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読書感想文: ヤバい経済学〔増補改訂版〕―悪ガキ教授が世の裏側を探検する

2022/02/12に公開約6,800字

この文章は

「ヤバい経済学〔増補改訂版〕―悪ガキ教授が世の裏側を探検する」(2007年)
(原題: Freakonomics: A Rogue Economist Explores the Hidden Side of Everything (P.S.))
スティーヴン・J・ダブナー (著), スティーヴン・D・レヴィット (著), 望月 衛 (翻訳)
を読んだ。その感想文。

概要

変わり者の経済学者Steven D. Levittがニューヨーク・タイムズのジャーナリストStephen J. Dubnerと手を組んで出版した本。
世界のあらゆるものの裏側、例えば相撲の八百長とか、ドラッグの売人の生活とか、そういった話をデータと数学の力で詳らかにしていく。

ヤバい経済学(Freakonomics) というものの、2022年現在この本が出版されるとしたら、経済学というよりむしろ「ヤバいデータサイエンス」という言葉がしっくりくる気がする。

この本に統一したテーマは無い。著者らが注目して統計的に分析した(そしてほとんどは経済学の論文としてちゃんと出版された)面白い個別の事例が、素人にもわかる程度の易しさで山程載っているだけで、この本を読んでも経済学や回帰分析に詳しくなるわけではない。

しかし、取り上げられている事例はどれも意外なものばかりである。訳がめちゃくちゃフランクなのも相まって、スラスラ読めてしまう(原著からしてそうなんだろうけど)面白さがあった。

また、「テーマは無い」とは言うものの、著者らの問題解決の姿勢には見習いたい点、つまり教訓がいくつもあった。

この読書感想文では、そういった教訓を列挙していく。それぞれの教訓について、関係が特に深い実際の個別事例を記載している。

インセンティブは現代の日常の礎である

人間は自分の損得勘定に基づいて合理的に動く。著者はインセンティブを以下の3つに分類している。

  • 経済的インセンティブ
    • 例えば、たばこ税。
  • 社会的インセンティブ
    • 例えば、路上喫煙の禁止。
  • 道徳的インセンティブ
    • 例えば、テロリストは闇でタバコを売って資金調達していると風説を流布する。

興味深い例: 保育園に子供を迎えに来る親が遅刻する問題

保育園には子供を午後4時までに迎えに来なければならない。しかし、一部の親はこのルールを破る。
親御さんが迎えに来るまで先生が子供の面倒を見る必要が生じるので、これを経済的インセンティブによって解決しようとした。

最初、遅刻は保育園1箇所あたり週に8件だった。
実験開始から5週間後、「10分以上遅れたら子供1人あたり3ドルの罰金」を科すことにした。
すぐに親の遅刻は増え、週あたりの遅刻は20件にまで膨れ上がった。

なぜこうなったのかというと、これまで親を縛っていたインセンティブは「遅刻して保育園に迷惑を掛けると申し訳ない」という道徳的インセンティブだったから。
1回につき3ドルという経済的インセンティブが加わったことで、この道徳的インセンティブを置き換えてしまった。つまり、「1回3ドル払えば遅刻しても問題ない」というシグナルを親御さんたちに送ってしまったのだ。

実験17週目になって罰金制度を中止しても、遅刻する親は減らなかった。道徳的インセンティブは消滅したまま、経済的インセンティブも消滅してしまったからだ。

通念はだいたい間違っている

道徳が「社会はこうあるべきだ」を追求する学問だとすれば、経済学は「実際の社会はこうである」を追求する学問である。

例えば、アメリカの犯罪数を激減させた最大の原因は、20年前にアメリカで中絶が合法化されたことで、生まれていたら犯罪を犯していたはずの子供がそもそも生まれてこなかったためだった。だいぶ嫌な話だが、統計を分析するとそういうことになるらしい(詳細は次の節で)。

遠く離れたところで起きたちょっとしたことが原因で劇的な事態が起きることは多い

バタフライ効果的な。

興味深い例: 望まれない子供が犯罪を増やす。中絶で望まれない子が減る。だから中絶で犯罪が減る。

例えば、1990年代、アメリカの犯罪発生率が急減した。この最大の原因は1973年にロー対ウェイド事件で人工妊娠中絶を規制する法律を違憲無効としたことだった。

世間一般には、1990年代の犯罪発生率の減少は

  • 画期的な取締まり戦略
  • 懲役の増加
  • 麻薬市場の変化
  • 人口の高齢化
  • 好景気
  • 警官の増員
  • その他(死刑増加、武器隠匿の規制、銃の買い上げ等)

で説明しようとすることが多かった。だが、この内統計的に見て実際に効果があったのは

  • 警官の増員
  • 懲役の増加
  • 麻薬市場の変化

だけだった。
そして、そもそもこれまで誰も言及しなかったが、最も影響が大きかったのが中絶の合法化であった。

この本で一番詳細に説明されている事例であり、この結論に至る過程を全部説明しようとすると大変なことになる。
詳細は著者の論文にあるので、興味が湧いたら読んでほしい。

独自研究

日本でも似たような話はあるらしい。
上記のLevittの論文を引用しているこの論文は2002年の日本の犯罪率の急増を扱ったものである。だが、日本の1950年から1980年代までの殺人の認知件数の急激な減少には、1949年の優生保護法によって経済的な理由での人工妊娠中絶が認められたことが影響したことが否定できない、というようなことが書かれている。

しかも、この論文の脚注24にある通り、

当時の検察庁は、中絶を認めることによって治安の維持に繋げようという目的を持っていた

ようである。

専門家は、自分の情報優位性を自分の目的のために利用する

例えば、不動産屋は家を売ろうとしているクライアントが不動産市場の状況に詳しくないことを使って、自分の利益を最適化する(後述)。

ただしこの点については、インターネットの普及で情報の非対称性が以前よりずっと小さくなっている。

興味深い例: 不動産屋はクライアント第一ではない

不動産広告で使われる言葉には、彼らにしかわからない暗号のようなものが隠されている。
例えば

  • 御影石の
  • 最先端技術
  • コーリアンの
  • カエデ材の
  • 料理好きに最適

といった言葉が広告に入っている場合、その家の最終売却価格は高い。
逆に、

  • 最高
  • 広々
  • 素敵
  • 環境良好

といった言葉が広告に入っている場合、その家の最終売却価格は低い。

実際、不動産屋の営業担当者が自分の家を売るときの広告文を分析すると、前者の群に登場するような説明的な表現を強調しており、後者のような中身のない形容詞を避けていることがわかる。
彼らはクライアントにはわからない暗号を使って、家の実際の評価を暗に同業者と伝えあっているのだ。

また、営業担当者が自分自身の家を売るときは、普通にお客の家を売ったときに比べ、平均で10日長く市場に出しており、売却価格も同条件の家と比べ3%高い。
つまり、不動産屋の営業担当者はクライアントの家を最大の価格で売ろうとするのではなく、さっさと取引を決めてしまおうとするのだ。

これは営業担当者のインセンティブを考えれば納得の行くことである。
彼らの取り分は家の売却価格の1.5%程度であるから、30万ドルの家を10日待てば31万ドルで売れたとしても、彼らの取り分は150ドルしか増えない。であれば、ちょっと安くても取引をたくさん成立させたほうが彼らにとっては利益が大きい。

何をどうやって測るべきかを知っていれば、込み入った世界もずっとわかりやすくなる

良いデータを集めること、そして特にズルを見抜くときには、「自分がその事象の主体だったらどう思うか」を考えることが大事。

興味深い例: 八百長相撲

例えば、相撲界の八百長を暴くには、7勝7敗の力士と8勝6敗の力士が対戦したときの期待勝率と実際の勝率の乖離に注目すれば良い。

どちらもこの試合がこの場所の最終戦だが、前者は番付が上がるか下がるかが決まる重要な試合なのに対して、後者はすでに勝ち越しが確定している。前者の力士が負けて失うものは、後者の力士が勝って得るものよりずっと大きい。こういうときに、ズルをするインセンティブは大きくなる。

実際、期待勝率と実際の勝率の間には大きな乖離があった。本当なら7勝力士の期待勝率は50%を下回るはずなのに、7勝力士は8勝力士に対して80%近い確率で勝利していた。9勝力士に対しても73%の確率で勝利していた。

しかも、同じ2人が次の場所で、しかしどちらも7勝7敗でないときに当たった場合、前回7勝7敗だった力士の勝率は40%まで落ちていた。

一番理屈に合いそうな説明は、「今日はどうしても勝ちたいから俺に勝たせてくれ、次の取り組みではおまえに勝たせてやるよ」という取引が力士間で結ばれていたというものだ。

加えて、あやしいのは個別の力士の成績だけではなかった。A川部屋の7勝7敗力士がB山部屋の力士に勝ったあと、B山部屋の7勝7敗力士がA川部屋の力士と当たると、B山部屋の力士の勝率はとても高い。

ところで、1996年、八百長相撲の暴露本を出版しようとした元力士2人が同じ日、同じ病院、同じ病気で死亡した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/高鐵山孝之進
https://ja.wikipedia.org/wiki/橋本成一郎

彼らは八百長をしている力士29人(クロ)と、決して不正に手を貸さない公明正大な力士11人(シロ)を名指しした。このデータを先の結果に加味すると、

  • クロ同士の対戦では、7勝7敗力士の勝率はやはり80%だった。
  • クロが相手だと、期待勝率どおりの結果だった。
  • クロともシロとも言われなかった力士とクロ力士の対戦結果は、クロ同士の場合と同じくらい偏っていた。

つまり、名前の挙がらなかった力士のほとんども八百長に手を貸していた可能性がある。

補足: そもそも相撲のシステムに欠陥がある?

安全なアメリカにいるレヴィットはともかく、訳者は関連する件で2人も死人が出た(かもしれない)国にいる。あんまりツっこむと命が危ないので本人に語ってもらうことにする

ということで、訳者あとがきには、相撲周りの話について訳者がレヴィットに聞いた話がそのまま載っている。これは原著にはない、この日本語訳だけの特別な情報なはずだ。

それによると、ほとんどのスポーツでは、参加者はみんな勝つインセンティブが同じくらいあって、それが短いスパンで大きくなったり小さくなったりということが起こらない。

例えば野球では、勝敗はシーズンの終わりに全部合計されて、一番勝数が多かったチームが優勝となる。

一方相撲では、7勝7敗力士と8勝6敗力士の間で勝つインセンティブは大きく異なる。
つまり、8つ目の白星の価値は他の勝利に対して、特に9つ目、10つ目の白星に対してずっと大きい(全勝が近い場合、それに対するボーナスがあるので再び白星の価値は上がる)。

ここに八百長のインセンティブが生じる。であれば、8つ目の白星を他の白星と同じくらいの価値しか持たないようにするのが良いだろう、とレヴィットは主張している。

相関と因果を区別せよ、しかし因果を数学的に測るのは難しい

2つの現象に相関があるからといって因果があるとは限らないし、どちらがどちらの結果かもわからない。アイスクリームの売れ行きと海での溺死数とかの話。

興味深い例: 本が家にある子は学校の成績が良い

例えば

  • 事象A: ある子の家には本が沢山ある
  • 事象B: ある子の学校の成績が良い

としたとき、AとBに相関があるからといって、本に摩訶不思議な浸透力みたいなものがあって、近くに存在するだけで子供に知識を植え付けていくわけではない。
実際には、

  • 事象C: ある子の親は遺伝的に賢いか、良い教育を受けてきた

があり、C→Aの因果とC→Bの因果があるだけ、つまり「良い教育を受けた、あるいは遺伝的に賢い親は本をたくさん買うし、そういう親の子は学校の成績が良い」というのがありそうな話である。

だが、回帰分析が教えてくれるのはあくまで相関までであって、その間に因果があるのか、そして因果があるならば、どちらが原因でどちらが結果なのかといったことは教えてくれない。

人が感じるリスクとは、危険と恐れの複合である。恐れは慣れていないもの、コントロールできないもののとき増大する。

危険とは客観的な死ぬ確率、恐れとは主観的な感情である。

人間は、リスクを最小化しようとするとき、客観的な確率と主観的な恐れのどちらも計算に入れてしまう(むしろ、恐れの方をより重大に扱う)。

興味深い例: 銃とプール、どっちが危険?

例えば、銃がある家に子供を遊びに行かせるのは、プールがある家に子供を遊びに行かせるよりずっと怖いように感じる。
しかし、アメリカで、毎年プールで亡くなる10歳未満の子供は550人であり、銃の事故で亡くなる10歳未満の子供は175人である。
1単位あたりの死者数で見るとこの差はより開き、1プールあたりの子供の死亡数は1/11000で、1銃あたりの子供の死亡数は1/1000000である。
確率的にはプールの方が銃よりよっぽど危険だが、多くの親は銃に比べてプールのリスクを軽視する。

恐れは、慣れ親しんでいない経験、自分ではコントロールできない出来事に対して特に膨らみやすい。
ほとんどの人が銃を撃つ経験よりプールで泳ぐ経験に慣れ親しんでいるし、プールに入らせないのは銃に触らせないことよりも簡単なように思える(本当に簡単なら年に400人も子供がプールで溺死するはずはないのだけど)。

同様に、飛行機に乗っているときの事故は車に乗っているときの事故よりリスクが高い気がする。でも客観的な危険でいえば、単位時間あたりに死ぬ確率はどちらも変わらない。

専門家は、客観的な危険についてではなく、主観的な恐れを煽ってチャイルドシートを買わせたり、家を早く売らせたりする。

個別の事象を見れば、統計通りに行くとは限らない

やはりカオス理論的な話で、全体の傾向みたいなものは統計的にわかっても、一つ一つの事象の未来を予想することはできない。

これは終章できれいに説明されている。ちょっとした伏線回収みたいなものがあるのでネタバレは控えておきたい。

最後に

自分でも驚くほどスラスラと読めたし、読んでる間は夢中になってしまう本だった。
なんでこんなに面白いんだと考えると、それはもちろんこの本に載ってる個別事例が面白いというのもある。

しかし、全体を通して見ると、「こういうことをやるために自分はデータサイエンスを学んだんだった!」と自分を再発見することができたのが、実は一番の推進力だったような気がする。

この本には続編がある。その名も「超ヤバい経済学」。いずれこちらも読んでみたい。
が、まずは自分もレヴィットらのように、面白い結果が得られることを期待しつつ素朴な疑問を立ててみようと思った。

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