量子コンピュータが生み出す認証済み乱数の応用 ~暗号からブロックチェーンまで、信頼性の新たな地平~
量子コンピュータが生み出す認証済み乱数の応用 ~暗号からブロックチェーンまで、信頼性の新たな地平~
この記事は以下のJPモルガンなどの論文をもとに書かれています。
TL;DR
量子コンピュータを用いて生成される「認証済み乱数」は、従来の乱数生成器の脆弱性を克服し、暗号、差分プライバシー、金融市場、ブロックチェーンなどの分野でセキュリティと公平性を向上させる可能性を秘めている。本記事では、認証済み乱数の概念と、それがどのように様々な技術分野に革新をもたらすかを解説する。
はじめに
乱数というと、なんだか単純なものに思えるかもしれない。「0か1をランダムに出力するだけでしょ?」と。でも、本当にそうなのだろうか?
実は、真にランダムな数値を生成することは、コンピュータサイエンスにおける最も難しい課題の一つである。現代の暗号技術、プライバシー保護メカニズム、公平な抽選システムなど、私たちの日常生活を支える多くの技術が、高品質な乱数に依存している。
しかし、従来の乱数生成器には大きな問題がある。CPUに組み込まれたRDSEED命令やハードウェアセキュリティモジュールなどは、監査が難しく、検出困難な故障を起こしやすい。さらに悪いことに、Dual_EC_DRBGのように、意図的にバックドアが仕込まれた擬似乱数生成器(PRNG)が標準化され、広く使用されていた事例もある。(こういう話を聞くと、セキュリティの世界は本当に深いなと感じる。)
そんな中、量子コンピュータを用いて「認証済み乱数」を生成する新しい手法が注目を集めている。この手法は、量子デバイスの内部状態に依存せず、計算上の仮定のみに基づいて乱数のランダム性を保証する。つまり、物理的な仮定や信頼を必要としないのだ。
本記事では、この認証済み乱数がどのように様々な分野に応用され、セキュリティと公平性を向上させる可能性があるのかを探っていく。
認証済み乱数とは何か
認証済み乱数(Certified Randomness)とは、量子コンピュータを用いて生成される乱数で、その出力が真にランダムであることを計算論的仮定のみに基づいて証明できるものを指す。
従来の乱数生成の問題点は、その出力が本当にランダムかどうかを検証することが難しいという点にある。古典的な世界では、ランダム性は知識の欠如を示すものであり、敵対者が予測に必要な情報を持たない場合にのみ、一部のビットはランダムであると言える。
一方、量子情報プロトコルを使用すると、量子デバイスの内部状態に依存せずに乱数を生成できる。これは、量子エンタングルメントを共有する非通信デバイスが、エンタングルされていない古典的なデバイスよりも特定の非局所ゲームで高い勝率を得ることができるという観察に基づいている。
認証済み乱数プロトコルの基本的な仕組みは以下のようになる:
- 古典的な検証者が量子的な証明者に計算タスクを与える
- 証明者はタスクを実行し、結果を返す
- 検証者は結果を検証し、受諾または拒否する
- 受諾された場合、出力は真にランダムであることが保証される
このプロセスの重要な特性は、「リモート検証」と「永続的なセキュリティ」である。リモート検証により、インターネット経由でアクセスされる量子コンピュータでも認証済み乱数を取得できる。永続的なセキュリティは、出力が安全であるためには、敵対者に関する仮定がプロトコル実行中にのみ保持される必要があることを意味する。
さらに、複数の関係者が共同で乱数を認証する「共同認証済み乱数」も可能である。これは、特定の検証者が量子生成器と共謀して予測可能なシードを使用しているように見せかけるリスクを軽減する。
暗号技術への応用
公開乱数ビーコン
公開乱数ビーコンは、信頼できる第三者が定期的に新鮮な乱数を生成・配布する理想的な機能を提供する。これは電子投票、ブロックチェーン、宝くじなど、様々なアプリケーションに役立つツールだ。
しかし、ビーコンの乱数ソースが侵害されると、出力の予測不可能性や鮮度が損なわれる可能性がある。共同で認証可能な乱数拡張を使用することで、ビーコンオペレーターの正直さを必要とせずに、予測不可能性と鮮度の保証を達成できる。
具体的には、検証者の集合が共同で認証された乱数拡張プロトコルに参加して、証明可能なランダム出力を生成し、ビーコンに提供する。さらに、検証可能な遅延関数(VDF)を使用して、検証者がビーコンに新鮮なエントロピーを注入する頻度を減らすことができる。
非対話型ゼロ知識証明
非対話型ゼロ知識証明(NIZK)は、証明者が検証者に対して、ある主張が真であることを、その主張以外の情報を一切明かすことなく納得させる手法だ。NIZKは共通参照文字列(CRS)と呼ばれる共有ランダム文字列を必要とするが、この文字列が信頼できる方法で生成されたことをどう保証するかが課題となる。
認証済み乱数を使用することで、CRSを生成するために必要なプライベート乱数の量を大幅に削減できる。共同で認証されたランダムネス拡張スキームを使用すると、当事者はコインフリップステップを実行し、共通シードを生成するために少量のプライベートランダムネスのみを必要とする。
数式で表現すると、NIZKの検証は以下のように表される:
ここで、
擬似乱数生成器の免疫化
擬似乱数生成器(PRNG)は、小さなシードから長いランダム列を生成するが、バックドアが仕込まれると深刻なセキュリティリスクとなる。最も有名な例は、NSAによってバックドアが仕込まれたDual_EC_DRBGだ。
認証済み乱数は、バックドアを持つ可能性のあるPRNGの免疫化として使用できる。バックドアを知らない生成器の観点からは、PRNGの出力は真にランダムな文字列と区別がつかないため、認証された乱数プロトコルの保証は依然として有効である。
差分プライバシーと永続的なセキュリティ
差分プライバシー(DP)は、データベースに対する統計分析の結果が、個々のエントリの包含または除外によって大きく影響されないことを保証する手法だ。DPは通常、クエリされたデータにランダムな摂動(ノイズ)を追加することで実現される。
しかし、このノイズが予測可能な場合、攻撃者はクエリ結果を反転させることができる。特に、攻撃者がユーザーとしてデータセットに参加し、真の応答を知っているクエリを繰り返すことで、ノイズのサンプルを取得できる場合、擬似乱数生成器(PRNG)の使用は永続的なプライバシーを提供しない。
認証済み乱数を使用することで、このような攻撃に対する免疫を提供できる。量子証明者と通信していない敵対者でも、擬似ランダムソースから抽出されたサンプルの任意に長いリストにアクセスできる場合、認証された乱数プロトコル中に計算上の仮定が保持され、出力が受け入れられれば、出力にはサイド情報から独立した新しいランダムネスビットが含まれる。
差分プライバシーの数学的定義は以下のようになる:
ここで、
金融市場における公平性の向上
金融市場では、希少なリソースを公平に割り当てるためにランダム性が使用される。例えば、過剰に申し込まれた新規株式公開(IPO)での株式割り当てや、高頻度取引を抑制するための注文実行のランダム化などだ。
認証済み乱数ビーコンを使用することで、これらのプロセスの透明性と公平性を向上させることができる。IPO抽選が公平に実行され、結果が操作されなかったことをすべての当事者に確認できる。また、注文実行のランダム化により、高頻度取引業者が低速な市場参加者を犠牲にして利益を得るリスクを軽減できる。
ただし、取引所のインフラストラクチャは通常、サブミリ秒のタイムスケールで動作するため、認証済み乱数プロトコルの統合には技術的な課題がある。
ブロックチェーンと分散型アプリケーション
ブロックチェーンと分散型アプリケーション(DApps)は、多者間設定における信頼の集中を最小化することを目的としている。DAppsはゲームや市場設計など、その機能性を公平に実装するためにランダム性の生成を必要とする。
DAppsがランダム性を得る方法は主に2つある:
- オンチェーン・ランダム性:ブロックの内容から生成されるブロックのハッシュ値を利用する方法
- オフチェーン・ランダム性:外部プロバイダーからランダム・ビットをインポートする方法
オンチェーン・ランダム性は、ブロックチェーンのアクターやオペレーターがブロックがブロックチェーンに公開される前に一時的なブロックにアクセスできるため、セキュリティ上の懸念がある。
オフチェーン・ランダム性サービスとしては、検証可能なランダム関数(VRF)がある。VRFは、公開鍵を公開することで、ランダムな公開鍵と秘密鍵のペアにコミットする。しかし、これはVRFの秘密鍵の予測不可能性に対する信頼を必要とする。
認証済み乱数増幅は、この信頼の仮定を必要としないオフチェーン・ランダム性ソースの代替となり得る。スマートコントラクトは、認証済み乱数増幅プロトコルのためのチャレンジを生成するために、不完全なオンチェーン・ランダム性を使用する。
// 認証済み乱数を使用するスマートコントラクトの概念的な例
contract CertifiedRandomnessConsumer {
address public certifiedRandomnessProvider;
bytes32 public latestRandomness;
constructor(address _provider) {
certifiedRandomnessProvider = _provider;
}
// オンチェーンデータを使用してチャレンジを生成
function generateChallenge() internal view returns (bytes32) {
return keccak256(abi.encodePacked(
blockhash(block.number - 1),
block.timestamp,
block.difficulty
));
}
// 認証済み乱数プロバイダーからランダム性をリクエスト
function requestRandomness() external {
bytes32 challenge = generateChallenge();
ICertifiedRandomnessProvider(certifiedRandomnessProvider).requestRandomness(challenge);
}
// コールバック関数:プロバイダーから認証済み乱数を受け取る
function fulfillRandomness(bytes32 randomness, bytes memory proof) external {
require(msg.sender == certifiedRandomnessProvider, "Only provider can fulfill");
require(verifyProof(randomness, proof), "Invalid proof");
latestRandomness = randomness;
// ランダム性を使用してアプリケーションロジックを実行
}
// 証明を検証する関数(実際の実装はより複雑)
function verifyProof(bytes32 randomness, bytes memory proof) internal pure returns (bool) {
// 証明の検証ロジック
return true;
}
}
interface ICertifiedRandomnessProvider {
function requestRandomness(bytes32 challenge) external;
}
今後の課題と展望
認証済み乱数は、様々な分野でセキュリティと公平性を向上させる可能性を秘めているが、いくつかの課題も存在する。
- 厳密なセキュリティ分析の欠如:概説されたアプリケーションの多くに対する厳密なセキュリティ分析が必要である。
- 量子コンピュータの性能向上:現在の量子コンピュータは、忠実度、速度、信頼性の面でまだ改善の余地がある。
- 検証コストの削減:認証済み乱数プロトコルの検証コストは依然として高く、実用的なアプリケーションには最適化が必要である。
しかし、これらの課題にもかかわらず、認証済み乱数は将来的に多くの技術分野に革新をもたらす可能性がある。特に、複数の不信な当事者が共有文字列を操作なしにランダムに生成されたことを共同で認証する能力は、通信コストを削減し、トラストレスプロトコルのセキュリティを向上させる。
私自身、この研究分野の発展を見ていると、量子コンピュータが単なる計算速度の向上だけでなく、根本的なセキュリティの概念を変革する可能性を秘めていることに驚かされる。特にブロックチェーン技術との組み合わせは、今後の分散型システムの信頼性を大きく向上させるだろう。
まとめ
本記事では、量子コンピュータによって生成される認証済み乱数が、暗号、差分プライバシー、金融市場、ブロックチェーンなどの分野でセキュリティと公平性を向上させる可能性について探った。
認証済み乱数の主な利点は以下の通りである:
- リモート検証:インターネット経由でアクセスされる量子コンピュータでも認証済み乱数を取得できる。
- 永続的なセキュリティ:出力が安全であるためには、敵対者に関する仮定がプロトコル実行中にのみ保持される必要がある。
- 共同認証:複数の関係者が共同で乱数を認証できる。
これらの特性により、認証済み乱数は従来の乱数生成器の脆弱性を克服し、より安全で信頼性の高いシステムの構築に貢献する可能性がある。
量子コンピュータの発展とともに、認証済み乱数の応用範囲はさらに広がっていくだろう。今後の研究と実装の進展に注目したい。
以上。
Discussion