💸

労働環境の改善につながる技術的負債の解消を

に公開

「またこのコードか…」あなたは今日も、見慣れた開発環境で、ため息をついています。簡単な機能追加のはずなのに、なぜか修正箇所はあちこちに飛び火し、デバッグには膨大な時間がかかる。リリースすれば、なぜか予期せぬバグが頻発し、週末のたびに緊急対応に追われる。同僚は疲弊し、新しいメンバーはなかなかキャッチアップできず、優秀なエンジニアは次々と会社を去っていく。ビジネスサイドからは「なぜ開発が遅いんだ?」「こんなにも不具合が多いのはなんとかならないのか?」と不満の声が聞こえ、あなたは「やりきれない気持ち」を抱えています。

簡単なタスクですら、まるで重いハンデを背負っているかのように感じ、生産性の低さに直面して自己効力感を失っていく。この「不愉快な作業」の連鎖は、一体どこから来るのでしょうか?その「もやもや」の正体こそ、あなたの職場の「技術的負債」かもしれません。

はじめに

こんにちは。技術戦略室のいっちーです。

ソフトウェア開発の世界で「技術的負債」という言葉は、もはや広く知られています。これは、短絡的な近道や最適ではない決定に頼ることで発生する将来のコストを指し、コード負債や設計負債とも呼ばれます。急ごしらえの修正、不十分なドキュメント、古いコードへの依存がその主な原因とされており、この概念は金融債務に例えられ、「時間の前借り」や「利息」という形で将来の返済が必要になることを示唆しています。この金融メタファーは、非技術的なステークホルダーに対して、技術的なトレードオフやリファクタリングの必要性を説明する強力なツールとして機能してきました。

しかしながら、実際の開発の現場では技術的負債が組織に与える影響や重要性についての説明が十分でないケースがまだまだあるのではないでしょうか?

TL;DR

本稿では、技術的負債が組織に与える影響や、技術的負債が単なるコード上の問題ではなく組織一丸となって取り組むべき労働環境上の課題である理由を解説していきます。

対象読者

  • 非エンジニア(経営者、事業責任者、プロダクトマネージャー、人事担当者など)に「技術的負債の解消」の重要性を伝えたいエンジニア
  • エンジニアが声高に掲げる「技術的負債の解消」がなぜ重要なのか知りたい非エンジニア
  • 開発チームの生産性や士気の向上に課題を感じているエンジニアリングマネージャー、開発チームリーダー

技術的負債がエンジニアの心身に与える直接的な影響

技術的負債は、エンジニアの日々の業務に直接的な苦痛をもたらし、その心身に深刻な影響を与えます。

士気とストレスの増大

技術的負債の存在は、エンジニアの士気を著しく低下させ、ストレスや不満を増大させることが、複数の研究や現場の経験から示されています。

技術的負債にまみれたコードベースでの作業は、エンジニアにとって「不愉快な作業」となり、日々の業務で大きなハンデを負っている感覚に陥ります。これにより、簡単な機能追加やバグ修正ですら膨大な時間を要する現実が生じ、エンジニアは自身の生産性の低さに直面し、自己効力感を失い、精神的に疲弊していきます。

このような状況は、単に作業効率を落とすだけでなく、エンジニアの心理的安全性に直接的な脅威を与えます。常に「壊れたもの」を相手にし、簡単なタスクにも時間がかかることで、自己効力感が低下し、これが燃え尽き症候群や精神的疲弊に繋がる可能性があります。これは、エンジニアが自身のスキルや貢献に自信を持てなくなるという、キャリアパスにも長期的な悪影響を及ぼす可能性があります。

この負の感情が蓄積すると、開発現場は閉塞感に包まれ、新しいアイデアや挑戦が生まれにくい環境になってしまいます。

生産性の低下

技術的負債はソフトウェアデリバリのパフォーマンスを悪化させ、変更にかかる時間(リードタイム)の増加やバグの発生率(変更失敗率)の上昇を招きます。

複雑化したコードの変更はバグを生みやすく、それがリリース後の障害につながり、エンジニアは度重なる障害対応に追われることになります。このような、本来やるべきことをやらなかったために後から強いられる労力は技術的負債の「利子」に例えられます。この利子の支払いは、エンジニアが新たな価値を生み出すための時間を奪い、結果としてビジネスの成長機会を逸失する原因にもなりえます。

ビジネスサイドからは原因となる利子の支払いが見えないため、「なぜ開発が遅いのか」「なぜこんなにも不具合が多いのか」といった不満が募り、エンジニアは「やりきれない気持ち」になるという認識ギャップが深まる恐れがあります。

人材流出と採用難

技術的負債は人的コストの原因となりうることも忘れてはいけません。

https://daedtech.com/human-cost-tech-debt/

技術的負債にまみれたレガシーシステムのリファクタリング、リアーキテクチャリング、リライトができないことへの不満は、中途採用の面接で多くのエンジニアが退職理由に挙げる現実があります。モダンではない開発環境は、エンジニアが自身の市場価値が損なわれる懸念を抱く可能性が高く、採用候補者からは企業選定の際の除外要因にもなりえます。

さらに技術的負債が多いコードベースでは、新しい人材のオンボーディングも困難になり、生産的になるまでに時間がかかります。特にドキュメントが整備されていない状況においては、新規参入者の自立的な立ち上がりがほぼ不可能に近く、既存メンバーの負担が増大する可能性もあります。

人材流出と採用難は、単なる人的リソースの不足に留まらず、組織の知識基盤と文化の劣化を招きます。経験豊富なエンジニアが去ることで、システムの深い知識が失われ、残されたチームの負担が増大し、さらに技術的負債が悪化する可能性が高まります。また、新しい人材が定着しにくい環境は、組織の多様性や新しい視点の導入を阻害し、長期的な競争力に深刻な影響を与えます。これは、技術的負債が組織の「学習能力」と「適応能力」を奪うことを意味し、将来のイノベーションの種を摘んでしまうことにも繋がりかねません。

エンジニア組織に課せられた技術的負債の説明責任

技術的負債の解消は、エンジニア組織だけの課題ではありません。ビジネスの成長に大きく関連する「労働環境」を健全に保つためには、組織全体でその重要性を理解し取り組む必要があります。一方で、その重要性についてはエンジニアに説明責任があると私は考えます。

金融メタファーの限界と「隠れたコスト」の明確化

技術的負債の概念は、もともとエンジニアではないステークホルダーに技術的なトレードオフを説明するためのメタファーとして考案されました。しかし、この金融メタファーには限界があることも指摘されています。

https://redmonk.com/rstephens/2017/08/08/technical-debt/

一般的に言われる「負債」が契約に基づいた予測可能なものであるのに対し、「技術的負債」が多くのケースにおいて予測が困難なものである点が見逃されがちです。

一時的に負債を受け入れることは必ずしも誤った判断であるとは言えませんが、その際には下記の点についてできるだけ明確にする必要があると考えます。

  • 返済にはどのくらいのコスト(工数)がかかるのか?
  • 利息(負債を受け入れた際のリスクなど)にはどんなものがあり、どれくらいの影響があるのか?
  • いつまでに返済する予定か?

ただし、これらについてチーム内で十分に議論していたとしても、一般的な「負債」とは程遠く予測不可能であることは忘れてはいけません。

非エンジニア向けの「共通言語」を築く

技術者には、この複雑な問題を非エンジニアにも理解できるように説明する責任があります。感情的な議論に終始するのではなく、データに基づいた客観的な議論を可能にするための「共通言語」を築くことが不可欠です。

例えば、技術的負債の可視化には、Software Engineering Institute (SEI) が提唱する13分類(アーキテクチャ、コード、ドキュメンテーション、プロセス、人など)が有効です。これらの分類を、非エンジニア向けに具体的なビジネス上の影響に翻訳することで、負債がもたらす真のコストを明確に伝えることができます。

https://www.researchgate.net/publication/286010286_Towards_an_Ontology_of_Terms_on_Technical_Debt

以下の表は、非エンジニアが直面する問題に技術的負債がどのように繋がっているかを示す一例です。

負債の種類 定義(簡潔に) 労働環境への影響例
アーキテクチャ負債 大規模な改修が必要な設計上の問題 変更の困難さ、大規模な手戻り、チーム間の連携の複雑化、特定の機能開発の停滞、システムの理解困難さ
コード負債 可読性や保守性を損なうソースコードの問題 デバッグの困難さ、学習コストの増大、新規開発の遅延、エンジニアの士気低下、バグ発生率の上昇
設計上の負債 ソースコード分析で発見される設計上の問題 コード負債と同様、複雑性増大、変更の困難さ、バグの発生しやすさ、システムの拡張性低下
ドキュメントの負債 文書の欠落、不適切、不完全な問題 情報共有の非効率化、オンボーディングの困難さ、属人化の促進、認識齟齬による手戻り、チーム内の不信感
インフラに関する負債 開発活動を遅らせるインフラの問題 環境構築の遅延、デプロイの不安定化、テスト環境不足による開発効率低下、障害対応の負荷増大
人の負債 スキル不足、トレーニング不足、専門知識の属人化など チームの生産性低下、特定のタスクのボトルネック化、人材流出、採用難、チームの成長阻害
プロセスの負債 非効率な開発プロセスや意思決定の問題 会議の非効率化、承認プロセスの遅延、チーム間の連携不足、エンジニア体験の悪化、無駄な作業の増加
要件の負債 要件定義の不完全さ、実装との乖離など 手戻りの発生、開発の方向性の迷走、ビジネスサイドとの不信感、無駄な開発、エンジニアのフラストレーション

ビジネスサイドと開発現場の認識ギャップの解消

ビジネスサイドとの認識ギャップを埋めるためには、技術者側からの積極的で根気強いコミュニケーションが不可欠です。技術的負債がもたらす「人間的コスト」を明確にし、それが最終的に人材流出やビジネス機会の逸失といった「ビジネス的コスト」に繋がることを論理的に説明する必要があります。技術的負債の解消は、単なる技術者の自己満足ではなく、組織全体の「労働環境」を改善し、ビジネスの持続的な成長を可能にするための戦略的な投資であることを、共通の言葉で粘り強く伝えていくことが、技術者に課せられた重要な責任なのです。

「労働環境としての技術的負債」を改善する戦略

技術的負債を労働環境の問題として捉えることで、その改善に向けた具体的な戦略が見えてきます。

技術投資と文化投資の融合

技術的負債の返済は、単なる「技術投資」に留まらず、「文化投資」と組み合わせて行うことで真の効果を発揮します。これは、技術的負債が技術的な側面だけでなく、組織のプロセスや文化に深く根差しているためです。どんなに優れた技術を導入しても、それを活用する「人」と「組織」が健全でなければ、真の成果は得られないからです。

技術的な解決策としては、共通基盤の構築、マイクロサービス化、テスト戦略の強化などが挙げられます。これらの技術的な改善は、エンジニアがより効率的に、そしてストレスなく作業できる環境を整え、結果として新しい機能開発やサービス改善のスピードを劇的に向上させます。

文化・組織的アプローチも同様に重要です。人事制度の再構築、例えば透明性の高い評価や、マネージャーによるコーチングやキャリアカウンセリングは、エンジニアの定着率とモチベーション向上に貢献します。これにより、優秀な人材が長く会社に留まり、組織の知識や経験が蓄積されます。また、ワーキンググループによるコストや人事制度の改善検討など、自律的な改善促進は、メンバーの主体性を高め、マネージャーの負荷を軽減し、組織全体の改善文化を醸成します。これは、社員一人ひとりが「自分たちの職場を良くしよう」という意識を持つことに繋がり、組織全体の生産性向上に貢献します。開発生産性の可視化も重要であり、Gitログ分析ツールやDORAメトリクス(デプロイ頻度、変更リードタイム、変更失敗率、サービス復旧時間)の活用は、開発生産性を客観的に評価し、改善のサイクルを回すための重要な指標となります。

現代の技術的負債管理の最前線では、技術的な解決策と組織文化・人事戦略の改善が不可分であるという認識が強まっています。これは、技術的負債が「システム」だけでなく「人」と「プロセス」に根差しているという理解の深化を反映しています。技術的な改善が組織の心理的安全性やエンゲージメントを高め、それがさらに技術的負債の発生を抑制し、生産性を向上させるという「正のフィードバックループ」を構築することが、持続可能な開発環境の鍵となります。この統合的なアプローチこそが、技術的負債を単なるコストではなく、組織の競争優位性を高める戦略的投資と位置づけることを可能にします。

まとめ

技術的負債が単なる技術的な問題ではなく、エンジニアの日々の苦痛、チーム内の摩擦、組織全体の生産性低下、そして最終的には優秀な人材の流出という、労働環境に直接的かつ深刻な影響を与えるものであることを論じてきました。これは、技術的負債が組織の「成長痛」そのものであり、放置すれば慢性的な病へと進行し、ビジネスの持続可能性を脅かすことを意味します。

健全で生産性の高い労働環境は、技術的負債を認識し、計画的に返済していく継続的な努力から生まれます。これは、エンジニアが誇りを持って仕事に取り組める環境を整備し、創造性を最大限に引き出すための、最も重要な「人」への投資です。技術的負債の返済は、短期的なコストに見えるかもしれませんが、長期的には開発効率の向上、ソフトウェア品質の安定、人材の定着とエンゲージメントの向上、そしてビジネスの成長という形で、計り知れないリターンをもたらすことでしょう。

参考記事


ココナラではエンジニアを絶賛募集中です。
少しでも興味を持たれた方がいましたら、ぜひ下記の採用ページをご覧ください。

採用情報はこちら。
https://coconala.co.jp/recruit/engineer/

カジュアル面談希望の方はこちら。
https://open.talentio.com/r/1/c/coconala/pages/70417

Discussion