Intl.Segmenterはどうやって単語分割しているのか
Intl.Segmenter についておさらい
JavaScript には Intl と呼ばれる国際化 API があり、日時や数値のフォーマットを始めとする国際化に便利な機能が揃っています。Intl.Segmenter はこの Intl の一機能で、文字・単語・文章単位での文字列分割を可能にします。
文字単位での分割では複数のコードユニットやコードポイントを持った文字を考慮し、正確に見た目上の1文字(書記素)で分割できるので、絵文字を含んだ文字数のカウントなどに便利です。
const segmenter = new Intl.Segmenter("ja", { granularity: "grapheme" });
console.log("🇯🇵👨🏻💻".length); // ❌ 11
console.log([..."🇯🇵👨🏻💻"].length); // ❌ 6
console.log([...segmenter.segment("🇯🇵👨🏻💻")].length); // ✅ 2
また単語単位の分割では、日本語・中国語のように単語間にスペースがない言語でも分割できます。
// 日本語の文を単語単位で分割するsegmenterの例
const segmenter = new Intl.Segmenter("ja", { granularity: "word" });
console.log([...segmenter.segment("吾輩は猫である")]);
/*
[
{ "segment": "吾輩", ... "isWordLike": true },
{ "segment": "は", ... "isWordLike": true },
{ "segment": "猫", ... "isWordLike": true },
{ "segment": "で", ... "isWordLike": true },
{ "segment": "ある", ... "isWordLike": true }
]*/
単語でも分割できる!でもどうやって?
初めて Intl.Segmenter の機能を知った人の中には単語単位で分割ができることを知って驚かれる方もいたのではないでしょうか?(筆者の所感ですが実際 Segmenter の機能の中でも特にフィーチャーされることが多い機能だと思っています。)
しかし本来日本語や中国語のような単語間にスペースがない言語の単語分割は容易でなく、何らかの辞書や学習データを持つ形態素解析器のようなものが必要になります。ということは各 JavaScript エンジンにそのような機能が実装されているのでしょうか?
ECMAScript 仕様書ではどうなっているのか
まず確認すべきなのは JavaScript の仕様書である ECMAScript の仕様書でしょう。Intl
は JavaScript の拡張仕様として ECMA-402 という仕様番号で管理されおり、仕様書も JavaScript 本体の仕様書(ECMA-262 仕様書)と分かれています。
Segmenter についての仕様は 18 章に書かれており、この中で実際に境界を探す処理は FindBoundary
と呼ばれる Abstract Operationとして定義されています。この FindBoundary
ですが、定義の下に以下のような注釈がついています。
Boundary determination is implementation-dependent, but general default algorithms are specified in Unicode Standard Annex #29. It is recommended that implementations use locale-sensitive tailorings such as those provided by the Common Locale Data Repository (available at https://cldr.unicode.org).
「一般的には Unicode の仕様書に従う」としつつ、はっきりと「実装による」と書かれていますね。つまり ECMAScript 仕様書自体は Intl.Segmenter における単語境界の検出方法を指定していないことになります。
実装を見てみよう
「実装による」と書かれている以上実装を見るしかありません。今回は主要ブラウザ並びにランタイムが利用している以下の JS エンジンの実装を見てみます。
- V8
- JavaScriptCore
- SpiderMonkey
V8 での Intl.Segmenter の実装
V8 のコードは Google Git のページ から閲覧可能です。検索やコードジャンプなどは使えないので clone してきた方が読みやすいでしょう。(コードを読むだけなら github の公式ミラーリポジトリから clone だけしても良いですが、ビルドなどをしたい場合は手順に従ってください。)
FindBoundary
Abstract Operation は Intl.Segments.prototype.containing()
と IntlSegmentIteratorPrototype.next()
の二箇所で参照されていますが、今回は Segmenter が持つ Iterator の next()
メソッドが呼ばれるところから実装を追ってみます。V8 の実装では仕様書の step 表記をそのままコメントとして採用していることが多いので「FindBoundary
」のように Abstract Operation の名前で検索しても見つけることができます。今回だと/js-segment-iterator.ccの 79 行目あたりが該当します。
// 6. Let endIndex be ! FindBoundary(segmenter, string, startIndex, after).
int32_t end_index = icu_break_iterator->next();
icu_break_iterator
自体は 75 行目で JSSegmentIterator::Next
の引数の segment_iterator
から得たポインタ変数です。
icu::BreakIterator* icu_break_iterator =
segment_iterator->icu_break_iterator()->raw();
よって JSSegmentIterator::Next
の呼び出し元で segment_iterator
を渡しているはずなので...という形で追っていくと、最終的にsrc/objects/js-segmenter.cc
の 86 行目から granularity_enum
("grapheme" / "word" / "sentence")に応じて icu_break_iterator
(スマートポインタ)の reset
関数で icu::BreakIterator::create〇〇Instance
メソッドを代入しているところに行き着きます。
switch (granularity_enum) {
case Granularity::GRAPHEME:
icu_break_iterator.reset(
icu::BreakIterator::createCharacterInstance(icu_locale, status));
break;
case Granularity::WORD:
icu_break_iterator.reset(
icu::BreakIterator::createWordInstance(icu_locale, status));
break;
case Granularity::SENTENCE:
icu_break_iterator.reset(
icu::BreakIterator::createSentenceInstance(icu_locale, status));
break;
}
この icu::BreakIterator
は同じファイルの 22 行目で unicode/brkiter.h
からインクルードしているのがわかります。
#include "unicode/brkiter.h"
つまり最終的には ICU の BreakIterator(common/brkiter.cpp) を利用しているということがわかりました。
JavaScriptCore での Intl.Segmenter の実装
同様に JavaScriptCore での実装も見てみましょう。JavaScriptCore の実装は以下の github で公開されています。
V8 同様に Segmenter が持つ Iterator の next()
メソッドが呼ばれるところから実装を追ってみます。SegmentIterator の next()
メソッドの実装は Source/JavaScriptCore/runtime/IntlSegmentIterator.cpp の 71 行目にからになります。この中で FindBoundary
Abstract Operation に該当するのは次の部分になります。
int32_t endIndex = ubrk_next(m_segmenter.get());
この ubrk_next
は Source/JavaScriptCore/runtime/IntlSegmenter.h 経由(IntlSegmentIterator
が IntlSegmenter
をインクルードしている)で unicode/ubrk.h
からインクルードされています。
よって JavaScriptCore でも内部的に ICU の BreakIterator を利用していることがわかりました。
SpiderMonkey での Intl.Segmenter の実装
最後に SpiderMonkey で現在実装が進められている部分も見てみましょう。SpiderMonkey のコードは以下のページで読むことができます。
SpiderMonkey の場合、Segmenter の実装はbuiltin/intl/Segmenter.cppにまとまっています。ここの FindSegmentBoundaries
というメソッドが境界の検知を行なっており、実際 Granularity の種類によって異なる関数を呼び出しています。
switch (segments->getGranularity()) {
case SegmenterGranularity::Grapheme: {
boundaries = GraphemeBoundaries(segments, index);
break;
}
case SegmenterGranularity::Word: {
boundaries = WordBoundaries(segments, index);
break;
}
case SegmenterGranularity::Sentence: {
boundaries = SentenceBoundaries(segments, index);
break;
}
}
WordBoundaries
を調べると最終的には FindBoundaryFrom
という関数でもらったイテレーターの next()メソッドを呼び出しています。この Segment Iterator を生成しているのが 490 行目からの部分になります。
switch (granularity) {
// ... 略
case SegmenterGranularity::Word: {
auto* seg = CreateSegmenter<WordSegmenter>(cx);
if (!seg) {
return false;
}
segmenter->setSegmenter(seg);
break;
}
// ... 略
}
この WordSegmenter 構造体の定義を見ると次のようになっています。
struct WordSegmenter {
using Segmenter = capi::ICU4XWordSegmenter;
using BreakIteratorLatin1 =
SegmenterBreakIteratorType<WordSegmenterBreakIteratorLatin1>;
using BreakIteratorTwoByte =
SegmenterBreakIteratorType<WordSegmenterBreakIteratorTwoByte>;
static constexpr auto& create = capi::ICU4XWordSegmenter_create_auto;
static constexpr auto& destroy = capi::ICU4XWordSegmenter_destroy;
};
ここで利用されている ICU4XWordSegmenter の定義元に飛ぶと source/intl/icu_capi/c/include/ICU4XWordSegmenter.hで定義されています。このファイルのように source/intl/icu_capi/c
配下に定義されているヘッダーファイルは ICU4X のコードを FFI 経由で C や C++から呼び出すための生成されたヘッダーファイルです。
This folder contains the C FFI for ICU4X.
つまり SpiderMonkey では ICU4X の Segmenter を利用していることがわかりました。(ICU4X については後述します。)
ICU ってなんだっけ?
ここまで各 JS ランタイムが ICU を利用していることがわかりましたが、「そもそも ICU ってなんだっけ?」という方向けに簡単に ICU について説明します。
ICU は International Components for Unicode の略で Unicode 文字自体の取り扱いや国際化・地域化を行うオープンソースのライブラリです。現在 C/C++ 向けの ICU4C と Java 向けの ICU4J 、Rust で書かれより広い環境での実行を目指す ICU4X などが開発されています。
ICU は具体的には以下のような機能を持っています。
- 他の文字セットやエンコーディングと Unicode との変換
- 文字列の比較
- 数値・日時などの書式化
- 日時の計算
- Unicode 仕様に基づく Unicode 正規化、大文字小文字の折りたたみなど
- 正規表現
- 双方向テキストの処理
- テキスト境界の判別
V8 並びに JavaScriptCore はこの中でもテキスト境界の判別の機能である BreakIterator の C/C++ 実装版(ICU4C)を使っていることになります。
一方 SpiderMonkey は ICU4C ではなく、ICU4X の Segmenter を利用しています。ICU4X は Rust で書かれ、FFI などを通じて Rust 以外の様々な言語で利用されるよう設計された比較的新しい ICU の派生ライブラリです。
今までの ICU4C・ICU4J の知見や Intl での知見を活かし、モジュール化・プラグイン可能なロケールデータなどの特徴を持ったライブラリになっています。
ICU はどうやって単語レベルの分割をしているのか
そうなると ICU4C の BreakIterator や ICU4X の Segmenter がどうやって単語レベルの分割を行なっているのかが気になるところです。
ICU4C の BreakIterator の場合
ICU4C の BreakIterator 実装に関しては ICU の UserGuide に記述があります。
For Chinese and Japanese text, on the other hand, we have a unified dictionary (due to the fact that both use some of the same characters, it is difficult to distinguish them) that contains information about word frequencies. The algorithm to match text then uses dynamic programming to find the set of breaks it considers “most likely” based on the frequency of the words created by the breaks.
ここにある通り、辞書にある単語データとそれぞれの出現頻度から動的計画法を利用して単語の分割を行なっています。具体的な実装は以下の 1299 行目から続く部分になります。
利用している辞書データは icu/main/icu4c/source/data/brkitr/dictionaries/cjdict.txt に日本語と中国語のセットとして存在し、単語とその出現頻度が並んでいます。このファイルの冒頭に書かれている通り、日本語部分に関しては形態素解析ツールである ChaSen に内包されていた IPA 辞書を利用しており、場合によって単語を追加しているようです。(近年だと「令和」などが追加されている)
ICU4X の Segmenter の場合
ICU4X の wordSegmenter の実装は以下になります。
この実装によると 159 行目からのコメントにある通り、日本語と中国語は LSTM モデルのデータを持っていないため、辞書ベースで分割するようです。辞書ベースでの分割の実装は components/segmenter/src/complex/dictionary.rs で実装されています。こちらに使われる辞書はintl/icu_segmenter_data/data/macrosに生成されており、元を辿ると icu_datagen crate で ICU4C の BreakIterator で使われているものと同じ辞書データから生成されています。
従って ICU4X における単語分割も ICU4C とほとんど変わらなさそうです。
ICU での単語レベルの分割
結論としては IPA 辞書を利用してその頻度情報からある程度簡易的な単語の分割を行なっているようです。一方で他の形態素解析ツールのようにより文法を意識した解析やより特化したアルゴリズムは利用されておらず、辞書も常に新しく更新されているわけではないので、専用の形態素解析ツールと比べると精度や新しい語彙への対応で劣る部分がありそうです。
ちなみに辞書に関しては Intl.Segmenter でカスタム辞書を利用可能にする提案が行われてはいるものの、採用されるかはわからない状況です。
まとめ
Intl.Segmenter の実装に関してまとめると以下のようになります。
- Intel.Segmenter の分割の仕組みはある程度実装に任されている。
- 主要ブラウザの JS ランタイムでは ICU の BreakIterator あるいは ICU4X の Segmenter を利用している。
- ICU の BreakIterator 並びに ICU4X の Segmenter は IPA 辞書を利用したある程度簡易的な単語の分割を行なっている。
今回 Segmenter の実装を追うことで挙動だけでなく JS と Unicode の関連や ICU についてもより知ることができました。またこの記事が JavaScript の仕様やランタイムの実装について調べるヒントとなれば幸いです。
参考文献
この記事を書くにあたって参考にしたページです。
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