【読書】「意識はなぜ生まれたのか その起源から人工意識まで」
モチベーション
個人的な趣味として, 「ロボットは感情をもつのか?」という疑問をたまに考えることがある.
SF的な問題設定に興味は尽きない筆者であるが, それもChatGPTなどの大規模言語モデル(LLM)(あるいは、基盤モデル(FM) の登場により, もはや夢の話ではなくなっていることは, 読者の皆様も実感しているはずだ.
しかし, まだまだ”人間らしい振る舞い”を獲得できているとは言い難い. もちろん, プロンプト(問い合わせ文)で, とても”人間らしい口調・文言"で返答をしてくれるが, なんといっても「まじめ, かたすぎる, はっきりといわない」. どこか”機械らしさ”が残っている(AIなので当然ですが)
「人間らしいAIを作る」, という動機は人工知能/ロボット分野界隈ではとても熱いトピックだ. 先日,人工知能学会(JSAI2025)に参加したが, 関連するポスター発表がたくさん出されていた.大規模言語モデル(LLM) の登場が, このような領域に注目する人口を大きく増やしていることは間違いないだろう.
しかし, そうした発表の大抵が, 「いかにAIに感情があると見せ掛けるか」というテクニックにフォーカスを当てている.もう少しはっきりいうと, 「AIに実際に感情を実装する」というアプローチはほとんどみかけない.
前者と後者では, 明らかにAIのなかで動いているモデルの性質・挙動が異なる(はずだ).
だが, その違いを明確に評価することはかなり難しい. 例えば, 「感情を理解するAI」を作った場合,「人の感情を機械的に解釈し, 感情らしきものに対応した出力(言葉・表情・トーン)」をするモデルと, 「本当に感情を理解し, 感情をもった」モデルの挙動に, 表面上の違いは表れないかもしれない.
実際に, 相手の意識・感情は直接には観察できない, ハードプロブレムとよばれるこの問題は, 感情モデルを作成する上で大きな障壁になっていることはいうまでもない.
上記の流れで, この領域の筆者の関心ごとは以下の3つに集約される.
- 「AIに実際に感情を実装する」方法は?
- 「感情があると見せ掛けるAI」と, 「実際に感情をもつAI」との違いは?
- 2.の違いについて, あるいは, 「実際に感情をもつAI」を実装できたかの検証方法は?
この問題設定に対し, 最近書店で「意識はなぜ生まれたか その起源から人工意識まで」(マイケル・グラツィアーノ著/鈴木光太郎訳; 白揚社)
この本では, 「意識をモデル化するための工学的なアプローチ」として 「注意スキーマ理論」 について説明している. 私自身の興味にささる内容かと思い, 本を手にとった. 本記事はこの本の読書メモとして残すつもりである.
要約
『意識はどこから生まれるのか』要約(第1〜4章)
本書は、私たちが当たり前のように感じている「意識」がどこから来るのか、どのように生じているのかを探る科学的考察です。特に、「意識を持つとはどういうことか」という問いに対し、「人はなぜ意識の存在を感じてしまうのか」という視点から議論が進められます。
第1章:会話するぬいぐるみ
ある子どもがぬいぐるみに話しかける場面から始まり、人は意識を持たない対象にも「心がある」と感じるという、人間特有の能力が紹介されます。これは、他者の表情や動作からその「心」を推測するための脳の働きであり、脳内で無意識のうちに“意識モデル”を作り上げているのです。
しかし、人間の「意識」は単に情報処理をしているだけではなく、自分が「今、何かを意識している」というメタ的な気づきを含みます。これがAIと人間との決定的な違いです。AIは高度な情報処理が可能でも、「自分が意識している」という自覚は持てないのです。
第2章:カブトガニとタコ
ここでは、生物の神経システムの進化を通して、「注意」という機能がどのように発達してきたのかが語られます。最も原始的な神経系をもつ生物では、刺激に対して全身が反応するのみで、情報の選別はありませんでした。
やがて、カブトガニのように特定の刺激を強調する「側抑制」が登場し、注意を向ける対象を選べるようになります。さらに、タコのように分散的かつ集中型の神経制御を持つ生物では、自身の身体や行動をモニターする「身体スキーマ」も見られ、自己認識の萌芽が見てとれます。
第3章:カエルの視蓋
カエルの視蓋(しがい)は、外界の情報を視覚マップとして取り込み、即座に行動を引き起こす強力な中央処理装置です。これは「顕在的注意」と呼ばれ、目や耳を外界の刺激に向けるために働きます。
一方、人間のように見えていないものにも注意を向けられる「潜在的注意」は、視蓋の働きだけでは説明できません。視蓋には「注意スキーマ」――注意そのものをモニタリング・制御する内的モデル――の基礎があるものの、意識の主観的体験を説明するには不十分です。
第4章:大脳皮質と意識
哺乳類の登場とともに発達したのが「大脳皮質」であり、ここが本格的な「潜在的注意」の中枢となります。大脳皮質では情報が競い合い、重要なものだけが処理されます。この処理こそが「注意スキーマ」であり、意識の核でもあります。
つまり、「意識」とは、特定の対象に注意を向けていることを自覚している状態であり、それを可能にするのが大脳皮質の高度な情報処理機構です。リンゴを見ているとき、ただ視覚情報を処理するだけでなく、自分がそのリンゴに注意を向けているという「注意の状態」もモニターされている。ここに、「私はリンゴを見ている」という主観的体験が生まれるのです。
結論:意識とは「注意」に気づく能力
このように、本書では「意識とは、情報への注意を自覚することである」とする立場をとり、それが人間の神経進化の産物であると論じています。そして、人工的な意識をつくろうとするならば、この「注意スキーマ」に基づくメカニズムを実装する必要があると示唆します。
読書メモ
第1章「会話するぬいぐるみ」
第1章では, 社会的動物である我々ヒトが顕著にしめす「意識」について, 本書籍の立場(意見の立ち位置)や議論の方向性を述べている.
まず, 「ぬいぐるみと会話する男の子」を例に, ヒトが「なぜ本来意識をもたない無機物(ぬいぐるみ)に対し, 意識の存在を感じるのか」という問題から説明ははじまる.
人が得意とするこの能力では, 「相手(ヒトでも, ペットでも, ぬいぐるみでも)の思考や意識を自動的に感じとっている」といえる. もちろん, 相手の心を直接知覚しているわけではない(そんなことはできない). ヒトの脳は, 思考や意識に対する心のモデルを自動的に作り, それを自分自身や他者に投影しているのだ.[1]
ここで注意したいのは, ヒトはこの操作をかなり直感的に行なっているということである. つまり, 相手からの知覚情報をもとに,頭で考えたり, 理論的な説明を構築しているのではないというのだ.[2]
さて, 「意識の存在」をヒトが感じるのはなぜか? それがこの書籍の大きなテーマとなっている.
もう少し明確にテーマをわけると, いわゆる「ハードプロブレム」を解くことは目的ではない. つまり, 「意識といった非物質的特性が, 物質である脳がどのように生み出しているのか」という問題にフォーカスを当てていない.
むしろ, 「意識の存在をなぜヒトは感じてしまうのか」(ハードプロブレムの存在を知っているのか)、「なぜそのような能力がヒトに備わっているのか, あるいはどのような場面で有利に働くのか」というテーマに関心がある. つまり, 「意識される内容」ではなく, 「意識するという行為」を解明する.
本書籍では, この「意識する行為」を主体的体験と呼んでいるが, ロボットには能力を持ち得ていない. これは, 主体者が「何かを意識している」ということに気付けているか, という能力である.人間はこれを平気に行えるが, AIはそうではない.
AIも「意識する」ことはできるだろう. それは処理的には「知覚した情報を記憶に蓄え, 蓄えられた情報を根拠に, 何らかの意思決定を行う」ことで実現できるからである.しかし, AIは, 「何かに意識を向けている」という事実に気付けているだろうか?.
AIには, 「意識している」という事実に対する根拠・情報を持ち得ていないので,気付けないはずである.[3] この問題は,本書を理解する上でとても重要である. まだイメージすることは難しいかもしれないが, 後の章で改めて触れるとしよう.
これこそが人間と現代のAI(人工的知能・意識)との大きな違いではないか,と私は思う.
第2章 「カブトガニとタコ」
第2章から第5章にかけては, 現在のヒトの意識モデルを理解していく上で, 神経システムの複雑性の進化について述べている. 特に, 本書籍がフォーカスしている注意スキーマ理論の代表的な処理能力である, 「意識が情報に対する注意を動的に変化させている」という仕組みについて, 生物学的な進化を辿っている.
私は生物に詳しくないので, ここらへんはさらっと触れる.
神経システムの進化の起源は, 約7億年前にいたカイメン(海綿)に見られ, ヒトの神経システムを構築するのに使用される遺伝子を少なくとも25もっているらしい.
次に大事な進化であったのが, クラゲで, 神経システムをもっていることがわかっている.つまり, 神経システムの基本的細胞単位であるニューロンが現れたのは, カイメンとクラゲの間のどこかの時代だろうとのこと.
ここで, ニューロンは基本的に電気信号を送る細胞である.そして, 最初の神経システムは, 身体中に張られた筋を相互に連結する単純な神経網だったと考えられる. 例えば, クラゲと同じく腔腸動物であるヒドラには, 散在神経網の原理が働いている.
散在神経網の特徴は, 情報を処理しないということである. つまり, どこかの部位で受けた電気信号は, 神経全体を巡ってしまうのだ(ニューロンがそうさせるため). 例えば, どこかの部位に感覚刺激を与えると, 体全体で筋肉が引きつってしまう.
そして, 次の進化はこの問題を解決する. つまり, ある信号をほかの信号よりも相対的に強めるのだ.カブトガニにはその性質をもった眼がある.
カブトガニは,ニューロンが一つ入った検出器がびっしり並んだ複眼をもつ.そして,各ニューロンは,隣り合うニューロンとも連絡している.ここで, ある検出器のニューロンが興奮すると, 隣接するニューロンの活動が抑制される.
カブトガニは暗い深海で活動する生き物で,このニューロンの興奮・抑制効果をうまく活かして活動している. 例えば, ぼやけた輪郭の光のスポットを, ある検出器のニューロンが受け取ると, 別のニューロンの活動は抑制される. これにより, どこに光があるかを顕著に視覚でき, 同時に, どこが暗いかについて敏感にセンシングしている.実際には, ぼやけたグレースケールの像を, 複眼をつかって明暗の強調されたコントラストの強い像に変換しているのだ.[4]
この信号の強調は, ニューロンが隣接するニューロンを抑制する,つまり, 側抑制が効いている.
これは, 受け取った刺激(情報)をすべて体に流すのでなく, 信号同士が競い合い, 特に強まったものだけが動物の行動に影響を与えるというものである.
情報に注意を向けるという仕組みでは, 現在のヒトの意識に近い仕組みが, カブトガニには既に見られていたといえる. つまり, 注意の初期モデルだろう.
次の進化は, この注意の処理が「一元化される」 というものである.
例えば, 「局所的」注意が体のあちらこちらにあるような動物を考えると, 別々の部位で注意をむけた情報に対して, 各部位が反応することになる.いわゆる,「注意散漫な」状態となってしまう. これでは, うまく活動できないかもしれない.
そこで, 周囲の環境に対して適切な反応をするために, 眼,胴体,四肢, 耳といった各センサーで収集された情報を1箇所に収斂し, 包括な情報の選別や信号間の競争を行わせることが重要となる. つまり, どこで受けとった情報に注意を向けるかを管理する中央処理装置の存在である.
ヒトと同じく脊椎動物には,注意の中央処理装置がある. しかし, それがいつ発現したのか, 進化の歴史ではまだ判明していないらしい. 例えば, 無脊椎動物の注意のメカニズムはまだ研究が進んでいない.
無脊椎動物の注意のメカニズムについて, 例えばタコはとても知性的な生き物だと思われている.
実際, タコは並外れた神経システムをもっており, 道具を使ったり, クイズを解いたりととんでもない創造性を発揮することがある.
タコは, 脳もそうだし, その複数ある腕に独立した小さな情報処理機構をもつため, 集中型と分散型の制御型どちらも備えている.そして, 巧みな動きを実現するために, 自身の体の形と構造を把握する身体スキーマをもっている. つまりは, 自分の状態に関して自己モデルを構築して知っていると思われる.
ある意味,タコは自分自身のことをよく知っている, という点で, ヒトとよく似ており,それゆえ, 「意識をもっているのではないか」と考えてしまう. ここで「意識の存在」は, 「意識をもっていることに気づいているかどうか」が基準である. 実際, それを確かめようがないので,なんともいえない.
第3章 カエルの視蓋
脊椎動物に含まれるカエルの視蓋には, ヒトと同じく高度な注意メカニズムが備わっているようだ.
カエルの視蓋は, 脳の中心にあって,いわば,洗練された計算をっするもっとも複雑な処理装置だ.
カエルでは, 視蓋は視覚情報を取り込み, 外界を文字通りマップにする.右脳の視蓋には, 左眼の視野の整然としたマップあり, 逆もしかりである.
カエルの眼は, カエルのまわりで黒いドットがジグサグに動くと, この情報を取り込み, 視神経は信号を視蓋に送り, 視蓋は一連の筋肉の制御を開始させる.その結果, 驚異的な正確さで舌が発射され, 飛んでいたハエをからめとる.
実際, そうした入出力装置の存在を過去の神経科学者による実験で示された. なんと, カエルの両眼を入れ替えるという手術を行なったのだ. 手術後, カエルの眼は見事に回復し, 再びものがみえるようになった. しかし, 眼を入れ替えたためか, 本当は右側に飛んでいるハエに対し, 左側に舌を出すような動きしかできなくなった.
つまり, カエルの視蓋は, 特定の視覚入力を集めて対応する出力へと結びつける, シンプルかつ美しい効率的な機械である.
そして, 視蓋は別に視覚情報のみをあつかっているわけではない. 耳からの情報や, 皮膚の触覚受容器からの情報も集められている.こうした情報から作成される体表面のマップ, 聴空間マップ, 視空間のマップは, 視蓋で部分的に統合される.
この中央処理装置は, 環境内のあちこちからやってくるバラバラの信号をまとめ, その時々で起こっているもっとも重要な出来事に焦点を合わせて反応を引き起こすのだ.
神経科学者がよくやる実験では, 生物の特定のニューロンに電気信号を測ることで,「どのニューロンがどのような情報に対応しているのか」見つける. また, 擬似的に電気信号を送ることで,「生物がどのような反応を示すのか」っという逆の実験もある.
例えば, サンショウウオの視蓋に電気的に刺激すると, 獲物がいないにもかかわらず, 体の向きを変え, 口を開け, 舌を伸ばし, 前肢を広げ, 長い指を獲物を掴める形にする.
カエルをはじめ脊椎動物は, 視蓋(あるいは上丘)を同じように用いる.
それは, 感覚情報を集め, 近くで起こるもっとも刺激的な出来事を選別し, 感覚器官を物理的にその出来事のほうに向けさせる. これを,「顕在的注意」 と呼ぶ.
1箇所に収集される膨大な情報をすべて処理することは不可能であるため,脳は重要な情報だけをピックアップして, 残りはカットする, という顕在的注意をとてもうまく利用している.
「注意」といえば,この「顕在的注意」をまずイメージするかもしれない.[5] 直感的には, 生き物は「いま見ているもの」に注意を向けており, 背中にあるもの, つまりは, 「見えていない」ものには注意を向けていない, という仕組みである.
しかし, 思い返せばヒトは,いろいろな対象に同時に注意を向けることができている.書籍では, その例えとして, 授業中に教科書に落書きをする生徒をあげている. 確かに, 注意の大半は「目の前」の落書きにあるかもしれないが, 同時に, 授業をしている教師の動きにも注意を向けているはずが(見ていなくとも)
これを対照的に,「潜在的注意」 と呼ぶが, この潜在的なタイプの注意は, 先ほどの顕在的注意を司る視蓋(上丘)の仕事の埒外にある.
さて, 「顕在的」であれ, 「潜在的」であれ, 「注意」は制御できなければ意味がない.
外の世界に効率よく反応するために, 脳は, 脳内の処理資源を戦略的に特定の対象に集中させなければならない. そのために, 何に注意を向けるのか,そして, 注意という行為そのものをモニターする一連の情報, いわゆる内的モデルが必要になってくる. これを注意スキーマと本書では呼ぶ.
自動運転車には,外界の情報を収集するためのたくさんのセンサーと, それを処理するコンピュータが内蔵されている. この時, ただ情報を受け取って, 信号をハンドルやペダルに送るだけでは不十分である. 例えば, 車体の大きさや速度をわかっていなければ, 交差点の右左折で人や他の車両にぶつかるかもしれない. つまり, 自身の状態に対する内的モデルを保持し, 収集された外界情報に基づきアップデートし, 絶えず未来の動作を予測することで, 安全な運転が実現される.
注意スキーマは, 身体をモニターする身体スキーマになぞらえたものである. それは, 注意が向けられる対象ではなく, 注意それ自体を描写する一連の情報である. 注意をモニターし,刻々と変わるその状態を追跡し, それが次の瞬間にどう変化するかを予測する.[6]
さて,カエルには顕在的注意が備わっており,感覚器官を外界の限られた部分に向けることができる.注意は,その中身が顕在的であれ,潜在的であれ, 制御できなければ意味がないし,制御するためには内的モデルがなければいけない. つまりは, カエルには注意スキーマがあるのだろう.
ということは, 注意スキーマをもつカエルは, 自分が個々の対象に注意をむけていることを知っている.つまり,カエルは自分の注意についての情報をもっている.(あれ,ヒトと同じ?)
しかし, カエルの脳内にある情報を, スピーチネイト5000[7]を通して読み出すと, ヒトと同じように自身の意識行為を認識できていないことがわかる.
なぜならカエルの視蓋には,確かに注意スキーマがあるけれど, 顕在的注意しか記述されていないからだ. そして, この顕在的注意には, 注意の対象物に頭と眼を向けることしかできない.
では, 「意識の存在」を示す「主観的体験」はどうかというと, カエルの視蓋には, この問い(「ハエについての主観的体験はもっている?」)に答えるだけの情報をもっていない. あるのは, ハエに関する情報や自身の体の状態のみだからである.
さて, 神経システムの進化の過程で,複雑な情報処理のための「注意スキーマ」が芽生えてきたことがカエルの事例からわかる. ただ,まだ何かピースがたりない. 注意に対する主観的体験を獲得するには, 他にも考えなければいけないようだ. それは, 既にでてきた 「潜在的注意」 である.
第4章 「大脳皮質と意識」
さて, 神経システムの進化はとうとう哺乳類の登場にまで戻ってきた. そして, 哺乳類の脳の特徴は, 皺の寄った外皮, 大脳皮質にある.
大脳皮質には意識が司る,と考えられている.
まず, 大脳皮質の情報処理方法について述べておく.カエルの視蓋と同様に中央処理装置として機能するが,それだけではない.
膨大な量の情報をふるいにかけて小分けの情報に絞り込むための磨き上げられたマシンとして機能する. つまりは, 情報はさまざまなレイヤーで選抜され, 勝ち抜いた情報のみが大脳皮質により深い場所で処理され, 最終的な行動に影響を与える可能性が高まる.
このことは,長年視覚に対してよく研究がされてきた.細かい話はカットするが, 視覚情報はまず視覚領野の最初のレベル,後頭葉の一次視覚野(V1)に行き着く.そして,より高次の視覚領野へと進んでいく.
全般的に, 情報が大脳後部の低次の領野から大脳前部の高次の領野へと流れていくにつれて,複雑さも増していく.
このように大脳皮質では,さまざまなレイヤーで情報の競争が行われている.そして,強い入力信号が必ず勝つというわけではない.例えば,視覚内にとても目立つ対象を捉えていたとしても, 前頭葉からの信号が視覚野にフィードバックし, 優勢になることもある.
前者の強い入力信号が勝つ場合をボトムアップの注意, そして,内部の信号が有利になる,つまり古参有利の場合をトップダウンの注意と呼ばれる.
大脳皮質のなかで巻き起こるこうしたバトルを、「バイアスのある競争」 と呼ばれ, ニューロン間の局所的抑制により競争を生み出し, 皮質の働きを支配しているのだ. 癲癇はこの局所的抑制が効かなくなった場合に起こる症状で, 脳内で情報を処理しきれなくなったことが原因である.
大脳皮質のこの機能はなんのためにあるだろうか. その答えこそ,「潜在的注意」の獲得である.
視蓋は顕在的注意を司るため, 外界の一部分からより多くの情報を集めるために,その方向へ眼や耳を向けさせる.
そして,大脳皮質の進化は,外界を処理するための新たなアプローチを可能にした.それが「潜在的注意」であり, 視線を向けなくとも,なにかに注意を向けることができる.
これらのふたつの注意の違いは,
- 顕在的注意は感覚器官でなにかをつかむこと,
- 潜在的注意は大脳皮質の大規模な計算装置で何かをつかむこと
である.
特に大脳皮質は,目の前に見えている具体的な事物だけでなく, 見えないところにあるものや, 思考や感情といった内的なものにも, 「向ける」ことができる.
大脳皮質が情報を戦わせるのは, この潜在的注意を駆使して外界を深く処理するためである.まじめにすべての情報を扱えば, ヒトの脳の大きさでは到底足りないであろう.
小さな脳でも外界の情報を扱うためには, 注意の焦点をシフトさせる仕組みが必要だったのだ.
つまり, 効率的に情報をさばくための方法として, 情報どうしを激しく戦わせ, 一度に限られた情報だけに集中的に処理し,この処理の焦点をシフトして調整する高度な制御装置をシステムに組み込むことだった.
さて, 大脳皮質が意識を生じさせている, 著者は考えている. その理由として, 主体的経験を生み出すための「意識に関する情報」が注意スキーマの内側にあると考えられるからだ. そして,大脳皮質が行なっている情報の競争はまさに注意スキーマそのものである. つまり,大脳皮質の代表的な情報である注意スキーマにこそ, 人の意識を体験させる原因があるというのだ.
ここの説明は難解だが, とても重要なので具体例を持ち出そう.
いま目の前のリンゴを見ているとしよう.リンゴに関する視覚情報は, 大脳皮質のなかでより深く処理され,大脳皮質の注意機構を占有する. この情報が大脳皮質を通して選抜されていくことをグローバル・ワークスペース理論とよぶ.
さて, このリンゴの情報を処理する間, 周りの音や風景,着ている服の感触,記憶,考え,感情のすべてが競争に負けている.そんな状態で,リンゴに関する情報のみがグローバル・ワークスペースには残っている.
ここで大脳皮質にリンゴに関する質問をすれば, しっかりと返答するだろう.つまり,リンゴの色や質感,形,位置といった情報はグローバル・ワークスペースにあるからだ.
しかし,意識的な体験をといても,その存在を説明するだけの情報がグローバル・ワークスペースにはないために,うまく説明できない. だとすると,どこから「意識に関する情報」を得ているのだろうか?
この答えこそが注意スキーマである. 潜在的注意では,対象から対象へと注意が動く時,物理的な移動(例:眼や頭)ではなく,ニューロンの活動状態を微妙に変化させている.つまり何かを意識しているとき「皮質の注意スキーマが特定の形態」をもつといえる.その注意スキーマをみれば, 「意識」に関する情報が得られるということだ.
リンゴを見て主体的経験を獲得するとき, リンゴの視覚情報に加え,注意スキーマ内の,無定形の力についての情報も利用しているはずだ.
さて,これでようやく「意識」をつくる手段がみえてきた.
人工意識をつくるならば,つまり, 強力な皮質性の潜在的注意をもった適切に機能する脳を作らなければいけないとしたら, 内部にある情報にもとづいて,自分には非物質的な意識があると主張するマシンをつくることになるだろう.
まとめ
感想
参考リスト
単語リスト
-
イメージするための手助けとして, 相手の心を理解するモデルを考えると, ヒトは, 相手の表情・挙動・声のトーンなどの観測情報(知覚情報)に基づき, 自身の内部にある「相手の感情モデル」から, 相手の意識・感情状態を推測する. 同時に, どのようなアクション(言葉がけ・行動)が有効であるかを内部でシミュレートし, 実際にはひとつだけ行動を表出させている,,, ↩︎
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AIが得意な入力情報から理論的に相手の意識を予測するような機械的な処理ではない,,,ということだろうか ↩︎
-
記憶に蓄えられた情報ならアクセスできるが, 記憶にない「意識」に対してアクセスできないい構造ゆえに ↩︎
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光の届かない深海でも, 環境をしっかり知覚できているのはこのためである ↩︎
-
「注意を向ける」という言葉にもあるように ↩︎
-
これは私の解釈だが, 先述した落書きする生徒の注意スキーマを考えると, 注意が落書きに向いている状態が, つぎに教師の動きに向けられていることや, つぎにどこに向けられるだろうか, という予測をしているといえる. 注意の状態をモニターしている,ということか ↩︎
-
本書で度々出てくる, 脳内の情報をことばに翻訳する謎の未来装置. これにより, ヒトの言葉を持たない動物の考えが読み取れる. ↩︎
Discussion