たちみんなが等しく幸せに暮らせる世界はやってくるのでしょうか。
強迫的な社会。見ろ!人混みに流されていく私を(ムスカ)
Universe 25という有名な実験がございます。十分な食糧と広いスペースを与えられたマウスがどのように社会を形成していくか調査した実験ですが、この実験はまるで人間社会の発展していく様と抱える問題をそのままなぞるかのように進み、最終的に全てのマウスが死滅するという結果となりました。さらに恐ろしいことには、この実験は25回中100%の再現率を誇ったのです。
この実験が示すように、私たちはどう足掻いても社会階層性を作り、他人を足蹴にし、ストレスを抱え続け、やがては全滅する定めなのでしょうか。
人間の変わらない欲望
先程人は変わらない。と申し上げました。少し話は逸れますが、人が本当に求めているものは何か?という問いをもう少し掘り下げてみたいと思います。人間の欲求を階層的に表現したマズローの欲求五段階説という考え方がございます。人間の欲求は自己実現を最終段階として、それを目指して人は日々活動しているという説です。
ここまでの話は人間の自己実現の問題を中心に扱ってきましたが、2010年頃マズローのピラミッドを否定的に発展継承させたケンリックの欲求ピラミッドという説が現れました。乱暴に要約すると、マズローの欲求五段階説は繁殖や生存のような生物学的アプローチが欠如しており、人間の欲求は子孫繁栄の欲求に根差したものであるといった観点より新たに組み立てられた考え方です。
マズローとケンリックのピラミッドと俺理論
ケンリックのピラミッドについて調べてみると、マズローの欲求五段階説はもうすでに学会では相手にされていない。といったようなパワーワードが散見されます。ですが、ケンリックの理論の方もマズローの理論と比較して正しくて精緻かというとそうは見えず、実際にはマズローの理論も現場で引用されていないかといわれるとそうでもない様子です。
しかし、ここで私が申し上げたいのは、これらの説の正否といった小さな問題よりも、人間の欲求という重大な問題を考える時に、とりわけ挙がるのがこの二つ程度の大雑把なモデルしか存在しないことの方が問題ではないかと考えるのです。マズローの欲求五段階説にしても1943年のものですし、ケンリックの説が現れるまでに実に70年近くかかっている上に解像度は粗いです。人間の欲求とはここまで真剣に論じるに値しない問題なのでしょうか。
昨今のテクノロジーの発展に比べると、人間の欲望や心の仕組みの解明は遅々としているように感じます。今起きている世の中の大きな問題は、欲望の問題が手付かずなのをいいことに、欲望を上手に煽られてコントロールされてきた結果なのではないかと訝しんでしまうくらいです。
欲望の仕組みを紐解かなければ、これからも欲望やコンプレックスを煽るような構図が更に熾烈を極めるのではないでしょうか。私にはどうしてもそのようなやり方は正しい道には見えないのです。
精神とテクノロジーの融合
一方でテクノロジーの分野では、一部の技術がすでに人間の能力の底上げに着手し始めています。脳のシナプスを増やし、頭の中で考えた通りにドローンを操作し、老化の原因の遺伝子を突き止める。驚くべきことに、これらは全て現代の科学で実現可能な技術です。
将来的には、BCI(ブレイン・コンピュータ・インターフェース)を介してコミュニケーションし、人間の知能はクラウドに移行され、AGI(汎用人工知能)が生まれる可能性も見えてきております。攻殻機動隊の世界はまさに2045年には実現しているのかもしれません。
精神と肉体は不可分なので、人間の体とテクノロジーが融合した時に、肉体が変わることで精神構造も変わる可能性がございます。その時、これまで以上に自分の本来性があらためて問い正される時代がやってくるかもしれません。
攻殻機動隊のようなSF作品でも自己同一性の問題は大きなテーマでしたが、実際の未来では人の精神はどのように変わるのか、これまでの人類が遭遇してこなかったような未曾有の問題に直面するかもしれません。
ただ、こうした問題を語る時には、得てしてテクノロジーの負の側面ばかり強調されがちですし、元々負の側面を見据えるところから始めた話ですが、テクノロジーが解決した問題の規模も忘れてはなりません。何しろ、抗生物質が救った人の数は10億を超えるでしょうし、20世紀最大の発明と言われるハーバー・ボッシュ法は100億を超える人を救っているのですから。
テクノロジーと精神が融合した社会では、過度の恐怖心や依頼心、必要以上の支配欲や射倖心などといった現代に不要な心のモジュールが整理され、初めて一人一人にとって必要な要素だけで構成された精神を手に入れられるかもしれません。そして、自分にとって必要な要素を取捨選択するためにも、自分にとっての軸とは何かを突き詰めていく必要があるのです。
今 この時代は、人類にとって精神とテクノロジーが融合する大きな交錯点に差し掛かっています。人間の精神構造のブレイクスルーを得た世界は、果たして青く広がっているのでしょうか。その答えは、キャリアに悩む皆様、本記事を読んで頂いた方々、および今を生きる全ての人に委ねていきたいと思います。
ゴーストの囁きが前人未到のブルーオーシャンへの航路を拓く
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