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「SF脳とリアル脳」読書メモ
なにこれ
- 積読防止のため読書メモ(というか読んでるときに考えてたことメモ)を残してみる。
- メモを起こしてみて、思い返しながら文章打ってたら読んでるのとおんなじくらい時間がかかる。これは効率が悪すぎてとても私では継続できまい。要検討。
第1章 サイボーグは「超人」になれるのか(『二重太陽系死の呼び声』ニール・R・ジョーンズ)
- SF的にはサイボーグの文脈が先に来るけれど、技術的な進歩は筋電義手等の義肢装具によるものが身近ではある。
- ジェイムスン教授シリーズは多分我が家のどこかに埋蔵されているけれど、読んだ記憶がない。
脳だけサイボーグで思い出すのはルパン三世のマモーとか宇宙英雄物語のロジャーとかが咲きに来てしまう。 - 義肢義体技術をスポーツとして競う サイバスロン、人間拡張を機能として組み込み、スポーツとして再定義する 超人スポーツプロジェクト など、それぞれのアプローチの先鋭を見るのはとても楽しい。
- 幻肢痛やラバーバンド錯覚など、拡張・欠損に対する神経・認知的な接合点について考えるのもまた面白い。案外緩衝材にあるのは機械学習の先にあるのかもしれない(使う当人の認知とは切り離して、こうあってほしいという状況だけを実現するというアプローチ)
- 仮に義肢追加技術が進むとして、人類が最初に手にするのはねこみみなのかしっぽなのか。
第2章 脳は電子デバイスと融合できるか(『攻殻機動隊』士郎正宗)
- みんな大好きGhost in the shell.
- もう記憶媒体としての脳は期待されていないのかもしれない。
- 信頼できるIntelligenceが外部にあるなら、脳の中に残るものはEgoを中心とした、Intelligenceとのインターフェース、プロトコル、メッセージ運用機構になるのだろうか。
- この辺に近い感覚は エレキソルト を見た時にも感じた気がする。
- そういえばSAO事件の2024年も過ぎ去りましたし、アクセル・ワールドのニューロリンカー発売のタイムラインももうすぐ来るんじゃなかったでしたっけ?
- 脳と認知に関しては、「魍魎の匣」での憑き物落としの語りが好きですね。
第3章 意識はデータ化できるか(『順列都市』グレッグ・イーガン)
- 意識をデータ化したSFモノって大抵ろくでもない結果になる印象。「トランセンデンス」とか。
- でも生成AIの台頭で社長再現AIなど、人格クローンを目的としたサービスが提供されている
- これはあくまで人格、コミュニケーションの域だから許容されている印象。
- エージェント機能が付随した際に人格の有無の是非は再評価されると思われる。(責任の所在の文脈で)
第4章 脳は人工冬眠を起こせるか(『夏への扉』ロバート・A・ハインライン)
- 三大欲求の一つである睡眠欲は十全に満たしていきたい。
- 冬眠したい、という欲望のベクトルは今の自分にはないけれど、今後出てくるのだろうか
- 難病の治療を期待して、病状を進行させないために冬眠する
- 未来の利回りに期待して、全財産投資して冬眠する とか
- 今のところこの辺にはあんまり興味がない
第5章 記憶は書き換えられるか(『追憶売ります』フィリップ・K・ディック)
- 露伴先生にヘブンズドアーしてもらおう
- 内的記憶の書き換えや消去は心療内科的なアプローチ(PTSD、グリーフケアなど)として効果あると思うけど、現実とのグラウンディング問題は発生するんだろうな
- 「ペイバック」ではセキュリティの観点で記憶は消去されてたね。「ウルトラバロック・デプログラマー」では暗号化でブロックされてたけど、発想の起点は同じ。だいたいジェイルブレイクされる。
第6章 脳にとって時間とはなにか(『TENET/テネット』クリストファー・ノーラン監督)
- TENET面白かったよね
- 時間ものSFは枚挙にいとまがないけれど、シュタインズ・ゲートのコペンハーゲン解釈とエヴェレット解釈を混ぜたような設定は好み
- ハヤカワJAの「リライト」の追い詰められる感も面白い
- 思考実験としての時間には興味はあるものの、実世界の時間認知についてはあまり考えたことがない
第7章 脳に未知の潜在能力はあるのか(『LUCY/ルーシー』リュック・ベッソン監督)
- 「ブギーポップは眠らない」でもそんな設定があったなあと思い出す
- 「脳は鏡」理論だと、脳に潜在能力があるとして、受け口の肉体が準備されていなければ発揮もできまいと我に返る
第8章 眠らない脳はつくれるか(『ベガーズ・イン・スペイン』ナンシー・クレス)
- 「マシニスト」のクリスチャン・ベールの姿を思い出すと、「ちゃんと寝よう」と思う
- 脳が24時間稼働になったとして、体がついてこなさそう
- 眠りは快楽派の私は、この分野にあまり興味がない
第9章 AIは「こころ」をもつのか(『2001年宇宙の旅』スタンリー・キューブリック監督)
- 付喪神文化のあるこの国で、実際にこころがあることがどれほど重要なのだろうとは思う
- こころの表現が会話であれば生成AIで十分だし、会話が成り立たないのはむしろ対人関係のほうだよなとも思う
- そういった諦めを含む風情がこころ的な何かなのかもしれない
- まあ落ち着いて「火の鳥」読もうぜ
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