AIを使う人は、AIをあまり使わない人から「怠惰で能力が低く、自立心に乏しい」と評価されやすい
こんにちは。クラウドエース株式会社 第四開発部の相原です。
読者の皆さんは、普段の業務でどれくらい AI を活用していますか?
おそらく、多くの方がコードの自動生成やデバッグ、ドキュメント作成といったさまざまな場面で、AI を頼れるアシスタントとして利用していることでしょう。
今や AI は私たちの日常に欠かせないパートナーになりつつあります。
しかし、その一方で、「AI を使っている」という事実が、私たちの仕事や能力に対する周りの評価にどのような影響を与えるのかについて考えたことはありますか?
私たちは、AI という「賢いツール」を使いこなすことで、より高度な成果を出せると考えています。
ですが、もしかすると、周囲からは「AI に頼っている」や「本人の実力ではない」といったネガティブな印象を持たれてしまう可能性はないでしょうか。
今回の記事は、科学誌「Proceedings of the National Academy of Sciences」に投稿された「AI 利用に対する社会的評価のペナルティに関するエビデンス」という題で提出された論文を基に「AI を使っている人は周りからどのような評価を受けるのか」についてまとめました。
記事の要約
- AIを使う人は、使わない人に比べて「怠惰で、能力や勤勉さが低い」とネガティブに評価される「社会的ペナルティ」が存在する
- このマイナス評価は、評価する側自身もAIを多用する場合や、メール作成のようなAIに適したタスクでは弱まる
- この現象は、AIが社会に普及する過渡期特有のものであり、多くの人がAI利用を隠す傾向にあるが、将来的には変化していく
AI でできた成果物は本人の能力を保証しない?
私たちは他人の行動を目にしたとき、「なぜあの人はあのように行動したのだろう?」とその理由(原因)を考えます。
心理学ではこれを「帰属理論」と呼び、この原因の探し方には、大きく分けて二つの方向性があると言われています。
一つは、その人の内面に原因を求める考え方(内的帰属)で、もうひとつはその人の外部の状況に原因を求める考え方(外的帰属)です。
例えば、同僚が仕事で大きな成果を上げたとき、「彼はもともと優秀で、誰よりも努力したからだ」と考えるのが「内的帰属」にあたります。
同じく同僚の成功に対して、「今回はプロジェクトのテーマが良かったからだ」や「上司のサポートが手厚かったからだ」と考えるのが「外的帰属」です。
原因帰属の分類の表。原因帰属はしばしば2つの軸で分類される。一つ目の軸は、原因が「自分の中にあるか(内的)/外にあるか(外的)」です。そして二つ目の軸が「その原因が安定的か/不安定(変化しやすい)か」です。例えば、「能力」は自分の中にあり安定的な要因ですが、「努力」は自分の中にありながらも不安定な要因とされます。
そして、人間には、他者の行動を解釈する際に、状況(外的要因)よりも、その人自身の内面(内的要因)を過度に重視する傾向があるのです。
例えば、誰かが会議に遅刻してきたとき、私たちは「電車が遅れたのかもしれない(外的要因)」と考える前に、「きっと時間にルーズな性格なんだろう(内的要因)」と判断してしまいがちなのです。
この心のクセを AI を利用している人に対する評価の場面に当てはめてみると、冒頭で提示したような「AI利用がもたらす評価の複雑さ」が見えてきます。
誰かが AI という非常に強力な「外部の助け」を借りて優れた成果を出したとき、周りの人々は、その人の内面に原因を探そうとします。
その結果、「AI に頼ることで楽をしようとしているのではないか(怠惰)」や「自力でやり遂げる能力や意欲がないのではないか(能力不足)」といった、ネガティブな内的帰属をしてしまう可能性が考えられます。
実際にデューク大学フクア経営大学院のジェシカ・ライフ(Jessica Reif)氏らの研究チームは、AI を使用している人に対する評価の実態を探るべく、4,400人以上の参加者を対象に4つの実験を行いました。
それぞれの実験では以下の検証を行っています。
- 従業員が AI ツールを使用した場合、他者からどのように評価されると参加者が予想するか
- AI 利用者は、第三者から実際にどのように評価されるか
- AI 利用者に対する評価が、採用のような具体的な行動にどう影響するか
- AI 利用者の評価を左右する要因と、どのような状況で評価が変わるのか
結果
実験1と実験2の結果。左の図は、参加者が AI をよく使う従業員がどのように評価されるかを予測した結果を示している(実験1)。右の図は、AI を利用する人と人に助けを求める人、AI を利用する人と誰の助けも受けない人の評価の比較した結果を示している(実験2)
分析の結果、以下のようなことがわかりました。
- AI を使わない人と比較すると、AI を使っている人は「怠惰で、能力や勤勉さが低い」と評価されるだろうと予想する傾向があることがわかりました。そのため、AI の使用を上司や同僚に隠そうとする傾向も確認されています。
- AI 利用者は実際に「怠惰で、能力や勤勉さ、自立性が低い」と評価されました。このマイナス評価は、評価される人の年齢・性別・職種に関係なく一貫して見られました。
- 採用の場面では、評価する側(採用担当者)自身の AI 利用状況によって判断が分かれました。AI をあまり使わない担当者は AI を使わない候補者を、AI をよく使う担当者は AI を使う候補者を好むという結果になりました。
- AI 利用者が低く評価される主な理由は「怠惰に見えるから」でした。しかし、そのマイナス評価は、AI の利用が明らかに適切な「デジタルな仕事(大量のメールを作成・送信する)」では相殺され、むしろプラスの評価につながりました。また、評価する側自身が AI を頻繁に使っている場合、AI 利用者を怠惰と見なす傾向は弱まりました。
これらの結果から、仕事で AI を使うと「怠惰で、能力や勤勉さが低い」と評価される社会的なペナルティが存在するようです。
また、この仕事での AI の使用に伴うマイナスの評価を多くの人が予測しており、上司や同僚に自身が AI を使用していることを隠す傾向も確認されています。
ただし、このマイナス評価には例外もありました。
メール作成のような AI 向きの仕事ではペナルティはなくなり、評価する側も AI をよく使う人であれば、偏見は弱まります。
考察
今回の研究からわかるのは、AI ツールは業務の効率と質を大幅に向上させる強力な手段である一方で、その利用には「勤勉さが低い」「能力が低い」「怠惰である」と見なされる「社会的なコスト」を伴うということです。
そして多くの人が、AIを使って生産性を上げるか、それともAIを使わずに(あるいは使用を隠して)社会的な評価を守るか、という難しい選択を迫られている状況も明らかになりました。
なぜAIの利用がネガティブに評価されるのでしょうか。
それは、AIが「強力すぎる外部の助け」と認識されているからだと考えられています。
人間は、自らの能力や努力によって物事を成し遂げたことを示すことで、社会的な評価を得ようとします。他人の助け、特に AI のような強力なツールの助けを借りることは、その人の「自律性」や「本質的な能力」に対する疑念を抱かせる原因になるのです。
今回紹介した研究の結果を踏まえて、周囲に対して AI の使用をアピールするのは避け、以下の2つの状況に限定すると良いでしょう。
- 評価者自身が AI ユーザーである場合
- タスクの性質が AI に適している場合
評価する側も AI を頻繁に使っている場合、社会的なマイナスの評価は消滅します。これは、AIを使いこなすにはスキルが必要であり、それが生産性向上につながることを理解しているため、ネガティブなバイアスは働きにくくなります。
また AI の利用が明らかに適切で、大幅な生産性向上につながるタスク(例:大量のメール作成、コーディング)では、ペナルティが大幅に減少するか、あるいはプラスの評価に転じます。これは、AI の利用が「怠惰」ではなく「賢明で合理的な判断」と見なされるためだと考えられます。
最後に
この社会的ペナルティは、AIが社会に普及していく過渡期特有の現象である可能性が高いと考えられます。
過去のテクノロジー(例:電卓、インターネット検索)も、登場当初は「考えることを放棄させる」といった批判にさらされましたが、やがて当たり前のツールとして受け入れられるようになりました。
同様に、AIもより身近な存在になり、その利用に関する組織的な規範や社会的なコンセンサスが形成されるにつれて、現在見られるようなネガティブな評価は時間とともに薄れていくと考えられます。
その過渡期にいる私たちは、評価を恐れるのではなく、AI で未来の「当たり前」を創る当事者なのかもしれません。
参考文献
- Reif, J. A., Larrick, R. P., & Soll, J. B. (2025). Evidence of a social evaluation penalty for using AI. Proceedings of the National Academy of Sciences, 122(19), e2426766122.
Discussion
AIばかりに頼り自分で結論を出せない人は評価が低い、と言う考えは理解できます。
AIを使う人の評価とのことですが
では、たとえば
エクセルの関数、マクロなど
皆さん普通に利用していますよね
その便利な関数やマクロは誰が作ったのか?
社内の勤勉な誰かが残業して作成したかもしれないし、中小企業ではほぼ、そんな感じでしょう。
で、作れない人ほど成果物にケチを付けます
私はそれを作りケチを言われる側です
でも、業務の効率化はしたいから
今ではAIの助けなしはあり得ません
AIに対する考え方は
優秀な部下、あるいは親友
です
優秀な部下に対する指示は
であっても
1から10まで正確な指示を与えないと期待した結果は返ってきません
これは人もAIも同じです
言わなくても分かるだろう!
なんて昭和な考えは
もう通じないです
結局は
AIを使う人
AIを使う人を評価する人
大事な視点はどう利用して
自分が豊かな生き方を得られるか?
では、豊かな生き方とは?
せっかくAIがそばにいてくれる時代です。
だったら、ちょっと頼ってみてもいいんじゃないでしょうか。
賢く、やさしく、そして自分らしく使っていけたら素敵ですね。
長文、失礼いたしました