複雑系はなぜ廃れてしまったか?(私的考察)
一時は一斉を風靡した複雑系がなぜ廃れてしまったのか?ということについて、Twitter上で私見をツイートしたところ、全く想定していなかった反響があったので、内容を一応メモとしてまとめておきます。
背景
Twitter上での科学哲学の議論の中で、複雑系も科学哲学的な側面を多分に持っていること、そして重要な問題を提起していたが、相対的に解けた問題や体系化できた結果がなかったので衰退した、という趣旨のツイートをしました。
以下はその衰退について来た質問に答える形で連投したツイートした内容です。このメモはそれをまとめて追記しています。
前提
自分は複雑系ブームのピークが過ぎた2000年に修士1年でした。複雑系の薄暮を学生として見つつ、別分野(システム生物学)などに取り組んだ世代です。
また複雑系研究を牽引していた金子先生や池上先生らの研究室出身ではないです。ですので以下は、そういった研究室の中から見た複雑系の変遷とは少し違っているかもしれません。まあでも結構近いところにはいて、金子研などもしばしば遊びに行ったりしたんですが。
あとこの話は2000年以前に非常に流行った日本の複雑系を対象としていて、海外におけるComplex Systemsの流れを反映しているわけではないことも明記しておきます。
3つの理由
私は複雑系が廃れた理由は複数あると考えています。少なくとも、
(1) 風呂敷を広げすぎて有象無象が群がりバズワードとして消費された
(2) 重要な問題は多く提起したが、複雑系として解けた結果や or 体系化できた結果が少なかった
(3) 当時の他の分野のブームで相対的に縮小した
があると思ってます。
他の分野のブームとは2000年ごろから台頭してきた例えば、機械学習、システム生物、ゲノム、ネットワーク科学などです。
(1) 大風呂敷を広げすぎた
廃れてしまった理由としては(1)がまず一番大きいと思います。カオスや自己組織化の流れをくみ、数理や物理を基礎に活動していた初期の研究者に対して、後半はいろんな分野の人が何でもかんでも複雑系のノリで言葉(だけ)を使い始めてしまいました。
今でも「複雑系としての」をキーワードでググると、いかに複雑系というワードが色んな分野で消費されたのかの一端を、出てくる本などのタイトルから感じ取ることができます。
自然科学から社会まですべてが複雑系みたいに大風呂敷をひろがたのがいけなかったのだと思います。結果として胡散臭い分野という雰囲気も残念ながら醸造されてしまったかと思います。
(2) 問題は提起したが解決や体系化が不十分だった
一方、複雑系と関連トピックが立ち上がって10年ほど後に学生になった我々のような世代には、(2)の特に学問として体系化できていなかったという点も複雑系に取り組まなかった理由として重要です。
複雑系に先行して発展し、後に複雑系の一部として(少なくとも一時的には)扱われたトピックとして、低次元カオス、自己組織化、分岐、同期、非平衡物理、非線形物理などがあります。これらは学生として学べる(先人の努力が情報として圧縮された)結果や教科書がすでにある程度ありました。
しかし複雑系として中心的に議論されていた高次元カオスや複雑適応系などはシミュレーションが主で理論がなく、参入するには先人が行ったシミュレーションを追体験するしかありませんでした。
パラメータ空間も膨大で、興味を持った学生が独自に結果を再現をするのも簡単ではなかったと思います。
さらにシミュレーションから重要な部分を切り出すところで言語化できない「カン」みたいなものは確実にあり、その研究を行ってきた実績と経験のある研究室以外で、ちゃんと研究を成立させるのが難しかったとも思います(このあたりは結構実験科学にも似ているかもしれません)。
学問とは、先人が10年かけて見出したものを、後から学ぶ学生や新規参入者は数ヶ月学ぶだけで最先端に追いつける、という情報圧縮性が重要だと思います。複雑系に関しては、分野外の人を巻き込んで対象は広がっていくのに対して、ちゃんとした研究の成果や流れを次世代に継承していく過程が成立しなかったと思います。
なお、情報圧縮性は学問として確立するのには重要ですが、情報圧縮性が無い(or なかった)研究自体が無意味かというとそういうことは無いと思います。複雑系の問題に全うな形で取り組んでいた研究自体は価値があるものです。
特に、高次元カオスや複雑適応系の研究において、シミュレーションを構成する際に参照する背景の問題意識は非常に重要なものが多く、その意味で問題を提起する科学哲学的な側面としての貢献は大きいし、今でも学ぶところが多々あると私個人は思っています。
(3) 他分野の台頭
問題(1, 2)と並行して新たな分野(3)が台頭してきたので、複雑系研究室に所属していた人材はそちらに流れたと思います。2000年ごろは、機械学習やゲノム、システム生物学、ネットワーク科学などが現れたタイミングでもあり、実際自分も含め、まわりの先輩や同期・後輩など、現在これらの分野やその発展分野で活動している人たちは多いです。
また同期現象・自己組織化・非平衡物理など、一旦複雑系に取り込まれたがそれ自体で基礎を確立していたトピックは、複雑系と袂を分かち継続して発展を続けています。そもそも着実にやっていた人たちは、複雑系に取り込まれたつもりは無いと思っているはずです。
雑感
結局「複雑系」という言葉が大風呂敷として消費されたのが学問として一番残念なところなのですが、2000年あたりはこういう言葉作りが予算獲得のために流行っていた気がします。
システム生物学も色々な分野の予算取りのキーワードとして消費されました。今だと「AI」とかもそんな感じでしょうか。
結局、予算取りとして研究分野やその名前が利用されて世間的に流行っているように見えることと、その研究分野が実際に活気を帯びて世代を超えて研究が継続することは大きく違うという当たり前のことなんだと思います。
研究分野の新陳代謝
なお、分野が活気を帯びるには若い学生や研究者が参入し、新しいアイディアで研究に取り組めることが最も大事だと思います。そのために、学生が半年・1年勉強するだけで(比較的簡単に)最先端に追いつける、という状況を成立させることが分野として不可欠であり、そこでは教科書とか教育の整備も重要です。最近であれば、コードやデータの公開、ツールの整備なども含まれてくると思います。
そのため、学問的に重要であっても(革新的な突破口がなく)技術的に難しくなりすぎて新しい研究をするのに何年もの勉強をする必要となる分野はどうしても衰退していきます。分子生物学勃興直前の定量生物学はまさにこのような状況で衰退したと思います。
閉塞した分野の横で、技術的ブレイクスルーなどを背景に「学生でも新参者でも今ならやれることがいっぱいある」という分野ができるとそちらが流行りますし、それがアカデミア全体での健全な新陳代謝だと思います。初期の分子生物学や機械学習、システム生物などもそうして萌芽し成長してきました。
なお、閉塞した分野が意味が無いかというとそんなことは無いです。新しい分野に若手が参入するにしても、なにか結果を成すにはなんらか基礎が必要です。多くの場合そういった基礎は、閉塞はしたがその分研究の難易度は上がっている分野で鍛えられたものだったりします。
また、衰退した分野は重要ではないから衰退したわけでは無いので、そこで醸造された問題を、10年、20年後に別分野などで発展した新たな技術や手法をもとに振り返ると、今の技術で解けるようになっている問題も現れたりします。
1970年代に一度衰退して分子生物学にとって変わられた定量的な生命科学研究などがいい例です。分子生物学のおかげで細胞システムの分子的な情報が蓄積し、またイメージングやシーケンサーなどの革新的な技術が開発されたおかけで、今また生命科学分野で復活をしています。
同じようにそろそろ、カオス・複雑系あたりで新しいリバイバルの流れが起きるんじゃないかな(起きてほしいな)、と個人的には思っていたりします。
また現在の定量生物学も、その初期や先行するシステム生物時代の話しと比較すると、実験も理論も結構難しくなってきていて、色々と気をつけなければいけないなとも、常々思っています。
あとがき
複雑系ももう20年も前の話なので、Tweetするときは完全に知り合い・関係者向けのおっさんの懐古的なつぶやきのつもりだったんですが、思った以上に色々なところに波及して正直驚きました。
みんな複雑系好きなんですね(色んな意味で)。
補足
知り合いから、山本知幸さんが編纂した複雑系の歴史についての文章を教えてもらいました。日本の複雑系の歴史などをたどる貴重な資料です。私は基研複雑系や東京複雑系に参加できていないので、こちらのほうが記述として遥かに正確です:
学習院の田崎さんによる当時の「複雑系」の様子の記録も残っているようです。かなり批判的な視点からの内容です:
参考文献
学生に読むように勧めている関連本は以下などです:
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