Biology is not Bigotry(生物学は偏見ではない)【翻訳記事】
Biology is not Bigotry(生物学は偏見ではない)

長い生物学的な歴史を持つ用語の再定義は、自然に対してイデオロギーを押し付けようとする試みとしか見なされません
by ジェリー・A・コイン(シカゴ大学名誉教授・生態学/進化論)
Freethought Now(自由思考はいま)の記事「女性とは何か?」で、著者のキャット・グラント氏は、その言葉の定義を明確にしようと長々と苦闘し、欠陥があるとか不完全であるという理由で次から次へと定義を却下しています。グラント氏は最終的に、セルフ・アイデンティティに基づく定義に落ち着きました。これは「女性とは、自分がそうであると主張する人である」というものです。
もちろん、これは同語反復(トートロジー)であり、女性とは実際に何であるのかという疑問は依然として残されています。長い生物学的な歴史を持つ用語のこの驚くべき再定義は、自然に対してイデオロギーを押し付けようとする試みとしか見なされません。
「ノンバイナリー」の人々、または「女性」として自らを認識する(identify as)男性(「トランス女性」)の中には、生物学によってそのアイデンティティが十分に認識されていないと感じる人々もいるため、彼らは生物学に対してイデオロギーを押し付け、「女性」の新しい定義を作り出そうとします。
さらに言えば、セルフ・アイデンティティが直接的に経験的な現実と一致するという主張には、多くの問題があります。
自分が太っていると感じているからといって、常に太っているわけではなく(拒食症の問題)、自分が馬であると感じているからといって、馬ではなく(「シアリアン」と呼ばれる人々が心理的に動物であると自己同一化している)、自分がアジア人だと感じているからといって、アジア人になるわけではありません(「トランスレイシャリズム(transracialism)」の問題)。
しかしながら、性別についてはこれは異なる、とグラント氏は言うのです。それは、人間の生物学的な特徴の一つでしかなく、単に心理的な作用によって変化しうるものであると述べます。
では、なぜ他の身体的な形質は変化できないのに、性別は変化できるのでしょうか? 感情は現実を作り出すものではありません。その代わり、生物学では伝統的に、性別(sex) とは、生殖細胞(「配偶子 gametes」)の大きさと運動性によって定義されています。
雄(male)の生殖細胞は小さくて運動性があります(動物では精子、植物では花粉)。雌(female)の生殖細胞は大きく運動性はありません(植物では卵細胞、動物では卵子)。すべての動物と維管束植物には、正確に2つの性別(sex)があり、それ以上はありません。 植物の相当数と少数の動物種では、単一の個体に両方の機能を併せ持つもの(「雌雄同体」)もいますが、これらは典型的な2つの配偶子を生成するため、第三の性別(sex)ではありません。
この配偶子に関する考え方は性別(sex)の「定義」と呼ばれていますが、実際には、多種多様な生物の膨大な観察結果に基づいた一般化 であり——つまりそれ故に、概念(コンセプト)であることを認識することが重要です。ごく少数の一部の藻類や菌類を除き、私たちを含むすべての多細胞生物および脊椎動物がこの一般化に従っていることが分かっています。 つまり、これはほぼ普遍的な概念なのです。
その普遍性に加えて、配偶子の概念には 有用性 があります。なぜなら、配偶子タイプの区別が、性選択(sexual selection)のような進化現象を説明するからです。生殖への投資の差は、身体的にも行動的にも、雄(male)と雌(female)の間の多くの違いを説明します。
性別(sex)に関連する概念で、これほどまでに普遍性と有用性を兼ね備えたものは他には存在しません。 染色体の数、生殖器、ホルモン、体毛など、配偶子タイプに 関連づけられた さまざまな形質を組み合わせて性別を定義しようとすると、配偶子の概念が持つ普遍性と説明力の両方を欠いた、複雑で混乱を招く多変量モデルに陥ってしまいます。
はい、確かにごく一部の例外として、分類に従わない "インターセックス" の状態の人々がいます(その割合は約5,600分の1から約20,000分の1と推定されています)。このような配偶子観点の例外は確かに興味深いものですが、性別(sex)の二元性(バイナリー)の一般性を損なうものではありません。生物学において、これほど稀な逸脱が基本的な概念を揺るがすことはありません。例えば、約300人に1人の割合で、生まれつき正常な10本の指を持たない多指症の人々がいます。しかし、誰も「指の数のスペクトラム」などは語りません。
(なお、ノンバイナリーおよびトランスジェンダーの人々のうち、"インターセックス" の状態である人はごく一部であり、ほぼ全員が生物学的に男性または女性であることを認識しておくことは重要です。)
したがって、生物学では、女性とは「成人の人類の雌(An adult human female)」という言葉で容易に定義できます。
形質に基づいた性別の概念を否定することは、深刻な誤りや誤解につながります。その例をほんの少しだけ挙げます。
グラント氏が主張するように、女性の生物学的な概念は、実際に卵子を 生成するか どうかには依存しません。閉経後の女性、不妊症の女性、子宮摘出手術を受けた女性が「女性」ではないと主張する人は誰もいません。なぜなら、それらの女性は卵子を生産するように進化した生殖器官を持って生まれてきているからです。染色体の観点では、2本のX染色体を持っていることで女性である蓋然性が非常に高くなりますが、遺伝情報の再構成によって、染色体構成と配偶子に関連する器官が分離される可能性があります。
しかし、グラント氏が犯した最大の誤りは、生物学的な特徴である性別(sex)と、ジェンダー(gender)、つまり社会において担うことを推測される性役割(sex role)とを混同し続けたことです。性別(sex)はあらゆる点でバイナリー(二元性)であるが、ジェンダーはよりスペクトラム(連続体)的であり、それでも「男性」と「女性」の2つのラクダのこぶのようなモードがあります。
ほとんどの人々は、生物学的な性別に関連するジェンダーの役割を演じていますが、多くの数の人々が、両者の役割を混ぜ合わせたり、あるいは男性/女性の役割を完全に拒否したりしています。グラント氏は「私はジェンダー表現を、1日を通して変化するさまざまな方法で演じている」と語っています。しかし、これによってグラント氏が1時間ごとに性別を変えているというわけではありません。
したがって、性別の生物学的な概念の下では、人間が性別を変えることは不可能です。つまり、真の「トランスセクシュアル」になることは不可能なのです。なぜなら、哺乳類は配偶子を生産する方法を変えることができないからです。より適切な用語は「トランスジェンダー」または、「トランス女性」に対しては「女性として自己を認識する(identify as)男性」でしょう。
ですが、グラント氏はここでも読者を誤解させます。例えば、彼らは「トランスジェンダーの人々は、他の人々よりも性犯罪者になりやすいわけではない」と主張しています。しかし、少なくともトランスジェンダー女性に関しては、事実はこの主張とは反対のことが裏付けられています。
英国法務省と英国国勢調査の統計を比較すると、性犯罪を犯した受刑者の割合は、男性受刑者の中の約20%、女性受刑者の最大約3%であるのに対し、トランスアイデンティフィケーションした受刑者の少なくとも約41%が性犯罪で有罪判決を受けています。したがって、トランスジェンダーの受刑者は、生来の男性の2倍、生来の女性の少なくとも14倍の割合で性犯罪者である可能性が高いようです。
これらのデータは、逮捕された者や有罪判決を受けた後に女性であると宣言した者だけに基づいているため不完全ですが、トランスジェンダー女性は生物学的女性よりもはるかに多く性的に略奪的であり、生物学的男性よりもややいくらか略奪的でありうることを示唆しています。スコットランド、ニュージーランド、オーストラリアでも同様の傾向が見られるという指摘があります。
生物学的性別(biological sex)は、私たちが誰であり、何であるかに影響を与えます。 論争の的となっているスポーツ参加の分野について見てみましょう。 現在の規制状況の概要は次の通りです(グラント氏によるリンクより)。
2024年のパリ・オリンピックでは、新しいガイドラインにより、トランスジェンダー女性が女子カテゴリーで出場するには、12歳までにジェンダー移行(トランジション)を完了していなければならない。このルールは、男性の思春期を迎えることで生じる可能性のある不公平な優位性を防ぐことを目的としている
さらに、少なくとも10種目のオリンピック競技では、トランスジェンダー選手の参加が制限されている。これには陸上、自転車、水泳、ラグビー、ボート、ボクシングなどの競技が含まれる
12歳より前のジェンダー移行(トランジション)の完了は事実上知られておらず(米国では26の州で子供の医・薬学的移行が禁止されています)、国際オリンピック委員会は現在、各競技に独自のルールを策定するよう求めています。
さらに言えば、「規制」があるからといって問題がなくなるわけではありません。多くの規制では、生物学的男性の運動能力の優位性から女性アスリートを守るには不十分だからです。国連女性への暴力に関する特別報告者によると、「2024年3月30日までに、400以上の競技会において、600人以上の女性アスリートが、29の異なるスポーツで、(トランスジェンダー女性の参加に対し)890個以上のメダルを失った」とあります。
終わりに、二つの点を指摘したいと思います。
まず、生物学的な性別の現実を認め、イデオロギーに基づく概念を拒絶することは「トランスフォビア」ではないということを主張したいと思います。科学的な現実とトランスジェンダーの権利のどちらかを選ばなければならないということは、決してあってはなりません。
トランスジェンダーの人々も、他の人々と同様に、道徳的・法的権利をすべて享受すべきです。しかし、道徳的および法的権利は、「消えない刻印」としての性別(sex)が、他者の法的および道徳的権利を損なう結果となる分野にまでは伸長されません。
例えば、トランスジェンダー女性は、生物学的な女性と女子スポーツで競うべきではありません。また、レイプ等の性犯罪に関するカウンセラーや暴力を受けた女性のためのシェルターのスタッフになるべきではありません。また、犯罪で有罪判決を受けた場合は、女子刑務所に収監されるべきではありません。
最後に、FFRF[1]の名誉理事の一人として、私は、この団体がジェンダー活動主義に深く関わることで、その歴史的な2つの使命、すなわち無神論に関する一般市民への啓蒙と、宗教を政府や社会政策から分離することから大きく逸脱してしまうのではないかと懸念しています。
性別(sex)の定義に関する偏向した議論は、どちらの使命にも関係がないものです。ジェンダー活動主義のいくつかの側面は、宗教の最悪な面(教義、異端者、破門など)を担っていますが、性別とジェンダー(sex and gender)に関する問題は、有神論や憲法修正第一条とはほとんど関係がありません。私は、FFRFが「進歩的」とされる政治的立場を採ることに固執し、いわゆる「キリスト教ナショナリズム」との戦いの一環としてそれを正当化することを望みません。私はリベラルな無神論者であり、キリスト教ナショナリズムとはおよそ考えられる限り程遠い存在です。
性別とジェンダー(sex and gender)の問題を、無理やり様式の決められた枠組みや基準に押し込むことはできないし、またそうすべきでもありません。この終わりの見えない展開は、ACLUやSPLCのようなかつては尊敬されていた他の組織を蝕み始めており、もしこれがFFRFにも起こったとしたら、私はたいへん心を痛めることになるでしょう。
※[1] FFRF ... The Freedom From Religion Foundation(宗教からの自由財団・米国)
ジェリー・A・コイン氏は、シカゴ大学名誉教授(生態学・進化論)。
著書:『進化のなぜを解明する』(日経BP)
"Why Evolution Is True" (Viking/Penguin Books, 2009) ※上の原著
"Faith Versus Fact: Why Science and Religion Are Incompatible"(Viking/Penguin Books, 2015)
"Speciation" (Sinauer Associates, 2004)他

原文:"Why Evolution Is True"
参考記事:
※ 翻訳はできる限り厳密を目指しましたが、正確な術語については原文を参照頂ければ幸いです。
【訳】 (ver.1.03 2025.01.05 - 2025.08.11)
(訳:Le groupe d'étude japonais sur le trans-train & Yum Kam)
(Record:ver.1.02 2024.01.03) 当和訳に関するご指摘や連絡
※ we are a non-profit working group and do not generate any profit.(この翻訳等は全て非営利です)
※ 日本語訳の許諾を頂いたコイン教授に感謝いたします。
(Illustration:istock.com/RazvanDP)
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The Freedom From Religion Foundation(宗教からの自由財団・米国) ↩︎
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